小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

箸が転げて笑い転げて

 道を歩いていたら、後ろの方からキャッキャと楽しげな笑い声が迫ってきた。間もなくわたしを追い抜いて行ったのは、手を繋いで自転車を並走させる中学生くらいの女の子二人。
 彼女たちは会話らしい会話はしておらず、良からぬキノコでも食べたのではないかと思うほど、ただ大声でひゃあひゃあコロコロと笑いあっている。歩行者には眉をひそめている人もいた。

 女の子には、文字通り「箸が転がってもおかしい」という時期がある。わたしも中学生の頃そうだった。
 とにかく何をしても何が起きても、おかしくておかしくて仕方がない。朝不機嫌に起きても、通学途中で友達の顔を見ればもうおかしい。おしゃべりが始まるそばから、テンションは急カーブを描いて上昇する。笑い過ぎて腹筋が痛くなることもよくあった。

 今にして思うと、あれは一種の「躁状態」だったんだろう。
 それまで無邪気に大人を信じてきたものが、この頃には色んなからくりに気づかされ、
「大人になりたくない」
 が合言葉になっている。
 それでいて、自分がその大嫌いな大人に着実に「なっていく」ことを感じさせられる日々は、まるで自分が汚れていくようで、案外とてもストレスフルなものだったのかもしれない。
 あれを軽い一時的な「躁鬱病」だったと考えれば、躁状態と同じくらいに「鬱状態」もあったことを思い出す。ことあるごとに自己嫌悪に陥り、自信をなくし、恥じてばかりいた。
 箸が転げてもおかしかったのは、箸が転げても落ち込んだことの反動だったのだろう。

 とまあこんな風に、女の子はその不安定な心のバランスを「笑う」ことで上手にコントロールしているのだとして、では、男の子の場合はどうなのだろう。
 この頃の男の子は、女の子のように異常なほど笑ったりはせず、むしろ、いつも怒っていたような気がする。行動も危険なことばかりで、屋上の手すりを歩いたり、徒党を組んで喧嘩をしたり、校舎の窓ガラスを割ったりと、女子が怖がるようなことばかりしていた。
 男子の鬱屈した心の昇華方法は、やはり「攻撃」なのだろうか。

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 以下余談。
「箸が転がっても笑っちゃう」このややこしい精神状態が嘘のようにすーっと消え去ったのは、高校に入学した瞬間だった。
 理由は単純。大人になることを率先して楽しめるようになった、つまり、本格的に発情したからだ。
 わたしの場合は女子高だったので、それこそ剥き出しの発情集団の中に放りこまれたようなものだった。少しでも綺麗になること、オスの目にとまるよう目立つこと、そして誰よりも早く色々な体験をすること、そんなことで頭の中はパンパン。
 いつの時代も、女子高生とは破廉恥なものなのです。
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by etsu_okabe | 2004-11-14 01:39 | 日々のこと/エッセー