小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

どうにもとまらない

 何十年経っても、思い出すと笑ってしまうことがある。

 わたしのそれは、4歳の頃の思い出だ。
 その年、わたしは叔母からピアノを習い始めた。やっと曲らしいものをやりだしたある日、叔母がピアノに座ってこう言った。
「おばちゃんがお手本を弾くから、よおーく見てなさい」
「はい!」
 言われた通り、わたしは微動だにせずじいーっと見た。
 短い一曲を弾き終えたところで、叔母がくるりとわたしに顔を向け、吹き出しながら言った。
「顔を見てどうするの。手を見なさい」

 生まれて4年しか経っていない子供には、人の見るところと言えば『顔』しかなかったのだろう。
 幼い姪っ子の熱い視線を右頬にジリジリと感じながら、笑いをかみころしてピアノを弾いていた叔母のおかしさを思うと、道端だろうが電車の中だろうが、わたしの顔はニンマリと綻んでしまうのだ。
 さらに、ピアノの端っこにしがみつきながら目ン玉をひんむき、叔母の顔を穴のあくほど見つめていた四つの自分の表情を想像すると、どんなにつらいことがあった夜でも、ぷぷっと吹き出してしまうのだ。わーわー泣いている最中だって、泣き笑いしてしまうのだ。
 こんな何十年も昔の思い出に笑わされて一瞬消えてしまうほどのことなんて、それほど辛くもしんどくもないことだ。大したことじゃない。
 今夜、中央線でニヤニヤ笑いを隠そうと下を向いたり顔を覆ったりしていた不審な女を見たとしたら、それはきっとわたしです。

 叔母は今でもピアノ教師をしている。従姉の結婚式では、2人で『トルコ行進曲』を連弾した。ピアノを弾かなくなって何年も経っていたわたしは惨憺たるもので、演奏の間じゅう、叔母は隣でゲラゲラ笑いっ放しだった。
 たとえばあのひどい演奏を思い出して、叔母もしんどい時間を乗り越えたりすることがあるのだろうか。
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by etsu_okabe | 2005-10-22 00:25 | 日々のこと/エッセー