小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

25年前の恋

「あなたは、俺が本気で好きになった女性だった」
 そう言ってわたしを見つめた目尻に、あの頃にはなかった深い皺がある。仕事をしている手は、荒れてがさがさだ。でも、憎めない笑顔は変わらない。25年前に恋人だった人は、なかなか素敵に年をとっていた。

 前橋に帰った日、色々な偶然が重なって急に彼と顔を合わせることになってしまったが、たった3か月しかもたなかった恋愛はわたしにとってそれほど大きな思い出も思い入れもなく、会うまでは正直言って、気が重たかった。

 25年前。高校を卒業したばかりの子供だったわたしに対し、彼は1年しか年長とは思えないほど大人びた人だった。学校を卒業したら実家に戻って、将来後を継ぐことになる父親の会社に入らなければならない。そのことを何の抵抗もなく受け入れ、地に足をつけて勉強をしている人だった。ナンパと遊びのことしか考えていない同級生たちとは一歩離れて、年上の人や経営者の先輩などとつき合うことが多かった。将来を決めているからか、言葉にしなくても「結婚」が彼の頭の中にあることはわかっていた。わたしはそれが、恐ろしかったのだ。
 わたしにはまだ、将来を決める覚悟などまったくできていなかった。バンド仲間とちゃらちゃら遊ぶことが何よりも楽しかったし、夢もあった。一日でも早く故郷を出て、見知らぬ街で暮らしてみたかった。
 そんなわたしの日々の行動は、彼には危なっかしくて不安だったのだろう。今にしてみればしかたないと思うが、彼はわたしの生活を干渉するようになった。冗談じゃない。世の中で最も嫌いなことが「束縛」だったわたしは、自由を得るために嘘をついた。当然疑われ、ますます干渉は強くなった。あとは不毛な喧嘩の連続だ。
 3か月でわたしはギブアップした。彼は泣いたけれど、わたしは一滴の涙も出さなかった。心優しい一人の人間を傷つけておいて、「あ~せいせいした!」などとほざく子供だった。彼の方はずっとこの恋愛を引き摺っていたそうだ。そういえば、何度か電話がかかってきたっけ。そんなときも、わたしはきっと冷たい態度をとったと思う。

 彼は父親の会社を継いで、しっかり経営者になっているようだ。家庭も円満なのだろう。奥さんはきっと、彼と一緒に苦労をしながら会社も家庭も支えてくれる、優しい人に違いない。そんな様子が分かる落ち着いた態度の彼を見ていて、色々な思いがよぎった。
 あの頃わたしがもう少し大人だったら、彼とのつき合いの中で得られたものがたくさんあったはずだ。せっかく恋人になったのに、わたしは大切なことをおざなりにしてしまった。
 少しは大人になった今だから、分かる。結婚をして幸せになりたかったら、こういう人と一緒になればいい。わたしには、そのチャンスがあったのだ。そしてそういう幸せを、わたしはあの頃から今日まで、ずっとずっとずうーーーーっと、強く手に入れたいと思えないで生きてきた。そういう性分なのだろう。

「ごめんね。あの頃のわたしは、どうしようもないガキだったの。許して」
 わたしがそう言うと、彼は懐かしい笑顔をこちらに向けた。
「25年後にこうして会えると分かっていたら、俺は結婚しないで今日を待ってたよ」
 冗談だとわかっていても、嬉しい気持ちがふわっと胸に広がって、体温が1、2度上がったと思う(笑)。以来3日間、この台詞はわたしをニヤニヤさせた。

 何の思い出も思い入れもないなどと思っていたが、そんなことはなかった。ほんの一瞬の間だったけれど、彼との時間があって、今のわたしがいる。
 話していて、当時彼がわたしのことをどれだけ理解し、受け入れようとしてくれていたかが分かり、本当に驚いた。そのことを知れと、昼間墓参りをした父親が、わたしと彼を引き合わせたのかもしれないな。
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by etsu_okabe | 2009-09-06 22:13 | 日々のこと/エッセー