小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

カテゴリ:日々のこと/エッセー( 210 )

 クローズアップ現代「あしたが見えない~深刻化する“若年女性”の貧困~」を見た。

 紹介された事例のうち、とりわけ、シングルマザーたちが働く「寮付き・食事付き・託児所付き」の風俗店のレポートに、背筋が寒くなった。
 一見良心的なようだが、いったん入ってしまえば、このシステムは彼女たちの大きな足枷となるだろう。なぜなら、この仕事を辞めるということは、同時に「家」と「食べ物」と「子供を預ける場所」を失うことになるからだ。

 特に「家」は、あらたに借りるためにどれだけの金と条件が必要か、一度でも経験したことのある人ならわかるはずだ。
 生活保護を申請しても通らず、やむなくこの底辺中の底辺である性産業に生活全てを委ねることになった彼女たちが、ここを辞めたとたんにホームレスに転落することは、目に見えている。

 一度足を踏み入れたら二度と這い上がれない蟻地獄を、わたしは想像してしまった。

 「社会保障の敗北」という言葉が使われていたが、まさにそうだと思う。
 そしてそれは、わたしの身にも確実に降りかかってくる。
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by etsu_okabe | 2014-01-29 09:41 | 日々のこと/エッセー

火の用心

 恋は、鍋で湯を煮るのに似ている。

 ほどよくくつくつ煮えている湯は、恋慕の情。
 鍋の底でちろちろ燃えているのは、執着心や支配欲の火。

 火が強過ぎるとすぐに湯は減り、鍋は焦げついてしまう。
 かといって、火がなければ湯はあっという間に冷えきってしまう。

 ふと周りを見渡せば、そんな鍋がごろごろ打ち捨てられている。

 恋はいずれ終わる。
 最後の一滴が蒸発したとき、きっちり火も消そう。
 
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by etsu_okabe | 2014-01-23 20:30 | 日々のこと/エッセー
 男は、ふたつの(あるいはそれ以上の)場所を持ちたいと思っている。それは簡単に言うと「日常の世界」と「非日常の世界」だ。そしてそれぞれの場所に、別のパートナーを欲しいと思っている。思うだけでなく、実行している男も多い。

 さて、女は、どちらの場所のパートナーとなるのが幸福なのか。

 ところで女だって、ふたつの(あるいはそれ以上の)場所が欲しい。それは男と同じく「日常の世界」と「非日常の世界」だ。しかし、それぞれの場所のパートナーは、同じ人がいい。
 つまり、男はタイプの違う沢山の魅力的な女が欲しくて、女は多様な顔を持つ一人の有能な男が欲しいのだ。

 ここが、男女の間に流れる、深くて暗い川なのではなかろうか。
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by etsu_okabe | 2014-01-09 13:02 | 日々のこと/エッセー

もしものために。

 老人福祉施設で働く友人から、プレゼントをもらった。
 「もしもノート」と「エンディングノート」。

 わたしはこれまで、
「生は自分のものだが、死は残された人たちのものだから、わたしが死んだら残った者がどうとでもしてくれればいい」
 とのたまっていた。
 しかし、人の死に立ち会うことの多いその友人から、会う度に「現代の日本で死ぬとはどういうことか」を聞かされるうちに、生きている間に自分の死について果たすべき責任もある、ということに思い至った。

 最近とても大事な人、大好きな人を亡くしたこともあって、わたしは彼女に、
「身近な人たちに対して、自分の死について何を言い残しておくべきなのか、箇条書きにして教えて欲しい」
 と頼んでいた。そこで彼女はわたしに、この贈り物をくれたというわけだ。
 
 年越しのとき、集合した家族全員で、このノートを開いて話し合い、ゆっくり時間をかけて、書き込んでいきたいと思う。
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by etsu_okabe | 2013-12-26 22:29 | 日々のこと/エッセー

わたしの性癖

 わたしは、自分自身が重大なトラブルに巻き込まれたり、悩ましい立場に立たされたりしても、自分の保身のみを考えて行動するということができない。
 渦中にいる人たちのそれぞれの立場、それぞれの思惑、それぞれの損得まで考えてしまい、そこで勝手に物語をこしらえ、自分でない誰かしらに感情移入したりして、さんざん遠回りし、結果、見ず知らずの人に最も有益になるよう行動したりしてしまう。
 この顛末のキモは「物語をこしらえ」と「誰かしらに感情移入」というところで、職業病的性癖なのかもしれない。

 ちなみに恋愛ゴトの場合、感情移入するのは、当然「女」である。それしかありえない。
 たとえば、女二人男一人の三角関係に陥ったとしても、最終的にわたしが味方するのは、本来ライバルであったはずの女なのである。キレイゴトなどではなく、本当に心からそうなってしまうのだ。自分でも呆れる(遠い過去に一度実績あり)。

 こういうものの考え方は、小説を書くような人にはきっとわかってもらえると思うのだが、どうか。
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by etsu_okabe | 2013-10-20 20:38 | 日々のこと/エッセー
 振られた男が腹いせに女の猥褻な画像を世間にさらすという、いわゆるリベンジポルノの画像と動画を、たまたま見てしまった。
 そのとき思ったことは、そこに男と女の性器が並べられていても、あくまでも消費されるのは女の性なのだなということだった。加害者も、自分は消費されないとわかっているから、ためらいもなくあんなモノをさらせるのだろう。
 恋人同士の間では同等に貪り合っていたはずの性が、愛情をなくしたとたん、男女に大きな格差を生む。恋情の熱に浮かされていても、女はそのことをいつでも頭に置いておくべきなのかもしれないな。
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by etsu_okabe | 2013-10-13 02:58 | 日々のこと/エッセー

岡本敬三さんを偲ぶ会

 恩師、岡本敬三さんを偲ぶ会へ。
 わたしが知っている岡本先生は、岡本先生のほんの一部で、岡本先生には他にたくさんの顔があり、たくさんの仕事を残して、たくさんの人たちにたくさんの思い出を残して、そうしてここに、集わせてくれたのだな。
 岡本先生門下で唯一作家デビューしたとのことで(本当だろうか?)、わたしも僭越ながら皆様の前でお話をさせていただいた。突然呼ばれてマイクの前に立たされたのでよく覚えていないが、とにかく感謝していることを話したのだと思う。
 わたしは岡本先生に認めてもらうことを目標に頑張って書いて、デビューできた。でもまだそのご恩返しはまったくできていない。
 もう読んではいただけないけれど、岡本先生に恥ずかしくないように、書いていこう。
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by etsu_okabe | 2013-08-09 01:18 | 日々のこと/エッセー

110番

 数日前の夜、家の近所で不審者に声をかけられ、無視して通り過ぎたらしばらくあとをつけられるという、ちょっと怖い思いをした。
 自力で逃げて帰宅したので110番はしなかったが、近所には学校もあることだし、パトロール強化のお願いをしようと、市の安全対策課という窓口にメールでことの次第を通報したところ、懇切丁寧な返信がきた。その中で、
「今回の事案につきましては、個人の生命、身体の保護に関わる緊急の事態に発展するおそれが高い、悪質な声かけ事案と考えられますので、110番通報をしていただいても良かったのではないかと思われます。もし、万が一同様の声かけ事案等の被害に遭うようなことがあった場合には、身の安全の確保を最優先し、迷わず110番通報してください」
 とあり、あらためてその夜のことを思い出してぞっとしつつ、そうか、わたしが110番しなかったことで、別の誰かが被害に遭っている可能性もあるのだな、と反省をした。
 そう言えば以前、道端で痴漢にあったときや、下着泥棒と鉢合わせしてしまったときに110番通報したおりにも、警察官から「また何かあったら、迷わず110番するように。遠慮はしないで」と、強く言われたっけ。
 そうだよね、そのための110番だ。でもあれって、かけるとき指が震えるのよねー。
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by etsu_okabe | 2013-08-03 00:05 | 日々のこと/エッセー

壊れる

 ものの壊れ方は、さまざまだ。
 長い年月使いこむうちに摩耗した部品が外れてしまうこともあれば、買ったばかりのものをうっかり落として粉々にしてしまうこともある。
 そして、大事にしていたものも、粗雑に扱っていたものも、壊れたときは皆同じように、取り返しはつかない。

 今夜、愛用のデスクライトが、アームの根元からボッキリ折れるというやり方で壊れた。南瓜のサラダとカマンベールチーズと冷や奴をつまみに缶ビールを開けて、やっと借りられた『惑星ソラリス』のDVDを見始めたところで、グラスを掠めるようにして、根腐れした大木のように唐突に倒れてきたのだ。
 買ってまだ1年。まさかというようなものでも、こうして思いがけず壊れるのだな。
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by etsu_okabe | 2013-07-29 22:04 | 日々のこと/エッセー
 作家であり編集者でもあった岡本敬三さんが亡くなったとの知らせを、昨晩受けた。
 岡本さんは、わたしの小説の先生だった方だ。安原顕さん亡きあと誰にも師事する気になれず、一人でちまちまと書いていたわたしが、まるで上達の見込めぬ状況に不安を感じ始めたとき、紹介してくださる方があって、岡本教室に入った。
 安原さんの罵倒型指南に慣れていたわたしにとって、岡本先生の優しい褒め型指南は、最初とても物足りなく感じたものだった。わたしは小説がうまくなりたいのだから、いいとこを褒めてもらってもしかたがない。悪いところをバンバン叩いてしごいて欲しい。そう思っていたのだ。
 ところが、何度目かの講評のとき、よーくよーく聞いていたら、しっかりとダメ出しをしてくださっていることに気がついた。なにがどうダメなのか、それを懇切丁寧に例を出したりうまく書けているとことろを引き合いに出して話されるので、自意識の強いわたしのような人間は、つい耳に気持ちのいい言葉だけを拾ってしまっていたのだろう。岡本先生は、優しい口調でしっかり、厳しい指摘もしてくださっていた。
 それに気づいてから、わたしはもうただひたすら、小さな子供のように、岡本先生の言われることを丸呑みし、岡本先生が「よし」と言うものを目指して書いた。講評の時には、耳に痛い指摘をひとつも漏らすまいと耳を澄ませた。
 そうこうしているうち、「どこかいいのか」「どこがダメなのか」を、自分なりに掴むことができた。そしてとうとうある作品の講評で「特に言うことはない」と言っていただけた。
 その言葉を聞いて、わたしは数年振りに、小説懸賞に応募してみようという気持ちになった。そして『幽怪談文学賞』に応募し、大賞を受賞してデビューすることができた。岡本先生がいなければ、わたしにそんな力はつかなかったろう。
 次に出す本も、読んでいただかきたかった。
 ご冥福を、お祈りいたします。
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by etsu_okabe | 2013-06-06 20:19 | 日々のこと/エッセー