小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

期待つきコミュニケーション

「あたしなんかもうダメ。トシだから」
 という台詞の中には、
(まだまだ若いよと言われたい)
 という期待が見える。
「俺って昔から変わり者って言われててさ」
 という台詞の中には、
(個性的な人と見られたい)
 という期待が見える。
「あたしなんか生きる価値がないから、死ぬわ」
 という台詞の中には、
(君が必要だと言われたい)
 という期待が見える。

 こうした、期待が前提にあるコミュニケーションをとろうとする人は、期待外れの応えを前にすると、傷ついたり逆ギレしたりするので、始末が悪い。
「もうダメ。トシだから」
 に、
「そうだよね、そろそろツブシがきかないよね」
 などと言い返したら泣かれるし、
「変わり者って言われてててさ」
 に、
「やっぱり。非常識なのは子供の頃からなんだー」
 などと言い返したら、絶交される。
「死ぬわ」
 に、
「練炭が確実らしいよ」
 などと言い返したら、殺されるかもしれない。
 相手の言葉に同調しただけなのに、極悪人にされてしまうのだ。
 だから人は、相手の期待が見えると、それにきちんと応えたレスポンスをして、会話は滞りなく終了する。

 なんとつまらないコミュニケーションだろうか。

 同じく“期待つきコミュニケーション”に「あなたのためを思って」という前置きがある。
 そこには、『感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない』という期待が見える。「ありがとう」以外受け付けない、威圧感がある。
 しかし不思議なもので、言われた方は本物の「あなたのため」と、言い訳の「あなたのため」は、はっきりと嗅ぎ分けられる。誰にでも覚えがあるだろう、「あなたのために」と前置きしたあと言われたりされたりしたことに対して、素直に感謝の気持ちが湧いてこないこと。
 わたしの友人には、あらゆることに「あなたのためを思って」と前置きして自分を育てた母親の「あなたのため」が、実はその母親自身のためでしかなかったことに気づいて、母親を捨てた人がいる。

 コミュニケーションは、よくキャッチボールに例えられる。
 相手に「こう投げ返せ」と言われながら放られたボールは、キャッチする気になれない。
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by etsu_okabe | 2005-05-04 22:23 | 日々のこと/エッセー