小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

カテゴリ:音・詩のこと( 30 )

 前の記事を書いたあと、Twitterで「歌手自身の釈明もありますが、岡部さんの好意的な解釈とはほど遠いと思いますよ」というリプライが来た。添えられたリンク先に、文月メイさんの文章があったので読んだ。
 なるほど確かに、彼女の言う"子から親への無償の愛"というのは、わたしが思う"保護が必要な間は、愛されるために愛してしまう悲劇"ということとは、微妙にイコールではない。
 つまり、わたしはこの歌の解釈を、間違ったというわけだ。
 だとしても、わたしはこの歌い手さんに対して「歌詞を書き直せ」とも「音源の販売やネットへのアップをやめろ」とも言う気はない。むしろ、アーティストとして一度世に出した歌は、どんな批判や作者の意図から外れた賛同にもみくちゃにされても、凛としてただ歌い続けて欲しいと思う。「子から親への無償の愛」を信じて書いたなら、信じて歌うべきだ。彼女が児童虐待に関わる仕事をしている立場なら話は別だが、彼女は、歌手なのだから。
 そしてわたしは、歌詞の内容とは関係なくタイプとして好まないあの歌を、今後聴くことはないだろうが、もし聴いて感想を求められたとしたら「ちょっと異議あり」と言い続ける。もちろん彼女の他の歌で好きなものがあれば「好き」と言う。
 歌と聴衆との関係とは、そういうものだと思う。小説と読者も、映画と観客も、しかり。
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by etsu_okabe | 2013-11-16 23:51 | 音・詩のこと
 文月メイさんの「ママ」という歌について、ネット上で再び話題になっているのを見かけたので、今思ったことを書いておくことにした。

 幼児虐待をテーマにしたこの歌を、わたしも最初にネット上で話題になったときに、一度だけ聴いた。
 音楽的に好きなタイプのものではなかったので、特に感想は書かなかったが、歌詞の内容については特に違和感を覚えなかった。それは以前、幼児虐待について調べていて『保護が必要な子供である間、子供は自分を殺そうとする親でさえ、愛されるために愛してしまうという悲劇がある』ことを知っていたからだ。

 この歌で、子供はその「愛してしまう悲劇」の渦中に親によって殺され、天使となって母親を愛し続ける。

 そして今、この歌詞に違和感や反感を持つ人たちの意見を、Web上で拾い読んでみると、
 ・気持ち悪い、反吐が出そう
 ・こういう虐待児が理想なんすね
 ・親を切り捨てないと幸せになれない私を責めている
 ・被虐待児を追いつめる歌
 ・母があの歌を聴いたら、自分の罪が浄化されたと錯覚しそうだ
 などなど……。

 彼らは虐待の中「殺されず」に生き延び、大人になった人たちだ。親の保護がいらない年になれば、自分を殺そうとした親を憎んで当たり前だと思う。
 被害者である彼らが「我慢して」「努力して」それを克服し、親を赦すべきだという考えには、わたしはそれこそ反吐が出る。「赦し」は一見、その人間のステージを上げたように見えて、その場しのぎの自己慰安である場合が多いからだ。それでは罪人が得をするだけで、この「罪業」を鎮めることにはならない。それに被害者は、その場しのぎの自己慰安では、本当の意味で癒されも救われもしない。

 ところでこの歌は、幼児虐待のサバイバーたちに対して「あなたを殺そうとした親を赦せ」と歌っているのだろうか。
 自分を殺そうとする親でも、愛されるために愛してしまう子供が、その悲惨な愛を抱えたまま殺され、死んでなおその愛情で親を愛し続ける。そんな歌詞はわたしには、悲劇の上に重なるさらなる悲劇に見える。親を憎めるようになるまで育ててもらえなかった子供が、愛に溢れる天使になるという結末は、痛烈な皮肉に映る。
 文月さんは、ただただその無惨を歌っているのではないだろうか、と思うのだが、どうだろう。

 思ったことを、脈絡なく書いた。
 そしてそのあと、追記を書きました。
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by etsu_okabe | 2013-11-16 15:07 | 音・詩のこと
 スガダイロー氏が池袋あうるすぽっとで繰り広げている『瞬か』第二夜、VS飴屋法水に行ってきた。

 仰天した。飴屋法水氏が演じたのは、ピアニストを前にピアノを陵辱していくというパフォーマンスだったのだ。それも、一筋縄ではない。
 彼はまず、淡々とピアノの歴史について語り出した。続いてピアノの構造、ピアノにまつわる様々なエピソードを。それは、ピアノへの思慕のように聞こえた。ところが、彼はそんな言葉の合間合間にピアノと戯れ、やがて乱暴に扱い、よじ上り、踏みつけ、次第にピアノを犯していったのだ。

 対するスガダイロー氏は、陵辱され、しまいには殺されていく数台の古ピアノを前に、唯一その魔手を寄せつけぬピアノを、ひたすら生かし、生かし、生かしまくった。それはまるで、狼に喰われる仲間を淡々と見つめる野生の鹿のように、冷淡で活力に満ちていた。
 紐にくくられ、吊るし首となったピアノの欠片たちがゆらゆらと揺れる下で、生き残りのピアノを「弾き終える」などという最後はないように思った。ならばどう「終わる」のか。息を飲んで見守る。

 なんとピアニストは、唐突に、それを終え、後ろ足で砂を蹴るようにして、舞台を去った。

 そこに誰もいなければ、わたしは叫びたかった。駆け回りたかった。そして自分で自分を殴りたくもあった。
 体の芯で、衝動がぐらぐら煮えだした。

>>『スガダイロー 五夜公演 瞬か』

●追記
 舞台上で楽器を壊すパフォーマンスは、そう珍しいことじゃない。でもそれはわたしが知る限り、プレイヤー本人が、自分の楽器を、演奏の延長としての昇華といった意味合いで、破壊したり燃やしたりするというものだった。
 しかし飴屋氏のそれは、まるで違う。「僕はピアノを弾かない」という宣言のあと、ハンマーという<武器>を握ってなされた行為なのだ。ピアノを弾かない男が、ピアノを弾く男の目の前で、ピアノを犯す。ピアニストは、ピアノを弾き続ける限り、他のピアノは助けられない。そういう対話だったのだ。

●追記2
 これはまったく余談だけれども、ピアノへの思慕ともとれる蘊蓄を語りつつピアノを陵辱していく様は、「愛している」と言いながら女を辱める「男」という生き物そのものの体現ではないか、などとも思ったことを、ここにこっそり告白しておく。
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by etsu_okabe | 2013-11-02 02:52 | 音・詩のこと

靴擦れ

【靴擦れ】

とっても好きな人が、褒めてくれた靴があって
その靴を履いた日は、いつも幸せだったのだけれど
とっても好きな人を、手放そうと決めた日に
履いて出かけたら
両足とも、酷い靴擦れになった
血だらけの足を見ながら、
わたしはきっと、幸せだと思っていたあの日々にだって
無理してこの靴を履いていたんだ
と気がついた

   ・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、おもいきり靴擦れして、そのあまりの痛さに、詩を生んでしまいました。
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by etsu_okabe | 2013-07-31 21:00 | 音・詩のこと
a0013420_10371016.jpg 大大大好きな彼ら、リトルキヨシトミニマム!gnk!が、満を持してのメジャーデビュー!
 そのレコ初ライブが明日12月3日、<下北沢CLUB Que>で行われる。

 昨年末、わたしはデビュー単行本「枯骨の恋」の執筆中、彼らはこのアルバム「ほんとう」の曲作りのまっ最中というときに、ライブハウスで会ったとき、
「わたし、あと●●●枚分、書かなきゃいけないの」
「俺たち、あと●●曲っす」
「わあ、競争だ。お互い頑張ろうね!」
 こんな会話を交わした覚えがある。
 余裕の笑顔でいる彼らを、心の中で「いいな~、あなたたちって二人でー」と羨みながら、負けてらんないぞと鉢巻を締め直したのだった。
 これからますます大活躍するであろう彼ら、ほんとに、負けてらんないっ!

 リトルキヨシトミニマム!gnk!オフィシャルサイトはこちら⇒2-peace
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by etsu_okabe | 2009-12-02 10:57 | 音・詩のこと
 待ちに待ったリトルキヨシトミニマム!gnk!のワンマンライブがとうとう今夜!

 9月18日(金) 18:30/OPEN 19:00/START
 @下北沢 Club Que

 ここ数日、キヨシ君ゲンキ君と電話で話したが、メジャー第一弾の音源を録り終えたばかりの彼ら、なんだか「シャキン!」と音でもしそうな、ぐぐっとでっかくなった感じで、ますますライブが楽しみになった。
 ギターとドラムと声2つ。これだけを武器に彼らが生み出す音楽は、実に自由でしなやか、そして繊細で優しい。そのライブに身を浸すと、熱くなったり甘くなったり切り裂かれたり抱きしめられたり。ドラマチックな音に包まれて、あっと言う間に彼らの世界に連れていかれる。

 今日の当日券があるのかどうか、確認し忘れてしまったが(ワンマンは毎度完売だ)、興味のある方はぜひお問合せの後お運びを。損はさせないと、こればかりは胸を張って保証する。

>>リトルキヨシトミニマム!gnk! 公式サイト
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by etsu_okabe | 2009-09-18 08:18 | 音・詩のこと

Over the Rainbow

a0013420_1225383.jpg 仕事先の八丁堀で、パチリ。
♪Somewhere over the Rainbow~ル~ル~ル~(以下、ルルル)
 虹を見ると、必ず歌ってしまう。言わずと知れた、ミュージカル「オズの魔法使い」の劇中歌だ。

 子供の頃の日曜日、朝寝する両親が起きるまで、ベッドで絵本を読むのが楽しみだった。そのために学校の図書館で本を借りておくのだが、たいていすぐに読んでしまって日曜までもたない。だから結局いつも、部屋の本棚にある手垢のついた本から選ぶことになる。
「オズの魔法使い」もこの頃読んだ絵本の中にあり、わたしのお気に入りの一冊だった。
 その後テレビドラマになった(色セロハンのメガネで見ると映像が飛び出すという画期的な番組。ドロシー役のシェリーが可愛いかった)のも夢中で見たし、もう少し大きくなってからジュディ・ガーランドの映画を観て、あの歌にしびれた。

 虹の彼方にきっとある、夢のかなう国
 鳥のように飛んで、わたしはいつかそこにいく

 田舎暮らしに辟易する少女が胸を膨らませて夢見る未来に、幼いわたしは深く共感した。夢は叶うと、無邪気に信じていた頃のことだ。
 今、あの歌を口ずさみながら、わたしは別の意味で心を揺さぶられる。大人になるということは、虹は永遠に追いつけないということを知る旅だと、知ってしまったから。


a0013420_1234413.jpg 右の写真は、わたしが幼い頃何十回と読み返した世界文化社「少年少女世界の名作」シリーズの「オズの魔法使い」(今回調べて知ったのだが、岸田衿子さんの翻訳だった)。
 このシリーズでは他に「青い鳥(いわささきちひろの絵だった!)」「クリスマス・キャロル」「幸せの王子」「おおかみ王ロボ」「小公子」など、強烈に印象に残っているものが多い。一部復刻しているようなのだが、全巻読み返してみたいなあ。







⇒岡部えつ『枯骨の恋』6月5日発売
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by etsu_okabe | 2009-05-09 01:30 | 音・詩のこと
およそ30年前、中三の夏の衝撃以来、わたしの青春のすべてだった、RC SUCCESSION 忌野清志郎が、死んでしまった。
わたしの15歳~26歳までの思い出には、いつもRCの曲がBGMについてくる。

RC解散後は、それほど熱心にライブに行くこともなかった。
久保講堂の復刻ライブ版など、きつくて聴く気になれなかった。
あまりにも、深く愛しすぎたミュージシャンだった。

こんなにショックを受けるなんて、自分でも意外だ。

清志郎。ありがとう。
あなたがいたから、わたしはこんな大人になれた。

悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。

悲しいよう。
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by etsu_okabe | 2009-05-02 23:39 | 音・詩のこと
a0013420_1437544.jpg 今年に入ってから、これまでに使ったことのない神経やらすっかり甘えさせていた筋肉やらを一気に使ったせいで、わたしのあちこちがおそらくオーバーヒートしていたんだと思う。先週土曜日から4日間、ひどい下痢を起こしてダウンしてしまった。
 ただそれだけなら寝込みましたで済むことなのだが、これがもう、わたしにとってとても大事な一日にぶつかったのだからたまらない。
 それは4月26日(日)、エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル@サントリーホール。

 あれは昨年末のこと。
 幽・怪談文学賞の受賞の喜びもつかの間、翌年に出してくださるという単行本のために、あと数百枚分の怪談を、たった三か月弱で書かねばならないという重圧におしつぶされそうになりながら、毎日机にかじりついていた日々のことである。
 わたしの机には、iMacG5とノートPCが載っている。小説の執筆もWEBの仕事もノートPCを使い、iMacは音楽を流したりニュースを見たり、休憩に動画サイトを見たりするのに使っている。
 その日もなんとなくYouTubeを見ているうちに、ユンディ・リが弾くリストの「ラ・カンパネラ」に行き当たり、あらためてそのメロディの美しさとテクニックの素晴らしさに感動して、この曲のいろんなピアニストの演奏を浴びるように聴いてみたくなった。
 早速YouTube内を「la Campanella」で検索し、引っかかった動画をがしがし再生リストにぶちこんで集めた20曲ほどを、連続して何時間も聞き続けるということをしていたのだが、その中で、なぜかある一人の演奏家のときだけ、仕事の手を止めて動画に見入ってしまう。
 それが、ロシアが生んだ天才ピアニスト、エフゲニー・キーシンだった。
「ミュージシャンは顔も命」のわたしにとって、彼の容姿は百点満点。しかしもちろんそれだけじゃない。わたしの手を止めさせたのは、その演奏だ。むちゃくちゃ繊細なのに情熱的! 奥の方でちろちろ燃えていた火が次第に空気を孕んで広がり、しまいに一気大炎上~という、おいしいご飯を炊くのにも似たこの技巧(音楽について語る語彙を持たないのですみません)。
 次の瞬間、わたしは「Evgeny Kissin」という再生リストを作った。そこには50本近くの動画がぶちこまれている。もちろんCDも買い集めた。リスト、ショパン、プロコフィエフ、ベートーベン・・・・・・何を弾いても、燃える。どんな曲も燃やし尽くします、この男の子は。
 で、煮詰まってはキーシン君に逃げる日々を送る中で、ふと彼の公式サイトを見てみれば、日本公演が組まれているではないかー! それも4月! ああもうその頃のわたしは、あれやこれやが終わってすっきり晴れ晴れのはず! そうだ、これを励みに頑張ろう!!!!
 eプラスで調べてみれば、すでに残席僅か。ぎりぎりのところでゲットしたチケットだった。ここが取れなきゃ大阪でも名古屋でも行くつもりだった。

 その、そのピアノリサイタルの前日、家から一歩たりとも出られないほどの激しいお祭りが、わたしのお腹の中で突然開催されてしまったのだ。
 日曜日になっても、お祭りは大盛況だった。とても無理だ。でもしかし。このために頑張ったのに。キーシン君、いやジェニー(勝手につけたニックネーム)の演奏姿をひと目見たい~~~。
 意を決し、わたしはシャワーを浴びて家を出た。祭りはまだまだ佳境。駅のたびにトイレへダッシュ。サントリーホールに着いても、まずはトイレ! ロビーでワインやシャンパンを楽しんでる人たちを恨めしく眺めながら入ると、鏡に幽霊のような真っ白い女が・・・・・・・わたしだった。
 しかし、さすがジェニー。前半は脂汗だらだらだったわたしを、後半はすっかり演奏に集中させてくれた。大満足! そしてこれでもかというアンコール。嬉しいやら辛いやらの苦笑いの拍手をしながら、あれ、背中がぞくぞくしてないか? ま、まさか、ね??
 そのまさかが当たり、その晩わたしはみごと発熱。翌日、翌々日と仕事を休み、各方面に大変ご迷惑をおかけしました、すみません!

 今日はもう熱もおさまり、お祭りも無事終了した模様。祭りのあとの、わびしさってとこ(うそ)。

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by etsu_okabe | 2009-04-29 14:59 | 音・詩のこと

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a0013420_2043177.jpg友達のバンド「木蓮」の音が、テレビCMで流れている。
曲は、大好きな「木蓮」(バンド名と同じ)。

あいにくテレビを持たないので、WEBサイトで見たが、何度聴いてもいい曲だなぁ。
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by etsu_okabe | 2008-04-06 20:11 | 音・詩のこと