小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

紺屋の白袴、では済まぬこと

 プロの行為として許せないこと、というのがある。
 例えば、わたしは今WEBデザイナーとしてあるネットショップサイトの制作に携わっているのだが、売っていない商品のイメージ写真を「カッコイイ写真だから」という理由でトップページに使用したり、リンクの全く貼られていないサムネイルを並べたページを公開したり、なんていうのは相当許しがたい。ブランド・ロゴを変形加工する、などというのは「許しがたい」を越えて呆れ返る。
 しかし、そういうことができてしまうプロフェッショナルが、実際に存在する。

 カラオケボックスをそのまま再現したようなステージを、金を取って客に見せるミュージシャンも、かなり許しがたい。
 他人の言葉や思想をそっくり拝借して偉そうに語るコメンテーターも、許せない。
 客に恥をかかせるような接客をするレストランには、火をつけたくなる。
 子供を支配しようとする教師は、その時点で教師ではないと思う。

 わたしには、編集や物書きを生業としている友人が何人かいる。大手出版社、小さな編集プロダクション、フリーランスと、身を置く場所は様々だが、言葉、文章に対する真摯な姿勢は皆同じだ。言葉というツールを使ってものづくりをしているのだというプライドが、彼ら彼女らにはある。
 だから彼らが書くものは、仕事とは無関係のメールにしてもBBSの書込みにしても、いい加減なものはひとつもない。別段肩肘張っているわけではなく、ただ、言葉に対して慎重でいるということが、自然に身についている感じだ。
 わたしは、それがプロの編集者・ライターというものだと思う。

 最近、そういった言葉・文章に対する真摯な姿勢が全く感じられない「許しがたい編集者」に出会った。
 自分の思いの丈を書きなぐったあと、それがいかに陳腐な表現かを顧みることもなく、「これであなたはわたしの気持ちを理解したと思う」と言いきる思い上がりは、言葉を扱うプロフェッショナルの一体どこから生まれてくるものなのだろうか。
「理解しただろうから、ああしろ、こうしろ」と続くその文章を破り捨ててやりたかったが、いかんせんEメールである。気が納まらないので、保存して飽きるまで読み返して笑ってやろうと思ったが、一晩寝たらどうでもよくなってしまった。で、消去。

 いかにプロでも失敗することはある。わたしなど、失敗の連続だ。
 しかし、その失敗がプロとして許されないものであるとしたら、わたしはそれを素直に恥じるべきだと思う。開き直ったり誰かのせいにしたり逆ギレしたりしたら、それはもう、プロじゃない。
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by etsu_okabe | 2004-11-20 15:52 | 日々のこと/エッセー