小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

優しき街、吉祥寺

 仕事で大失敗をしたとか、友達と大喧嘩をしたとか、いわれなき誹謗中傷を受けたとか、そういうことがなくたって、なんとなく落ち込む日というのがある。原因が些細であればあるほど、大きな声で「くそー! こんちくしょー!」と言えない分、むしゃくしゃ鬱々と気分は重い。
 そんなとき、行きつけの飲み屋なんかで、しがらみの一切ない常連客同士騒いだり、優しいママさんに愚痴を聞いてもらったりして憂さを晴らせればいいのだが、わたしはそういうことが苦手だ。仕方ないので鬱憤を抱えたままアパートに戻り、一人手酌酒を呷ってウワ〜ッと泣いてすっきりする、ことになる(文章にすると演歌臭いな〜)。
 そんなわたしに最近、駆け込み寺ができた。それは、駅から家に帰る途中にある「二町目惣菜」というお店。その名の通り、お惣菜屋さんだ。
 ここのオヤジさんは、お客が店にいる間中、ず〜っとインチキ関西弁まじり(本当はこの街で育ったチャキチャキの地元っ子)の口調で話し掛けてきてくれる。それが、決して媚びておらず、押しつけがましくもない、慈愛に満ちた語りかけなのだ。
 店に入ると、
「ほいないらっしゃい。何になさるか。さあ後ろもみとくれ、お弁当のメニューがあるぞよ。どれもおいしいからな。お迷いあれ、お迷いあれ。たくさん迷っていいんだぞ」
 てな調子。
 本当に何分でも嫌な顔せず待ってくれて、何を注文しても必ず<よくぞそれを選んだ!>という感じで人さし指をピンとこちらに向けて立て、
「まっかしといて!」
 と頼もしい笑顔を向けてくれる。
「さあ、待ってる間に良ければ味噌汁をとっとくんだぞ。サービスだからな。お湯があればすぐできる。お湯がなければ舐めてもいける」
 自然に顔は綻んで、入ったときとは正反対のウキウキ気分で店を出る。
 不思議なもので、人は本当にしんどいときには心が固まって感情を表せないが、ちょっとした優しさで少しでも気を緩められると、堤防が決壊するように感情が溢れ出す。暖かいお弁当をさげてニコニコの帰り道、いつの間にか笑顔が歪んでジワンと涙が滲んできたりするのだ。
 総菜屋のオヤジさんがわたしの鬱屈を知っているはずはなく、慰めているつもりももちろんないだろう。しかし、わたしは間違いなくオヤジさんに癒されている。人はそうやって、知らぬ間に他人を慰めていることがある。
 こういう思いを何度かして、わたしはこの街を離れられなくなったのかもしれない。
[PR]
by etsu_okabe | 2005-05-01 22:08 | 日々のこと/エッセー