小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

ミュージシャンの不安

 招かれた楽屋の前で、さっきまで満員の観客から大喝采を浴びていたメインプレイヤーとTが、濃厚なキスを続けている。程よく酔って気持ち良かったわたしは、壁に寄りかかってそれを眺めていた。ひっきりなしに行き来するスタッフたちは、馴れたものでそんなものは眼中に入れていない。
「ハロー、僕の名前はラ○○だ。君の名前は?」
「何? ラ○○?」
「違うよ、ラ○○」
 日本人には発音できない名前の不細工な太っちょ男が、馴れ馴れしくわたしの手を取り、マネージャーだと言ってにやっと笑う。一銭にもならないわたしに愛想など振り撒いても仕方あるまいに。グルーピー(ジャズの世界でもグルーピーって言うのかな)とでも間違われたか。
 心神喪失状態のTとのキスの合間に、ミュージシャンは呆れ顔のわたしにもキュートな笑顔を向け、握手を求め、ものすごく優しいハグをしてくる。これが、演奏を見せられた直後だということをさっ引いても、ついクラッとなるような「心のこもった」笑顔、抱擁なので驚いた。さらに驚いたことに、彼はわたしたちを別のライブのゲストリストに入れてしまった。
 二人の唇が離れた隙を見て交わした会話から、彼が昨年Tと同じ場所で会ったこと(あるコネクションを通して)を覚えているらしいことは分かったが、ただそれだけの一ファンに対して、この親密なサービスぶりは何なのかしら、と気になった。

 ミュージシャンとは、どんなに拍手を浴びていても、自分の作り出したものに自信が持てなければ、いつまでも「ダメなんじゃないか」という不安につきまとわれる職業だと思う(昨年見た映画「アイデン&ティティ」にも、その辺りがうまく描かれていた。本命の彼女がいるのに、ツアー先でファンの子と寝ずにはおれない主人公の不安感)。
 音楽の力やその頼りなさを一番よく知っているのが音楽家自身だから、涸れていく才能に無理矢理どぶ水をぶっかけて演奏することもあるだろう。
 そんな中で、自分を支持してくれるファンの存在というのは、どぶ水を浄化してくれる浄水機のような役目を担っているのかもしれない。
 今回彼はニューアルバム発表後に来日したのだが、数日前にタワレコ視聴機で聞いたこのアルバム、あまりピンとこなくて購入しなかった。ライブでも、昔の曲の方が圧倒的に支持されていた。
 彼の尋常でないあのサービスは、そんな不安感から出てきたものかもしれないな。一晩経って酔いも醒め、そんな考えに至ってただ今ティータイム中。
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by etsu_okabe | 2004-12-11 15:45 | 日々のこと/エッセー