サヨウナラと言おう
2006年 01月 09日
自分の出した、または出したいと願っている<結果>に対して、共感を持ってもらえない<場>というのがある。そこに好きな異性がいれば焦れったいし、精神的ライバルがいれば悔しい。なんとかしたいと足掻けば、空回りした揚げ句に傷つくだけだ。無駄なことはせず、そんな<場>からは、さっさと去るのがいい。
ところが、好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのだろう。
場には中心がある。人を吸い込み(惹きつけ)、エネルギーを溜め込み、あるときは大きな旋風を、あるときは静かなそよ風を起こしながら膨らみ続ける中心。
その中心から嫌われ、見えない場所まで吹き飛ばされても、わたしにとって価値のある<場>があった。それは刺激的な、また、わたしをある面で大きく“生かして”くれる場でもあった。吹き飛ばされようが、見なかったことにされようが、わたしはその<場>への愛着を捨てることができなかった。
追い風がびゅうびゅう吹く中で、ほんの少し顔を出してみた。逆風は相変わらず強く、中心に向かっては一歩も歩み寄ることができないが、周りを楽しげに踊り回る花たちはわたしを誘ってくれている。
花たちに触れたくて手を伸ばしたところで、気がついた。乗れない風の中で、わたしはもう踊れない。踊ろうとしても、ステップが分からない。
「え、知ってるはずでしょ?」
花たちは言う。しかしいくら目をこらしても、それは見たことのないダンスだった。
好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのか。
答えはひとつ。やはり去るしかないのだ。<場>はひとつじゃない。世界は広い。
自分が自分らしくいられない<場>には、胸をはってサヨウナラと言おう。
ところが、好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのだろう。
場には中心がある。人を吸い込み(惹きつけ)、エネルギーを溜め込み、あるときは大きな旋風を、あるときは静かなそよ風を起こしながら膨らみ続ける中心。
その中心から嫌われ、見えない場所まで吹き飛ばされても、わたしにとって価値のある<場>があった。それは刺激的な、また、わたしをある面で大きく“生かして”くれる場でもあった。吹き飛ばされようが、見なかったことにされようが、わたしはその<場>への愛着を捨てることができなかった。
追い風がびゅうびゅう吹く中で、ほんの少し顔を出してみた。逆風は相変わらず強く、中心に向かっては一歩も歩み寄ることができないが、周りを楽しげに踊り回る花たちはわたしを誘ってくれている。
花たちに触れたくて手を伸ばしたところで、気がついた。乗れない風の中で、わたしはもう踊れない。踊ろうとしても、ステップが分からない。
「え、知ってるはずでしょ?」
花たちは言う。しかしいくら目をこらしても、それは見たことのないダンスだった。
好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのか。
答えはひとつ。やはり去るしかないのだ。<場>はひとつじゃない。世界は広い。
自分が自分らしくいられない<場>には、胸をはってサヨウナラと言おう。
by etsu_okabe
| 2006-01-09 22:48
| 日々のこと/エッセー