小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

しあわせって何?

 この時期になると思い出す童話がある。誰もが一度は読んだことがあるだろう、アンデルセンの『マッチ売りの少女』だ。

   *   *   *
 大晦日の夜。
 雪の中、裸足でマッチを売り歩く少女。ひと箱も売れていないので、家に帰ることができない。恐ろしい父親にぶたれるからだ。
 寒さと飢えのため家の壁にうずくまった少女が、寒さを凌ごうと売り物のマッチを一本擦ると、あかりの中にあたたかいストーブが浮かび、炎が燃え尽きると同時に消えてしまう。もう一本擦るとご馳走が、次の一本では美しいクリスマスツリーが、次々に浮かんでは消えていく。
 やがて、あかりの中に大好きな死んだおばあさんが現われた。唯一少女を愛してくれた人だった。
「おばあちゃん、わたしを連れて行って」。
 おばあさんが消えてしまわぬよう、少女は持っていた全てのマッチを擦ってしまう。するとおばあさんは少女を優しく抱いて、天高く上っていく。
 翌朝、人々は幸せそうに微笑む少女の亡骸を見つけ、憐れむ。少女が昨晩どれだけ幸せだったか、知る人はいない。
   *   *   *

 救いようのない悲惨な物語だ。
 宗教によっては「飢えも寒さもない神の元へ召されて最高!」なエンディングなのかもしれないが、現世に生きる子供たちに希望を与える「最高」とは言い難い。なにしろこれは<童話>なのだ。こんな悲しい終わり方はなかろうと思う。
 しかし、親に読み聞かせてもらってから何十年と経った今でもこの物語が他の数ある童話の中から飛び抜けて記憶に残っている(飛び抜けて好きというわけではない)のは、やはり、最後の<少女が昨晩どれだけ幸せだったか、知る人はいない>という終わり方のせいには違いない。これが、少女はお大尽に拾われて幸せに暮らしましたとさ、であったなら、ここまで覚えてはいまい。

 自分を取り巻く環境以外のことを想像するのがまだ難しかった子供時分には、最後の一行を読んでよく分からないまま「そうか、少女は実は幸せだったのか、良かった〜」と、物語にのせられてホッとしながら本を閉じていたと思う。
 もう少し大人になると、夢のように美しく暖かな部屋はそこに暮らしてこそ幸せなのだし、どんなにおいしそうなガチョウの丸焼きも食べてこそ幸せだ。大好きなおばあさんも生きて愛されなければ意味がないじゃないか! と、しあわせの意味を少しは考えるようになる。そしてどんどん「少女が昨晩どれだけ幸せだったか」の意味が分からなくなる。

 大人を何十年とやってきた今でも、実のところわたしにはマッチ売りの少女のしあわせの意味が理解できていない。
 それは、わたしが本当の「絶望」を知らないからだろう。

 たとえば、と思う。
 もの心ついたときから身近な大人に虐待され続けている子供は。
 生まれたときから戦争しっぱなしの国に育つ子供は。
 そんな「絶望」を味わってしまった人には、一瞬で消えてしまう夢を見ながら死んでいく少女のしあわせがわかるのだろうか。

 ところで、わたしのしあわせって一体何だろう。......参った。下世話なことばかり頭に浮かんで、本当の答えが出てこない。
 これも「絶望」を知らないからか。なんと甘い人生だろう。
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by etsu_okabe | 2004-12-26 15:50 | 日々のこと/エッセー