小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

負けず嫌い

 何がなんでも自分の落ち度を認めないという人がいる。

 以前いた会社でのこと。
 業務上深刻な問題が発生し、お客様に迷惑をかけてしまったため、遠方までお詫びに行かなければならないという事態になった。
 憤慨している客は、部署のリーダーのみならず、電話で対応した女性社員にも謝罪に来るよう言っている。そう聞いた途端、
「あたしは絶対に謝らない! 行ってやってもいいけど、あたしは悪くないから、一言も謝る気はないし、頭も絶対に下げない! 謝るべきは配送業者だ。伝票の筆跡を鑑定しろ。最初の手配をした××君の方が疑わしい。電話に出たのは本当にあたしか声紋を調べろ。云々かんぬん……」
 指摘された女性社員が、顔を真っ赤にして怒鳴った。
 ひとつの行程を、何人かの社員で手分けして行う仕事の中で、彼女はたまたま相手からの電話を受けだけのことだ。たとえ自分に何の落ち度がなかったとしても、会社を代表する者の一人として、謝罪するのは当然のことだろう。こちらの手違いで被害を被ったのは、客なのだ。
 ところが、彼女はとにかく「あたしは悪くない!」の一点張りで、このまま連れて行っては、丸く収まるはずのものが却ってこじれてしまうことは明白だった。
「相手は電話の声しか聞いてないのだから、女だったら誰でも大丈夫でしょう。代わりにわたしが行きますよ」
 そう申し出てみたが、今度は上司が許さない。彼女の言い草が気に入らず、引っ込みがつかなくなったのだ。
「お前が電話でいい加減な対応をしたから、問題が大きくなってしまったのだ。だから必ずお前が行って謝ってこい!」
 負けじと胴間声を張り上げる。
 確かにそうそうだった。
 客が不審を感じて確認のためにかけてきた電話に対し、彼女は例の「あたしじゃない!」精神で、最初から威圧的に「あたしは決して間違っていない。そっちが勘違いしているのだ」という態度で対応をしてしまった。そのせいで、いつもなら
「すいません、こちらの手違いでした。すぐに手配し直します」
 と、電話一本で済むくらいのよく起こる問題が、こじれにこじれて泥沼化し、とうとう新幹線で行かねばならぬほど遠いところまで、菓子折り抱えて行くハメになったのだった。

 確かに、モトを質せば彼女が悪いわけではない。もう細かいことは忘れてしまったが、配送業者のミスだったか、誰かの伝票の書き間違いだったか、とにかく彼女が引き起こした問題ではなかった。

 しかし、ここで問題なのは、「誰が犯人か」ということではないのだ。

 レストランで虫の入ったスープを出されて、呼びつけたウエイターに「いやあ、わたしが作ったんじゃないですから」などと言われたら、どうだろうか。そこへシェフがやってきて「俺がスープをよそったときには虫なんて絶対に入っていなかった。運んだウエイトレスが悪いのだ」。ウエイトレスは「わたしはそんなの知りません。テーブルに置いた後に入ったんでしょ。お客さんの不注意じゃないですか」。と、こんな対応だったらどうだろうか。
 3人とも嘘をついているわけではなく、本当に身に覚えがないとしても、そこがレストランであり、客が不快な思いをしたのなら、3人が3人とも客に謝罪するのが本来のあり方だ。客が望んでいるのは、犯人探しではないのだから。

「○○さん、あなたが問題の原因ではないってことは、誰もが分かっているよ。今問題なのはそういうことではなくて、たった今、この会社の手落ちのせいで被害を被った人がいて、不愉快な思いをしているってことなんだよ。犯人が誰かなんてことはさておいて、この会社が一番大事にしなきゃいけないお客様に対して、会社の一員として素直に謝罪するべきではないのかな」
 わたしが彼女にそう言うと、返ってきたのはこんな言葉だった。

「あたし、究極の負けず嫌いですから」

 負けず嫌いというのは、死んでも謝らないということなのか。どんな言い訳を使ってでも己を正当化することなのか。他人を責めることで勝ったつもりになることなのか。
 答えはいずれも、ノン、ノン、ノンだ!
 負けず嫌いとは、どんな勝負でも敗者にならぬよう、あらゆることに死ぬほど努力することを言うのだ。
 あなたのはただの、えばりんぼうの幼稚なお山の大将だよ。一生言い訳しながら生きていきな。心の中でそう吐き捨てて数ヶ月後、わたしはその職場を捨てました。
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by etsu_okabe | 2006-10-12 00:21 | 日々のこと/エッセー