小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

怒りの矛先2---被災地支援と反原発

 反原発デモが賑わっている。そして、それに反発する、言ってみれば『反・反原発デモ』の声もかまびすしい。
 わたしはまだ一度だけだが、デモに参加した人間だ。だから、その視点から書く。

「デモやってる暇があるなら、被災地へ行け」
「デモなんかで世の中変わらない」
「デモはただの自己満足」
 とまあこんな言葉が、毎日ツイッター上を飛び交っている。
 色々な意見があっていいと思う。
 しかし解せないのは、そういう批難を発信している人たちが、決して原発推進派ではないということだ。彼らは『反・反原発デモ』なのであって『反・反原発』(=原発推進派)ではない。
 原発推進派と原発反対派が衝突するのならまだしも「原発には賛成しない」という意見を持っている人が、なぜ同じ意見で活動する人たちを批難するのだろう。
 いまのところわたしは、デモ参加者からの「反原発なのにデモに参加しないなんてサイテー!」というような意見は、一度も聞いたことがない。批難の声は、どうやら一方的に『反・反原発デモ』の人たちから聞こえてくる。そこに答えがありそうだ。

 そんな中でも最も多く、最も声高に叫ばれているのが「デモやってる暇があったら、被災地に行って働け。被災地に何か送れ」というものだ。
 これには毎度びっくりしてしまう。
 デモは、24時間毎日行われているわけではない。デモの参加者だって義援金を寄付しているし、被災地へ思いを馳せている。参加者の中には被災地でボランティア活動した人もいれば、これから行く人もいる。他ならぬ被災地からの参加者だっているのだ。
 なぜ、デモ参加者=被災地を忘れている人でなし、ということになるのか、わたしにはさっぱり分からない。

「被災者たちの苦しみ悲しみを忘れて呑気に行進なんかしているやつらは、クズだ。恥だ」
 と声を荒げる人の中には、たった今ボランティアで被災地に行って活動している人もいる。きっと想像を絶する状況の中で、毎日大変な労働をしているのだろう。頭が下がる。
 でも。でもでもでも。
 だからといって、被災地以外で生活をしていることや、自分のやりたい社会活動をしているだけのわたしたちが、彼らから罪人のように咎められる筋合いはなかろう。
 わたしたちだって、震災前とあとではガラリと生活が変わったのだ。毎日余震に怯え、放射能に怯え、不安で傷ついている。それでも被災地の方たちのことを思えば贅沢だと、停電にも交通機関の乱れにも悪化するばかりのニュース報道にも、じっと黙っておとなしく耐えている。
 そんなわたしたちが、唯一声を上げ、拳を振り上げたのが、反原発デモなのだ。

 わたしが言いたいことは、前回と同じ。
 被災地の復興を願い、原発推進に異議を唱え、傷ついた人たちすべての幸せを祈る、そんな優しい者同士が、今、互いにいがみ合ってどうする。せっかくお金をためて物資を送ろうと思っても、デモに参加しただけであれほど憎まれては、したい支援もできないではないか。
 自戒もこめて言うが、ちいと頭を冷そうよ。
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by etsu_okabe | 2011-04-17 01:13 | 日々のこと/エッセー