小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

カテゴリ:日々のこと/エッセー( 210 )

「助けてください」
 と、手を差し出された。
 数年前に、2度か3度、会ったことのある人だった。
 子供の頃から壮絶ないじめに遭いながら、家族、教師を含め大人からの助けをまったく得られず、学校という地獄から逃れて大人になった今でも、そのときの傷に苦しんでいるという人だ。
 その苦しみは、壮絶を極める。普通人間が決して口にしないものを無理矢理食べさせられたために、今でも、ほとんどの食物を食べることができない。性的な暴力も多数受けたため、恋愛ができない。そして、慢性的な不眠。
 つまり、食欲、性欲、睡眠欲の、いずれもに大きな障害を負ったままなのだ。

 わたしが彼に会ったのは、そうした体験を語る場においてであり、個人的なつき合いは一切なかった。
 わたしは当時、社会学者の内藤朝雄さんと「パワハラネット」というサイトを立ち上げ(今は閉めている)、全国からパワーハラスメントの事例を集めていた。内藤さんはイジメ問題の研究者なので、その関係で彼の話を聞く機会を得たのだった。
 小説家としてデビューした後、彼が主催したいじめ問題イベントに出掛け、本を贈ったのが最後で、そのあと、メールのやりとりが数度あったきりだと思う。

 それだけの関係だったわたしに、たった一本繋がったSNSを通して、「助けて」と言ってきた彼に、わたしはどうすることもできない。
 彼が求めている「支援」「助け」を、わたし個人が差し出せないことは明白だ。それをわかっていて、優しい人を装って会い、話を聞くだけ聞き、最後に、すがりついてくる手を振りほどくなどということは、わたしにはできない。

『わたしは小説家です。小説家というのは、自分の知らない世界は覗いてみたいと常に思っていて、それを小説のネタにしてやろうと、いつでも企んでいる人種です。つまり、他人を傷つけながら生きているような人種なんです。
 わたしはそれを自覚しています。
 だから、とてもあなたの相談に乗るなど、軽卒なことはできないのです。』

 そう返すと、「専門家にも国にも支援を求めたが、どうにもならない。誰からも見放された私は、どうすればいいのか。岡部さんは小説家だから、興味本位でも話を聞いてくれるのではないかと期待して、助けを求めた。」と返事がきた。
 話を聞いてくれるだけでいい、と言いながら、やはり彼は助けを求めている。こちらの現状などおかまいなしに、自分を地獄から救ってくれる人を求めているのがわかる。

『話をきくだけでいいなら、メールをくだされば、読みます。
 ただ、現時点で、直接お会いすることはできません。
 明らかに窮状にある人に会って、要求に応えられず、相手を傷つけたりがっかりさせた場合、わたしはそれが自分のせいではないとわかっていても、罪悪感を抱えなければならなくなるからです。』

 正直にそう、返事をした。「負担を与えてしまい、申し訳なかった」と返信がきた。

 彼はたった今も、苦しんでいる。
 それは、わたしのせいではない。
 なのに、差し出された手を払ってしまったことで、罪悪感として、わたしは彼の苦しみの何分の一かを抱えてしまった。
 その分、彼の苦しみが軽くなったわけでもないのに。

 被害者が、助けを求めた相手に「申し訳なかった」と言わなければならない現状を、わたしは今、噛みしめている。

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by etsu_okabe | 2014-11-15 09:33 | 日々のこと/エッセー

憧れの苦手、着物。

 興味がないわけではないし、着ればそこそこ似合うだろうとも思うのだが、どうも縁遠い、着物。20代の頃に着付けを習いもしたが、続かなかった。代々引き継がれた着物が箪笥にあるような家に育った人などがする、着物ならではの優雅な所作を見るにつけ、わたしの領域ではないなと思ってしまう。
 そう、着物は所作と一体のお召し物なのだとわたしは思っていて、「そんな堅苦しく考える必要はない」「着ていれば所作もついてくる」「慣れだよ、慣れ」といくら言われても、着れば所作を「演じて」しまいそうな自分が、着る前から恥ずかしい。
 着物に負けているのだろう。気負っている時点でダメなのだ。
 しかし、着物のデザインや和柄は好きなので、そうした服はこれまでにも着てきた。下駄は普段履きとよそゆきを持っている。擦り切れるまで使って最近捨てたバッグは、和装用だ。
 そういえば、いかにも着こなしていそうな向田邦子さんは洋装の人で、亡くなる少し前のエッセイに、お祭りのため人に着物を着付けてもらう場面があって、へえと思ったことがある。

 それにしても、着付けを習うきっかけになった、バブルの熱に浮かされて買った着物一揃え30万円、結局袖を通したのは、たった一回だけである。稽古用に買ったポリエステル着物と母の古帯も、普段着に着れぬこともない。機会があれば、もう一度習ってみようか……と我ながら煮え切らない思いを残しつつ、ま、伸ばせば届くのに手が出せない、憧れているのに苦手なもの、なんてのがひとつくらいあるのもいいかなと、そのまま現在にいたっている。

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by etsu_okabe | 2014-11-08 12:28 | 日々のこと/エッセー

仕事歌(労作歌)

 20数年振りの相撲熱再燃のせいで、相撲甚句から興味が広がり、田植え唄、木挽き唄、地搗き唄、などの仕事歌(労作歌)について知りたくなっている。
 YouTubeにはコンテストや発表会などステージで歌われるものは上がっているが、わたしが見たいのは、実際労働現場で歌われている様子だ。機械化とともに消えていくそれらを、きっと誰かが映像などに残しているはず。

 去年、ちょっとした手術を受けて一週間ばかり入院をし、病院という場所で人の命を預かりながら過酷な仕事をしている人たちに触れて、以来、労働についてあらためて考えることがあった。
 この医療という仕事の他に、昔も今も、わたしが最も尊敬する仕事は、第一次産業だ。これらの仕事をしてくれる人がいなければ、わたしたちは生きていかれない。
 わたしも生意気に、小説を書いてちょっと苦しい思いをして、弱音を吐いたり体を壊したこともあったが、こうした不可欠な労働の過酷さを思ったら、恥ずかしいばかりだ。
 人間は、さまざまな労働力を持ち寄って、不足を補い合いながら生きている。その中で、自分の役割は何なのか。その価値はいかほどか。しんどくなったら考える。そうすると、さっと光が射してくる。

 そんないきさつもあっての、仕事唄。
 どこかに資料が残っていたら、ぜひ見てみたい。


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by etsu_okabe | 2014-11-07 20:51 | 日々のこと/エッセー
 これまでにも何度か書いたり言ったりしてきたが、「誰にも言わないって約束してね」と前置きしてからされた「内緒話」が漏洩したとき、責められるべきは漏らした者ではなく、「内緒話を最初に明かした本人」であるとわたしは思っている。
 内緒を約束させられて話を聞かされた人に、責任はない。たとえ彼が明らかに漏洩したのだとしても、悪いのは最初に話を外に持ち出した本人。責任もそこにある。
 だから、本当の秘密を、わたしは誰にも話さない。「これ内緒なんだけど」と、話を盛り上げるために前置きすることはあっても、それはいずれ公表するものか、漏れても構わないものだ。だいたい、自分は気持ちよく喋っておいて、それを聞いた他人が漏らしたのを責めるなど、お門違いもいいところだろう。

 さて。
 SNSなどの「限定公開」の使い方の中に、「内緒にしてね」の前置きに似た匂いのする事例をたまに見かけ、気にかかっている。
 範囲を区切って限定にしたところで、中身の文章も画像も簡単にコピー&ペーストできてしまう以上、それは限りなく「公開」と同じ意味を持つのに、なんとなく「公表ではありません」「友達だけに言います」という前提を匂わせている投稿。危なっかしいなと思う。
 たとえばFacebookの場合、小さなアイコンで示されているだけの「公開範囲」に、読み手ががいちいち留意して、内容の扱いに責任を負うべきだと考えているのだとしたら、いよいよ危ないと思う。

 リベンジポルノや、犯罪周囲の実名顔画像晒しなどでわかっているように、インターネットに一度載ったデータは、残る。複写される。移される。拡散される。そういう可能性がある。
 責任は、最初にそれを載せた人物にある。



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by etsu_okabe | 2014-10-05 11:38 | 日々のこと/エッセー
 『美味しんぼ』はこれまでちゃんと読んだことがないし、問題の号も読んでいないので、何も言えないなーと傍観していたのだが、ひとつ気になることがあったので、書き留めておくことにした。
 それは、フィクションの作品の中に挿入された作家の思想や正義は、"真実か誤りか" でジャッジすることだろうか、ということ。
 わたしは特段、美味しんぼ擁護をしようという気はない(何しろ読んでいないし)。ただ、ニュースでその概要に触れたとき、時に書き手、時に読み手である立場から、物語作品と作家の思想と読み手の感情について、考えないわけにはいかなかった。
 わたしが今福島に住んでいて、風評被害に苦しんでいたとしたら、その漫画を読んで「あったまくるー! こいつサイテー!!」と叫んでいたろうと思う。でも、一読者としてそう叫ぶことと、社会の一員として作品の抹消や改変や作家からの謝罪を要求するということは、まったく別問題だと思うのだ。

 それから「風評被害」について。
 嘘情報なんて、そこら中に溢れている。嘘を嘘と判断できれば、風評被害など生まれない。
 風評被害の一番の犯人は、嘘をついた一人の人物ではなく、それを受け止めて何かを載せたり曲げたりして「本当のこと」にして広めていく、たくさんの人間たちの口だろう。
 ではその口を止めるのは、難しいことだろうか。
 情報収集の手段が少なかった昔なら、それはなかなか消せる火ではなかったと思う。しかし今や、瞬時に情報を受け取れる時代だ。
 現にわたしは、その漫画に触れる機会もなく、その漫画を読んだ人から「嘘情報」を聞かされもしないうちに、「風評被害のもとになる漫画が出たよ」という情報を受け取った。
 おそらく多くの人が、そうだったろうと思う。
 なのに今もなお、世間が風評被害風評被害と騒いでいることに、素朴な疑問を感じる。
 もっと言ってしまうと、風評などよりも、そういう光景そのものが、わたしを不安にする。

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by etsu_okabe | 2014-05-15 21:01 | 日々のこと/エッセー
 『NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困』を観る。

 社会でバリバリ働きたくて奨学金を借りて(もらって、ではない)大学を出た子が、500万円以上の借金を背負って社会に出たものの、就職できぬまま時給800円のバイト生活を続けているという事例。
 その子の大学時代の友人で、運良く「正社員」雇用されたという女性の、毎日10時間働いて月給15万円ボーナスなしという、単純計算で年収180万円、時給換算で800円よりも低いという事例。
 家を借りる金がなく、ネットカフェで暮らす母と十代の娘二人という事例。
 シングルで妊娠したものの、子育てできる経済力がなく、子どもを手放す妊婦の事例。

 眉根に寄った皺が、戻らない。

 気になったのは、番組内でやたらと「自分の力で抜け出す」という言い回しがされていたことと、生活保護の話が微塵もされなかったことだ。
 わたしが大人しく今回の増税に従ったのは、彼女達のような存在を助ける福祉に、そのお金が回ると信じてのことだった。この時期に放送される番組であるなら、そのあたりをきっちり突っ込んでしかるべきではと、思わずにはおれない。

 そしてもうひとつ、出てきた女性たちが揃いも揃って「この貧困から抜け出すために」と勉強し、取得を目指しているのが、福祉関係の資格というのも気になった。つい最近、その薄給ゆえに離職する人が多いという報道を見たばかりの職種(介護職だったかな)だったからだ。
 本来頼って利用できるはずの彼女たちをとりこぼしている、今の福祉。そこにあえて身を投じようというのは、苦しみを知る彼女たちだからこそ持つ「苦しい人を助けたい」という、切実な感情からだと思う。
 これからの社会が、そうした人たちの感情や労働力を踏みにじるものであるなら、そこにはもう絶望しかない。
 わたしは、そんな社会に暮らしたくはない。

 貧困の問題は、そこに陥った人間の「怠惰」や「運命」の問題ではない。「社会がそれをどうするか」の問題だ。
 今、蟻地獄のように、そこに転落したものを見殺しにしていることが、わたしには不満で不安だ。
 どんな理由であれ、落ちた者が自力で這い上がれる「梯子」がかかっている社会であって欲しい。
 怠惰な人間は、梯子があっても上らないかもしれない。運の悪い人は、その梯子からまた落っこちてしまうかもしれない。
 しかしだからといって「梯子は無用」であるはずはない。
 たった今も、わたしの足下では、さらさらと砂が流れている。次の一歩で、蟻地獄にはまってしまうかもしれないのだ。


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by etsu_okabe | 2014-05-06 15:58 | 日々のこと/エッセー

トレンチコート

 10年以上、バーバリーのトレンチコートが欲しい欲しいと言い続けて、買えずにいる。
 洋服箪笥には、35年前に死んだ父の遺品であるバーバリーのトレンチコートが、処分できずに吊られている。レディースに仕立て直せないかと専門店に相談してみたこともあるが、そんな手間賃をかけるなら新品を買った方がいいと言われた。

 トレンチコートのルーツが軍服だというのを、最近知った。「トレンチ」とは、「塹壕」という意味だという。
 塹壕外套。と言われてしまうと、あまり着たくないような気にもなるが、しかし、やはりあのデザインは魅力的である。そう言えば子供の頃、戦争映画を観ていてナチスのコートをカッコイイと思っていたっけ。まあ、戦争というのはいつの時代でも、芸術的モチーフとしてのなんらかの力はあるものだ(もちろん、戦争反対ですけど)。

 考えてみると、「機能」をつきつめて生まれたデザインというのは、男の子が持つマシン系のモノへの偏愛と、女の子が持つ綺麗なモノへの偏愛の、交差点なのかもしれない。「美」という円交差。

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by etsu_okabe | 2014-03-27 22:26 | 日々のこと/エッセー
『東電OL禁断の25時』をKindle版で読む。

 あの事件がいまだにわたしの心に棲み続けるのは、被害女性の背景に潜む"負の要素"に見つける自分との共通点が、年を重ねるごとに、石を積み上げるように少しずつ増えているからだと思う。
 たとえば「長女」、たとえば「敬愛する父親の喪失」、たとえば「適齢期をとうに越えた独身」、そして「女であること」。

 この本の著者の場合は「ホテトル嬢をしていた」という共通点を持つ。それも、ある時期同じ事務所に所属していたという、濃度の高い共通点だ。
 そんな著者が被害女性に思いを馳せて書くのは、どん底視点から観る、被害女性の心情。それは、おぞましさに眉をひそめながら指を舐め、清潔な障子を突いて空けた穴からは決して見えないものだ。唸りながら読んだ。
 そして本を閉じると、たった数ミリでも「高い位置」から他人を見下ろすことで悦に入る、そんな人間関係の中で、蟻地獄のすり鉢の砂を掻き掻き生きるわたしたちを、昼は輝かしき天上から、夜は穴の底の泥沼から、『東電OL』という偶像になる前の彼女が、嘲笑いながら眺める様が目に浮かんだ。
 わたしはまだ何も知らないし、わかっていない。


※10年前にこんな記事を書いていた。>>渋谷・円山町の気配に惹かれて




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by etsu_okabe | 2014-03-20 20:02 | 日々のこと/エッセー

ストレスと晩酌

 半月ほど前から『中心性漿液性網脈絡膜症』という目の病を患っている。働き盛りの男性が罹患しやすい、過労やストレスが原因の病気だそうだ。
 症状としては、わたしの場合、左目の見えにくさがしばらく続いたあと、ある日突然、視界に黄色く丸い一枚のレンズのようなものがあらわれ、その向こう側が全て歪んで見えるようになった。右目をつむってしまうと、左目だけではほぼものを判別できない。本の文字などは、無精髭が踊っているような感じ。
 大学病院で検査を受け、病名がわかり、ひと月様子を見て自然治癒の見込みがない場合はレーザー治療を、ということになった。

 それから間もなくして、覚えのある腹痛に見舞われた。これまで何度も経験している胃腸炎の前兆である。
 七転八倒の発作だけは避けたいので、あわててかかりつけに飛んで行き、薬を処方してもらった。今もまだ、しくしくの痛みは続いている。

 今年に入って、気を揉むことがいくつかあった。
 まあきっとあれのせいだろうと察しはついていて、心の中ではすでに整理もついているので、あとからきた体の反応はお荷物でしかないのだが、自分の体なので面倒をみるしかない。

 わたしは神経は図太いくせに、ストレスには案外弱い。
 小学四年生のとき、市だか県だかの合唱コンクールでとても難しいピアノ伴奏を任され、リハ期間に何度か腹痛を起こしたあげく、本番の朝、家でさらっている最中に鼻血を出して、衣装の白いブラウスを汚してしまった。
 しかし、本番ではまったくあがることはなく、学校の音楽室で演るように、平気の平左で軽やかに弾ききった。そこがわたしの神経の太いところだ。そういうところでは緊張しないのだ。
 胃痙攣持ちになったのは、思春期初期の小学6年からで、それは今でも続いている。それがこじれて胃腸炎になったのではないかと、これは素人の推測だ。
 二冊目の本を出すとき、そのプレッシャーに人間関係の悩みがかけ算されて、睡眠障害になってしまったこともある。今は完治したが、あれもストレスだろう。

 とまあこう書くと、心の繊細なか弱き女のようだが、こうしてストレスをちゃんと感知して、信号としてすぐに報せてくれるわたしの体は、なかなかよくできていると思う。
 溜め込んで溜め込んで、がっくりいってしまうより、すぐにお腹が痛くなって「だめー、休む〜」と言わせてくれるほうが、良いにきまっている。

 さて。
 今回ストレスに対して、目とお腹に赤信号が点いたということは、つまり目とお腹を休ませなさいということであろう。しかし、仕事をする限り目は休めさせられない。
 そこで、せめてお腹だけでもと、ここ数日晩酌を控えているのだが、わたしの何よりのストレス解消は晩酌であるという矛盾と、どう向き合えばよいのだろうか。

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by etsu_okabe | 2014-03-01 13:32 | 日々のこと/エッセー
 昨日新しい出会いに喜んでいたら、今日悲しいお別れがあった。
 そういえば先週も、寂しい送別会のすぐ後に、わくわくする出会いがあったっけ。
 数でいったら出会いの方が多いけど、重さでいったら別れの方が重い。
 新しく出会った人たちの中には、通り過ぎるだけの人もいれば、わたしの中で重さを増していく人もいるだろう。
 わたしの未来は、そうやって決まっていく。

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by etsu_okabe | 2014-02-25 23:00 | 日々のこと/エッセー