小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

行きつけ

 新宿三丁目に行きつけのバーがある。小さな入り口を入るのさえためらわれる怪しげなビルの、しかも最上階にある店だから、一見(いちげん)で来た客は開店以来26年で数人しかいない。
 傾斜のきつい階段をぜーぜー言いながら(ここにはエレベーターがない。そしてわたしには体力がない)のぼる間にある店も、ドアと表札のような看板があるだけで中は全く伺い知れず、うっかり入ったら身ぐるみ剥がされるんじゃないかという雰囲気がプンプン漂っている。

 最初にわたしをここに連れてきてくれた友人は、こんなところに一見で入ったツワモノだ。酔った勢いで「この界隈で一番怪しげな飲み屋に入ろうぜ~」と男二人、新宿を徘徊していてこのビルを見つけ、中で最も怪しげな名前のこの店を、肝だめしの先に決めたのだそうだ。全く、男の酔っ払いの考えることはよく分からない。

 やっと最上階の4階に辿り着くと、踊り場に古本が置かれ「ご自由にお持ちください」とある。今まで何冊か持って帰ったが、読んだ本はない。もう持ち帰るまい。
 ドアを開けると、役者でもあるマスターがにっこり迎えてくれる。
 この人は、どんな話をしてもまずはじっと黙って聞いてくれ、決して聞き流すことなく、そのあとちゃんと自分の意見を言ってくれる。お説教臭くなく、えらぶってもおらず、「僕はこう思う」と淡々と話すので、素直に聞ける。

 あるとき、同年代の女三人で飲みに行った時、マスターが急に、
「前に読んだ小説で、こんなのがあったの。よく聞いてね」
 と、話し始めた。
「主人公は一人称で語られる女なの。自分がものすごく美しくて男にもてることを分かってて、うっとりと鏡を見つめてるような、鼻持ちならない女。
 ああ、今日もあたしはこんなに綺麗だわ。しばらく出かけていないから、久しぶりに出てみようかしら。
 女は着飾って出かけ、喫茶店に入ってお茶を飲む。そうすると、そこに若い男が入ってきて、彼女の隣に座る。
 あら、あの学生ったらあたしを見てる。バカね、あたしがあんたみたいな男になびくとでも思ってんの。でもそうね、たまには相手をしてあげてもいいかしら。やだ、あたしが見つめ返したら慌てちゃってるわ。案外うぶなのね。くすくす、照れてるわ。ちょっとからかってやろうかしら。
 さんざん男をからかったあと、女は男を店に残して帰っていく。
 そこで突然、語り手が女から男に変わるの。で。
 なんだよあの化けモノみたいなバアさんは。さっきから俺の方を見て色目使ってやがる!頭がおかしんじゃねえか。気持ち悪ぃ!!……で、終わり」
 わたしたち三人は、し~~~~~~ん。
「で、僕が何を言いたいかって言うと、つまり、今のうちにたくさんいい恋しなさいってこと」
 にっこりと笑う。

 いいや、違うだろ~~~~。マスタ~~~~~。
 彼の目には、わたしたち三人が、とても傲慢に見える瞬間があったんじゃないだろうか。薄暗い店内で他の客からさんざん「若い若い」とおだてられ、ちょっとばかりいい気になっているように、感じられたのではないだろうか。
「もっと自分を知りなさい。謙虚になりなさい」
 わたしには、マスターがそう言っているように思えてならなかった。
 それからあと、わたしはことあるごとにこの小説の話を思い出す。
 自分で自分が見えなくなってしまうことは、よくある。他人にはよく見えるのに、自分では気づけないこともたくさんある。ところが、友達同士というのはなかなか忠告しあうことができない。もししても、反発に会うに決まっている。親兄弟に言われるのもしゃくに障る。
 身近な誰に言われても素直に聞けないこと、それが「自分自身のこと」だ。
 そんなとき、こんな行きつけの店があり、こんなマスターがいるということは、案外わたしにとって大きなことかもしれない。

※この記事を書いている間中、東京はぐらぐら小さく揺れていた。
 新潟方面の方、大丈夫でしょうか?
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by etsu_okabe | 2004-10-23 20:08 | 日々のこと/エッセー