小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

堀江敏幸「雪沼とその周辺」に押し倒される

結婚も出産も未経験のせいか、人よりも色々なこと(都合の悪いこと)への気づきが一歩も二歩も遅い。そんなわたしも最近ふと「老い」を思い心細さに襲われるようになった。慌てて目先の予定を数え自分を安心させるが、頭の片隅にこびりついた黒い影は拭いきれない。
そんな折、ある人に勧められて堀江敏幸著「雪沼とその周辺」という短編集を読んだ。これまで頭を振って追い払っていた「不安」が一挙に押し寄せてきて、わたしは気持ち良く押し倒されてしまった。

この小説では、「雪沼」という架空(だと思う)の町周辺で起こる7つのできごとが、微妙な関連性を持ちながら、しかし必然性は全く持たずに連なって語られる。そこに切り取られて現れるのは、人生の繁忙期を過ぎたいわゆる初老の人たちだ。
何の激しさも、毒も、熱もない土地に住む彼らの、これといった大きな波風のない生活が淡々と語られていくだけなのに、なぜかあとを引く。大波はないが、ときおりザワッと立つさざ波に、心を揺さぶられる。
「不安」に冒されながら、わたしはイヤな気持ちとイイ気持ちを半々に味わっている。見たくも触れたくもないのに、見られ触れられることには抗いきれない。
そういう感情に迫ってくる小説は初めてだった。もちろん作家が素晴らしいのだろうが、わたしも老成したのかも⋯⋯。

年を重ねることは嫌ではない。20年前のわたしより10年前のわたし、10年前のわたしより今のわたしの方が好きだ。老いを下降線、成長を上昇線だとすれば、心は今でも毎日成長していると思っている。
ところが、身体の方は確実に老いている。お肌の曲がり角は25歳と言うし、体力は20代のある地点から急降下している。考えてみれば、肉体はオギャアと生まれたその瞬間から老い続けているのだ。
生まれた時から「老い」ていく肉体に、死ぬまで「成長」する心を住まわせている。人が生きていくことの苦しみとは、そのジレンマなのかもしれない。わたしを冒した「不安」も、きっとそれだ。

それにしてもこの小説の作者、わたしと同い年だった。本当はこのことが、今わたしを一番揺さぶっている。堀江敏幸さん。10歳くらいサバ読んでるんじゃないの⋯⋯。
[PR]
by etsu_okabe | 2004-04-16 21:21 | 日々のこと/エッセー