小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

2009年夏の締め。谷中~新宿・寺巡り

a0013420_17114145.jpg 2009年夏の締めは、都内・谷中&新宿の寺巡り。
 まずは谷中へ。目的は『全生庵』の幽霊画展。
 絵画には詳しくないが、伊藤晴雨と月岡芳年の作には感動した。どちらもこれまで目の醒めるような鮮血ドバッ、というような種類の絵しか見たことがなかったので、目の前の幽きモノが同じ作者の手によるというのが面白かった。
 写真は、途中で出くわした谷中霊園を突っ切る子供神輿。みんな、宿題は終わったかな?

a0013420_1413792.jpg 谷中を出ると、新宿へ移動。ここでの目的は、かつての宿場町・内藤新宿の頃からあったお寺を巡ること。
 伊勢丹会館で軽くランチをしてから、新宿三丁目の寄席『末広亭』の脇を通って「新宿二丁目」へ向かう。宿場町の頃には飯盛女(遊女)を抱えた旅籠が並び、戦後には赤線地帯となった地域だ。現在は言わずと知れたゲイ・タウンだが、日中はさすがに閑散としている。
 正受院の奪衣婆(だつえば)象を拝んで、隣の成覚寺へ。
 写真はここにある「子供合埋碑」。「子供」というのは遊女の呼び名で、これは彼女らの共同墓地。つまりここはかつて“投げ込み寺”だった。「年季明け前に病死した遊女は、むしろに簀巻きにされてここに打ち棄てられた」とよく語られるが、本当のところはどうかわからない。
 文字通り体を酷使し、ろくな食事もせず医療も受けずに働いた彼女たちは、恐ろしく短命だったことだろう。死んでも死に切れないほどの恨みを抱えているに違いない女たちの亡骸を抱えているのに、なぜこの土地は今でも栄え続けているのだろう。
 深く頭を垂れて合掌し、日差しの照りつける雑踏に戻る。

a0013420_1743286.jpg 再び新宿二丁目のメインストリートを通って、着いたのは太宗寺。ここも江戸から続く古い寺で、内藤新宿の名の元にもなった高遠藩内藤氏の菩提寺である。
 ここの目玉は、なんといっても「閻魔」と「奪衣婆」の巨像。写真ではその大きさと恐ろしさが伝わらないのが残念。奪衣婆は横にいるので写真には撮れなかった。



a0013420_1752134.jpg こちらは同じく太宗寺にある「塩かけ地蔵」。願掛けをして叶ったら、お礼に塩を盛るんだそう。
 その塩の量すさまじく、よほどのご利益だと慌てて願掛けを試みるも、舐めてみたい衝動に気が散って、結局何も願えずじまい。










a0013420_18112369.jpg 新宿二丁目を離れ、甲州街道を渡って次に訪れたのは、天龍寺。一見新しいお寺に見えるが、そこにある鐘(写真)は、江戸の三大名鐘と言われた、時の鐘。
 関係ないが、この寺の裏手は、小さな素泊まりビジネスホテルの密集地になっていた。どんな人がどういうふうに利用するのか分からないが、薄暗くあやしげな宿ばかりでなく、小奇麗な新しいビルもあった。新宿で終電を逃したら、ここで泊まっていくという方法もあるか、と思うが、どうなんだろう。

a0013420_1825830.jpg 最後は花園神社。かつてこの裏手にあるビルで働いており、すぐ隣のゴールデン街に足げく通っていたこともあって、馴染みの深い場所だ。
 お賽銭をはずんで「またちょっとお世話になります。ひとつよろしく」と挨拶すると、お腹がぐ~~~っ。

 ゴールデン街を突っ切って歌舞伎町『うな鐡』へ。
 うなぎの串焼きを肴に日本酒で、この夏をきりりとしめくくったのでありました。
 ああ、さみしい。一年の半分が夏ならいいのに。
[PR]
by etsu_okabe | 2009-08-31 18:29 | 日々のこと/エッセー