小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

この街で野垂れ死にしたくない。

「電車で座席に座っているとき、前に年寄りが立ったら席を譲るか」
 飲んでいる席で質問したことがある。相手は20代と30代の3人の男性。

「そうは言うけどさ、これが以外と嫌な顔されるんだよね、わしゃまだそんな歳じゃない! みたいなさ」
「最近の年寄りって元気だから、譲っていいもんかどうか迷うよ」
「俺、実際譲って『失礼ね』って怒られたことあるからさ」

「ふうん、つまり、あんたたち全員<譲らない>ってことね」

「いや、だからさ、譲らないっていうんじゃなくて、気持ちは譲りたいけど、その親切がアダになるのが嫌っていうかさ......」
「そうそう、俺もそうだよ。譲りたくないわけじゃないよ」

 語れば語るほど虚しいのが<いいわけ>だ。
「相手が妊婦だったら?」
 とは尋ねなかったが、尋ねていれば答えはこんなところだろう。
「妊婦じゃなくてただのデブだったりしたら、悪いじゃん」

 彼らがムキになって説明しているのがただの「いいわけ」だということは、わたし自身が以前そうだったから分かってしまう。年寄りに前に立たれたとき、昔のわたしは狸寝入りもしたし、本に夢中になっているふりもした。どう見てもひっくり返りそうな年寄りには譲ったが、それも意を決してのことだった。
 理由はうまく説明できない。しいて言えば、恥ずかしかったということだろうか。席を譲って車内で目立つことが恥ずかしい。「イイ子」と思われるのが恥ずかしい。「ご親切に」などと頭を下げられるのが恥ずかしい。偽善者と見られるのが恥ずかしい。誰もがそうするべきと思っていることを直球で行動することが恥ずかしい。いや、それだけではなかった気もする。どちらにしても今にして思えば、それこそ恥ずかしい理由だ。

 十数年前、ニューヨークに3か月暮らしたことがある。
 着いた翌日のこと、わたしは道端で、ある目的地までバスで行こうか歩こうかと迷っていた。するとそこに路線バスがやってきて止まり、運転手が「どこに行くの?」と尋ねてきた。答えると「通り道だから乗りなさい」と言う。じゃあバスで行くことにするか、と乗りこみお金を払おうとすると「いらない」と言うので驚いた。彼女は乗客を乗せたのではなく、言葉もままならず不自由している観光客を助けただけなので、運賃などいらぬというわけだ。「でも......」と車内を伺うと、他の乗客たちは特に珍しそうにするでもなく「ずるいぞ」と文句を言うでもない。皆、当たり前という顔をしている。
 しばらく住んでみて、この街の人たちが年寄りや身体の不自由な人たちに手を差し伸べることを<当たり前>にやっているということが分かった。乗り物の中だけの話しではない。公園で、デパートで、道端で、どこででもだ。腰の曲がったおばあさんが、自分よりも腰の曲がったおじいさんを手助けしようとする、そういう街だった。
 こんな環境の中では、<知らん振り>することの方がかえって恥ずかしい。
 気がつけば、わたしは何の気負いもなく席を譲れる人間になっていた。英語はろくに取得できなかったが、もっともっと大事なものを得たと思う。


 吉祥寺東急デパート前の交差点で、盲目の男性が方向を失ったらしく身体をくるくる回して困っているのが見えた。通り過ぎる何十人という人たちは、不自然なくらい彼を見ない。「気づきませんでした」ということを演出しているわけだ。電車の狸寝入りと一緒。悲しい気持ちで近づこうとすると、脇からさっと走りより、彼の手を取って話しかける人がいた。外国人の女性だった。
 吉祥寺駅ビルロンロンの階段で、若い男性がうずくまっていた。彼をまたぐようにして行き過ぎる人たちに彼は見えていない。そんなわけないだろう!
 通勤ラッシュの吉祥寺駅構内で盲人のステッキを蹴飛ばしてそのまま走り去ったサラリーマン。彼は会社に遅刻しそうで急いでいただけだ、悪くない。だからステッキを探して床に這いつくばる盲目の人を助ける気になんかならないよね、そこにいたオメーラよ!

 自分が席を譲れる人間になったから、こんなことをエラそうに書いているのではない。
 殆どの人は鬼ではない。冒頭のいいわけ君たちと同じ「分かっちゃいるけどなぜかできない」だけのこと。当たり前になれば(かつてのわたしと同様)何の抵抗もなくするようになってしまう程度のささいなことが、できないだけだ。
 だから、当たり前になればいい、と思う。

 わたしだって酷い二日酔いの日や生理痛の日には、いくら年寄りや妊婦がいても席を立ちたくない。しかし「生理二日目お腹裂けそう」とタスキをかけておくわけにもいかないので、仕方なく立つことになる。何故なら、本当に他の誰も席を譲ろうとしないからだ。
 それから、わたしは時々貧血を起こす。もしこの街のどこかで一人きりのときに倒れてしまったら、と思うと怖い。たくさんの善良そうな人間で溢れ返っている街の真ん中で、何百人という人にまたぎ越され、無視し続けられて、野垂れ死ぬかもしれないと思うと怖いのだ。

 だからわたしは席を譲るし、倒れている人には声をかける。困った人には手を差し伸べる。
 それがこの街で当たり前になって、自分や友達や家族が、野垂れ死ななくてすむように。理由はそれだけだ。

こちらへTBしてます。
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by etsu_okabe | 2004-12-18 15:51 | 日々のこと/エッセー