小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

自分を、見る

 一応女なので、毎朝鏡に顔を映す(男でも映しますか)。
 よほど差し迫った朝でない限り、鏡に映した顔をみるたびに思うことがある。

「この世で初めて自分の顔を見た人って、どう思っただろう」

 世の中に鏡が存在しない時代に人が自分の姿を見るとしたら、静かな湖面くらいのものだ。そうやって映った自分の姿に恋をして花になっちゃったギリシャの神様がいるが、それは所詮物語。湖や水たまりに映る姿など、色も乏しく曖昧だ。
 自分と他人の容姿を比較できなかった時代には、顔の造作は人の価値を計る基準ではなかったに違いない。とすると、鏡の発明とは美容の誕生、人が自分自身に強迫される歴史の始まりだったのか。ああ本当は、自分の姿など一生見れない方が幸せだったのではないだろうか。
 いやまてよ、とまた考える。
 鏡は鏡、ナマじゃない。写真やビデオだって、レンズを通したニセモノ。つまり、今だってわたしは、ただの一度も「生の自分の顔」を見たことはないということだ。
 ナマで見るA子の顔と、鏡に映ったA子の顔は、違う。実物と湖面ほどではないにしても、確実に誤差はある。僅かではあるが“誤差のある自分の顔”しか、わたしは見たことがないのだ。
 そう考えると、ナマの自分を想像するのが恐くなってくる。人がドッペルゲンガーを恐れる理由がよく分かった。最も知っているつもりで最も未知なるもの、それが「自分」なのだ。

 実は昨日、生まれて初めて自分の内蔵を見た。胃カメラを飲んだのだ。
 自分のモノなのに、これほどしんどい思いをしなければ決して見ることのできない身体の一部。ピンクでぬるぬるぷるんぷるんのわたしの胃袋。こんなモンがたった今もわたしの中にあるのが信じられないが、不摂生で酷使したせいで赤く炎症を起こしているのを見たら、なんとなく愛おしさが生まれてきた。
 そして突然、肉体は“わたしのモノ”ではないような気がしてきた。
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by etsu_okabe | 2006-04-07 02:20 | 日々のこと/エッセー