小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

「ありがとう」

 久し振りに「ありがとう」を言えない人に会った。恐らくわたしとそう歳の変わらない、いい大人の男性だ。
 誰かに何かをしてもらったり、何かを頼んだり、モノをもらったりと、ごく自然に「ありがとう」が出てくる場面で彼が無言を貫くので、そこには座りの悪い妙な雰囲気が生じる。そんな、言わないでいる方が気まずかろうという場面に何度も立ち会わされ、横にいるわたしの方がハラハラ、ムカムカしている始末だ。

 感謝されることで喜びを得るというのは、とても大切な経験だと思う。
 わたしの両親は、大袈裟なくらい、何をしても喜んでくれる人たちだった。
 父の誕生日、忙しくてプレゼントを用意できなかったとき、小学校低学年だった妹が小銭を握りしめて近所の煙草屋で100円ライターを買ってきた。妹よりちょっと大人だったわたしは、心の中で「えー、そんなもの」と思っていたが、仕事から帰ってきた父は妹が一所懸命包んだ広告チラシの包装を解き、ライターを認めるなり「うわー嬉しいなあ! 丁度ライターが切れちゃったところだったんだよ、よく分かったね!」と大喜びをした。母も隣で「良かったわねぇ、パパ」と喜んでいる。妹は満面の笑みで、とても嬉しそうだった。
 父はもちろん100円ライターを喜んだのではない。妹の「気持ち」に感激して喜び、感謝したのだ。そして妹は、自分のしたことが父親を喜ばせたことで、自分も幸せになった。

 こんな環境で育ったわたしだから、初めて恋人に料理を作ってあげたとき、開口一番「これ、俺の口に合わないわ」と言われてショックで半狂乱になり、料理を全て流しにブチこんでしまった。
「別に俺、君を非難してるわけじゃないぜ。ただ料理の感想を正直に言っただけなのに、なんで君がそんなに怒るのか分からない」
 相手は憮然としてそう言って、わたしを驚かせた。
 わたしはなにも料理人になろうとしているのではない。料理に自信があったわけでもなく、お世辞を言って欲しかったわけでもない。ただ、彼に喜んで欲しくて、本を見ながら慣れない料理を一所懸命こしらえたのだ。しかし彼は、そういうわたしの気持ちを想像する力に欠けていた。
 何度か同じようなことが起き、そのたびに話をしたが、彼には最後までわたしの言うことが理解できなかったと思う。他の部分ではウマが合ったので随分長くつき合った後に別れたが、その最大の理由が「わたしが彼を想ってした行動や贈り物に対して、彼がその“想い”の部分を全く配慮しなかった」ことだとは、いまだに彼は分かっていないだろう。

 よかれと思ってしたことに感謝されないとき、人は傷つく。悪意はなくても、本音を返されただけであっても、傷つく。それが続けば、心がひねくれてしまう。もしあのとき、父が妹に「こんないつでも買えるものをもらっても、ちっとも嬉しくないなあ」と100円ライターを放り投げていたら、わたしたち姉妹は、いったいどういう大人に育っていただろうか。
 だからと言って心にもない嘘をつけ、と言っているのではない。感謝することと、自分の意見を言うことは別だ。
 妹は、父親よりもさらに強力な「感謝上手」な男と結婚をした。彼は料理が趣味で、イタリアンからフレンチから本格派を作る玄人はだしなのだが、どんな料理もブルドックソース味に仕上げてしまう妹の料理を初めて食べた時、「世界一おいしい!」と言ってくれたそうだ。
 そうでないことは、作った本人が一番分かっている。彼の言う「世界一」は、料理の苦手な妻が自分のために苦労して作ってくれたその気持ちに対する、世界一の感謝なのだ。感謝とは、そういうものだ。

 かたくなに「ありがとう」を言わない男が、いつからどうして「ありがとう」を言えなくなったのかは知らないが、その簡単な一言が言えないだけで、これまで何人の人を不快にさせてきただろうか。そして本人も、どれだけ損をしてきただろう。
 誰かと関わるとき、そこには必ず人の「想い」がある。その想いに心を配れなければ、人は通じ合うことなどできないのではないか、と思う。

 これまでわたしも、人の想いに気づかず、随分たくさんの人を傷つけてきたかもしれない。最後は、自己反省。
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by etsu_okabe | 2004-09-19 23:43 | 日々のこと/エッセー