小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

ネット贋作作家

WEB日記やブログに、他人の文章をそっくり盗んだり、真似たりしたものがあるらしい。<参照記事>
フリーのサービス(ここのエキサイトブログのような)を利用する場合、本名も住所も登録する必要がないし、メールもフリーWEBメールを登録してしまえば身元は分からない。匿名である気安さと、ワンタッチでできるコピー&ペーストに大した罪悪感を感じることもなく、盗用に手を染めていくケース、結構あるのかもしれない。
それにしても、他人のテキストをそのまま発信することに、どんな目的があるのだろうか。

美術の世界に贋作というのがある。現存する作品を模写したものもあるし、そうでない、オリジナルのニセ作品(非常に矛盾した表現ですが)というのもある。巨匠の作風を真似た、贋作作家のオリジナル作品だ。それを<巨匠のオリジナル作品>として世に出し、大金をせしめる。
贋作作家は一生日の目を見ない。彼らの身分が表に出る時、それは自分の作品が抹殺される時だ。そんな矛盾の中に生きる彼らの満足感は、大金を得ることか、もしくは自分の技術でアホな大金持ちを騙すことか、いずれかにあるのだろう。わたしなどは、そういうところに魅力を感じてしまったりもする。

一方、ネットの贋作作家には、そういうまっとうな満足感を全く想像できない。

ネットの魅力は、無名の個人でも無数の人々に向かって自由に発信できるところにある。ある意味「垂れ流し」だから、どちらかというと受け手側にしっかりした意志を求められる世界だ。メディアリテラシーという言葉が言われるようになったのも、ネットの影響が大きいと思う。
自分のホームページを持つには特別な知識や技術がいるので、ちょっと前までは、個人がネット世界で発信者となるのは面倒なことだった。でも今は、無料で自分の日記や意見を簡単に公開できる。それも覆面をかぶったまま。
道具を持たされれば、使いたくなるのが人情。とにかく何か書いて、発信したくなる。そこでもし書きたいテーマがなくても、与えられたツールで誰かとコミュニケーションを取りたいのなら、下手くそでもつまらなくても、そこに自分の言葉を乗せるのが正解だ。実際、そんなサイトが山ほどある(あ、ここもか⋯⋯)。
しかし、ネット贋作作家はそうではなく、そこに、ウケそうなお上手な他人の言葉を乗せる。となると、目的は<アクセス数を稼ぐこと>なのだろうか。そこに満足感があるの?
それとも。
今回知った贋作作家は、ある著名人(失礼ながらわたしは存じ上げなかったが)の出版物やWEB日記から、文章をそっくりパクったブログを発信していたという。本人になりすましたわけではなく、別の名を名乗ってはいたらしいが、何しろパクったのが「日記」。本家の生活や思考そのものを失敬していたわけだ。
その魅力的な文章や華やかな生活に魅かれ、コメントやトラックバックをした読者も大勢いて、それにはご丁寧にレスも返していたとか。
レスはさすがにパクれないから、本家になりきって書いていたことになる。案外そこに楽しみを見いだしていたのかな。いっとき他人のバックグラウンドを生きることに酔い痴れる、それが喜び?

どちらにしても、みみっちい了見である。
この虚しい感じは、一体何なのだろう。

先日テレビで夕方のニュースを見ていたら、夜行バスで地方から上京してくる若者を追ったドキュメンタリーをやっていた。
九州から来た青年は「歌手になりたいんっす」と夢を熱く語る。ところが。
「どういうジャンルの歌手を目指してるの?」
という記者の質問に、
「アールアンドビー(R&B)、なんか好きっすね」
「へえ、リズムアンドブルースのこと?」
「あ、それの略なんすか?」
「⋯⋯(絶句)」
今回ネット贋作の記事を読んだ時、最初に思い出したのがこの青年のことだった。
ネット贋作作家と共通しているのは、目の前にぶら下がった楽しげなモノを、とりあえず目的としてしまう浅はかさ。

ものがたくさんある。道具もよりどりみどり。選択肢も山ほどある。情報も溢れ返っている。
わたしたちは、そんなモノたちの整理に手いっぱいで、本当の自分の目的などに構っていられない、とても不幸な社会に生きている。こんなぎゅうぎゅう詰めの世の中を自分らしく生き抜くことは、とても難しい。
流され易いわたしなどには、容易なことではない。わたしの本当の目的は何? 時々自分に尋ねてみようっと。
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by etsu_okabe | 2004-05-06 02:59 | 日々のこと/エッセー