小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

制御不能な「怒り」

 小学6年生の女の子が同級生をカッターで殺した事件のことを、一日中考えていた。
「命の大切さを教えなければいけない」
「インターネットの危険性について教えなければいけない」
「悩みを打ち明けられるような家庭環境が必要だ」
 どれもこれも、トンチンカンに思えて仕方ない。

 問題は、「怒り」のコントロールではないだろうか。
 わたし自身が、怒り感情をどうにもコントロールできなかった時期があるので、そんな風に考えてしまう。

 小さい頃は口が達者で、誰でも言い負かす自信があったイヤなガキだったわたしが、思春期の頃、突然そうできなくなった。相手を倒すためだけに次から次へと繰り出す理屈ヘリクツの数々が、実はものすごい矛盾を孕んだ浅はかなモノだということに気づいたからだ。それまでの自分を、心底恥ずかしいと思った。
 そうして言葉のパンチで自分を正当化することをやめて以降、「言いたいことをちゃんと言えない」というしんどい状況に何度も陥った。それは、相手がかつての自分と同じ、にわか作りの薄っぺらいヘリクツを撃ちこんできたときだ。こちらが何を言い返しても、そういう人の心には何も入っていかないことを、わたしはよーく知っている。だから、黙ってしまうのだ。
 ところが、相手はわたしが黙ったことで調子づいてしまうのか、自分の言葉に酔い、自身の正当化を通り越してこちらを傷つけにかかる。これは本当に辛い、ストレスフルなことだった。
 それがしばらく続いたあと、突然「怒り」が制御不能になった。
 そのときわたしがどうなったのかは、書きたくない。人は殺していないが、殺してもおかしくなかったと思う。漫画のように、全身の毛が逆立つ怒りだった。しかもそれは一瞬ではおさまらず、胸の底で石となり悶々と転がり続けた。

 そんな真っ黒な石はいつの間にか消えてしまったが、今でもわたしは言葉の攻撃の前には沈黙してしまうことが多い。そして、自分の様々な感情の中で「怒り」が最も恐ろしい。

 11歳の女の子が、交換日記やネットの掲示板で誹謗されたことに対して、それが「悪事」と知っているからこそ同じ誹謗をやり返すことができず、他に怒りを鎮める術を持てなかったこと、よく、分かる。少なくとも、同じ状況に置かれたとき、自殺をしてしまう子の気持ちよりも、カッターを握ってしまった子の気持ちの方が、分かる。
 だからわたしは、彼女に「殺人はいけない」「命は大切に」なんて言葉、とても吐けない。
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by etsu_okabe | 2004-06-04 03:10 | 日々のこと/エッセー