小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

だから捨てました

 テレビを捨てて、4年になる。
 観たいものがあるわけでもないのについ点けたテレビで、たまたま放送していた面白くもない番組(主観ですよ)を、気がつけば数時間もぼけーっと観てしまう。スイッチオフしたあと、しーんとなった部屋の中で、時計を見てがっくりと後悔するときの虚しさときたら。
 かつて「一億総白痴」いう言葉でテレビ批判をした人がいたが、わたしはまさにこのとき、己の白痴化に怯えてテレビを捨てた。

 Wikiに「一億総白痴化」という項目があったので読んでみると、1957年にこの発言をした大宅壮一は、バラエティ番組で「出演者が早慶戦で慶應側の応援席に入って早稲田の応援旗を振り、大変な騒ぎになって摘み出される」というシーンを見て「アホか」と呆れ返り、一億総白痴の言葉に繋がったという。
 それだ。わたしを激しく後悔させるのも、その手の番組だ。芸で「笑わせる」のではなく、奇異な行為や己の無知を晒して「笑われる」だけの番組。
 50年経った今も同様の番組が作られ、垂れ流されているということに驚いてしまう。

 わたしは何も、バラエティやお笑い番組を全否定しているわけではない。それどころか、いずれもわたしには必要なものだ。

 数年前、会社員としてデザインの仕事をしていたとき、毎日終電で帰って始発で出社、土日も出勤、などという馬鹿馬鹿しい働き方をしたことがある。そんな身も心もボロボロだったわたしを生き返らせてくれたのは、「ごっつええ感じ」のビデオだった。
 そのあと勤めたWEB制作会社でも、毎晩午前様帰宅で腸炎を起こしながら働くという過酷な生活の中、崩れそうなわたしを助けてくれたのは「笑う犬」のDVDだった。
 ふらふらで家にたどり着き、倒れるようにベッドに入る。本当は1分でも長く眠りたいはずなのに、それらのビデオ・DVDを観なければ、わたしは眠ることができなかった。恋人の抱擁よりも、そちらの方がわたしを眠らせてくれた。
 笑うことで、張りつめた緊張をほぐしていたのだと思う。そうしていなければ、わたしの神経はいつかぷっつりと切れていただろう。あのとき過労死もうつ病自殺もせず、その一歩手前で正気を保ちとどまれたのは、あの二つのお笑い番組のお陰だとわたしは思っている。
 だから今でもわたしは、心が疲れると、笑わせてくれるテレビ番組を観たいと思うのだ。
 ところが、たまに実家に帰って最近のお笑い番組を見ても、爆笑しているのはテレビの中の観客だけで、こちらはちっとも笑えない。それでもぼけーっと最後まで見てしまい、またしても虚しい後悔に襲われる。
 しかたがないので最近のわたしは、もう何度も見たはずのキャシー塚本(ごっつええ)や小須田部長(笑う犬)を見て、ささくれた心を癒している。もう、この頃のダウンタウンとウッチャンがいればいいかなとも思うが、それも寂しい。
 あんなふうにわたしを救ってくれる新しい「笑い」の番組、ないだろうか。

 まあでも、あったとしても、やっぱりテレビは置かない。
 わたしに「ぼけーっと数時間の後悔」をさせる番組がそこにある限り、「面白くなければスイッチを切る」という意志を貫くことができないわたしには、テレビは持ってはいけないモノなのだ。
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by etsu_okabe | 2009-02-15 23:57 | 日々のこと/エッセー