小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

ア○ス・トモダチ

 しりあがり寿に「ア○ス」という単行本漫画がある。主人公の少女が、自分の脳味噌が欲しがっている「トモダチ」を探すために、素っ裸で世の中を彷徨う話しだ。衝撃。

 わたしは随分昔から、年に何度か新聞の人生相談欄に掲載される「親友ができない悩み」が、気に障ってしょうがなかった。
 投稿者はほぼ女性。「何でも打ち明けられる友達ができなくて寂しい」と、彼女たちは言う。
 彼女たちが「親友」に期待しているもの、それは「100%の依存」だ。自分の悩みや苦しみを全て聞いて理解してくれ、一緒に泣いたり慰めたりしてくれる、それが「親友」。そういう存在を「作りたい」のに作れない、そんな自分の不器用さを怨んだり、自分を見てくれない他人を呪ったりして悩んでいる。
「アホか!」とわたしは呟く。
 友達は、「作る」ものではなく「なる」ものだ(恋人も、然り)。
 出会って、興味を持ち、意見を交換するうちに更に相手のことを知りたくなる。だからまた会ったりメールしたりする。そうやって友達に「なって」いくのだ。
 そうした中で「全て理解し合える」関係を築ける人と出会えるなんて、本当に奇跡に近いことだ。そんな人に出会えたら、その人の人生はほぼ「100点満点」だろう。
 人は誰だって一人。恋人だって親兄弟だって、わたしのことを100%理解してはいない。わたしはいつもそう思っているが、それを悲しいとは思わない。
 寂しいと思うことはある。人は、その寂しさがあるから、共感を求めて、音楽を聴いたり絵を観賞したり、小説を読んだりするのではないだろうか。だとすれば「一人である寂しさ」こそが、人に「感動」という素晴らしいご褒美をくれるのでは? 
 一人はちっとも悪いことじゃない。しりあがり寿さんも、わたしと同じ苛立ちを持っていたのではないかと感じた。

「ア○ス」の少女のトモダチを探す旅の結末は、あまりにも皮肉だ。
 脳を手術され、「普通」の少女になった彼女にはトモダチもできた。だが、彼女は気づく⋯⋯。
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by etsu_okabe | 2004-04-15 04:05 | 日々のこと/エッセー