小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

矯正

失業して4か月目に突入した。
預金通帳に▲マークが並ぶ今、無駄買いは決して許されない。買い物リストのメモをにぎりしめ、脇目もふらず目的の売場へ直行、これがわたしのショッピング・スタイルだ。
しかしわたしも人の子。「車のハンドルだってアソビがなきゃ事故起こしちゃうでしょ。だめよ、アソビがなきゃ!」(by 何かのCMでおばちゃん得意げに談)。
わたしのアソビは「書店巡り」だ。巡りと言っても、地元吉祥寺ではブックス・ルーエとリブロ(ついこの間までパルコブックセンター)の2店舗だけ。ここには買い物リストなしで寄り、ぶらぶらと数時間を過ごして「出会った」ときには数分迷ってから買う。
今日は珍しく目的を持って巡ったが、欲しかった本は見つからず、「アホの壁 in USA」「少年A矯正2500日全記録」を衝動購入。

「矯正」とは、恐ろしい言葉だ。
正直言って、わたしも14歳の頃には全く情緒など育っていなかった。
友達の兄が死んだので仲間たちと葬式に行ったとき、わたしだけが泣けなかった。肉親を亡くした友達に同情することが、どうしてもできなかったのだ。むしろ、我がことのように泣いている仲間たちの方が不気味に思えた。
体操部の部活中、補助についていた跳馬で後輩が着地に失敗し脱臼したときも、不自然に曲がった彼女の手首を見て他の部員が泣きわめく中で、わたし一人だけが黙ってキョトンと立っていた。あとから「えっちゃんて冷たい」と陰口を叩かれたが、このときも何故みんながパニックを起こしているのか理解できなかった。
今にして思えば、相当気味の悪い少女だったと思う。もし14歳のとき、ひょんなことで犯罪を犯し精神鑑定を受けていたら、恐らく「問題あり」と診断され、矯正教育を受けさせられただろう。そうしたら、ちゃんと今のわたしと同じ大人になれただろうか。それとも、全く別人のわたしが出来上がっていただろうか。

幸いわたしは犯罪に手を染めることなく、その後家族の死や恋愛など様々な経験をして、ちゃんと情緒豊かな大人に育った。本を読んでも映画を観ても、肌が合えば共感できるし、30後半からは些細なことでもすぐに泣く。
しかし、これだけ経済的に逼迫しているのに平気でいるというのは、やはりまだ情緒のどこかに問題があるのかもしれない。
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by etsu_okabe | 2004-04-10 00:16 | 日々のこと/エッセー