小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

カテゴリ:日々のこと/エッセー( 210 )

寂しい花見

 随分と昔、もう15年以上前だろう、怖ろしく可愛い顔をし、ほっそりとした白い肢体を持ったエキセントリックな女友達と、今日のような雨のしょぼつく午後、閑散とした桜並木のベンチに座り、傘をさしながら鰻の肝串を肴に花見をしたことを思い出した。
 あれは高井戸辺りの、神田川沿いの遊歩道ではなかったろうか。その数日前、無職のくせに裕福な親からの援助で暮らしていた広尾から、わたしの住む吉祥寺へ遊びに来た彼女が、井の頭線から見えたその桜を間近で見たいと言って、もう盛りを過ぎた頃に、二人で待ち合わせたのだ。
 傘を閉じた彼女が、ベンチの背もたれに頭を載せて天を仰ぎ、雨より激しく降り注ぐ桜の花びらを顔に受けながら、
「空を飛んでいるみたい」
 と言った真白な横顔が、忘れられない。
 とても、寂しい花見だった。
 その後まもなく彼女のエキセントリックが進行し、親によって精神病院に入れられてから疎遠になった。しばらくして「退院した」と突然訪ねてきたときには別人になっており、仲違いの末に縁を絶ってしまったが、今頃どうしているだろう。去年、子供を産んだと噂を聞いたが。
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by etsu_okabe | 2013-03-24 12:12 | 日々のこと/エッセー
 昨晩寝しな、久方ぶりに上村一夫『菊坂ホテル』を読んだ。
 関東大震災によって東京から江戸が消えてしまう前夜のひととき、大正期の東京本郷にあった実在のホテル(菊富士ホテル)が舞台。竹久夢二がお葉と愛憎をぶつけ合う隣室で、谷崎潤一郎が菊池寛と一杯やっていたりする、そんなホテルの一人娘八重子の、十八歳にしては冷静で早熟な視点で語られていくお話だ。物語中には他に佐藤春夫や伊藤晴雨、芥川、斎藤茂吉もちらと出てくる。
 それにしても、ここに出てくる人物たちをちょっとwikiっただけでも、(その偉業の遍歴はさておき)恋愛というか男女関係の遍歴の凄まじさには驚かされる。当時の空気の中で、これは自由だったのか悪徳だったのか。彼らや彼らに絡んでいた女たちに、発言小町の回答をしてもらいたいものだ、などと思いながら眠りについた。
 今朝起きて、勢いで団鬼六の『外道の群れ-責め絵師・伊藤晴雨伝』に手が伸びそうになったが、まずは仕事。表では桜が満開だそうな。
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by etsu_okabe | 2013-03-23 10:53 | 日々のこと/エッセー
 とっても嬉しいことがあった。

 本当のことを言うと、今週はすごくショックなことがあって、それは自分の生活が脅かされる恐怖と、人への不信という嫌悪とがないまぜになった、とても気分の落ち込むことで、ここ数日はそれを受け入れるために、その恐怖と嫌悪に立ち向かっていたので、精神的にしんどい状態だった。

 今日あった「とっても嬉しいこと」は、そのしんどさに比べたら、ほんの些細な、小さな喜びなんだけれど、わたしはこんなとき、それを最大限に拡げて膨らませて抱きしめて、イヤなことすべてを相殺してしまう、そんな能力を持っているのです。
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by etsu_okabe | 2013-02-09 20:54 | 日々のこと/エッセー
 「恋人と別れた」というと、やたらとコンパをけしかけられたり異性を紹介されたりすることがある。弱っているところにつけこんで、言い寄ってくる人もいる。
 寂しさや苦しさを忘れたくて、ついそれに乗ってしまいたくなる気持ちもわかるが、わたしはそうやって間断あけずに次の恋愛にいくことには、感心しない。そんな成り行きで始まった恋は「前の恋愛の仇を討つ」という恋愛パターンに陥りやすいと思うからだ。

 前の恋愛で満たされなかったことを穴埋めしようとする恋愛は、相手など見ているようでまるで見ていない。傷口に塗りつけただけに効き目が大きくて、自分では大恋愛をしているつもりでいても、その目的は「癒し」ただその一点なので、それさえ済めば、気持ちはさーっと引いてしまう。結果、相手を傷つけるだけの、益のない時間を過ごしたことになる。
 いや、それならまだいい。もしも運悪く、新しい相手が前の相手と同種の人間だった日には、たて続けに同じ不覚をとることとなり、非常に悪い恋愛スパイラルに陥ってしまう可能性がある。そんな恋愛を、わたしはいくつか見てきた。

 とはいえ、一つ終わるたびに、長期に渡って「ただいま総括中」の札を下げ続けるというのも、ちょっともったいない話で(これ、わたしのこと)。
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by etsu_okabe | 2013-02-06 20:17 | 日々のこと/エッセー
 想像していたより数倍面白く、予定していた数倍の時間そこに留まったために用事をひとつ飛ばしてしまうほど堪能した、『白隠展』@Bunkamuraザ・ミュージアム。
 禅の教義を伝えるために描かれた絵、書かれた書は、ふだんそこからかけ離れた生活をしているわたしを、はっとさせ、笑わせ、反省させ、唸らせ、手を叩かせ、小躍りさせてくれたが、それでいて、簡単に"わかった"気にはさせてくれない厳しさがそこかしこに潜み、禅の思想の深淵さをつきつけてくる。
 なにかひとつでも鮮明な「!」マークを持って帰りたく、いざもう一回り、と思ったところでタイムアップの残念無念。後ろ髪を引かれながら出口をくぐり、羽織った気に入りのコートが心なしか重いのは、そこに染み入った己の傲慢不遜を知ったが故か、などと襟を立て、展示物の中でもとりわけ惹きつけられた書『南無地獄大菩薩』を胸で唱えながら、俗世に帰っていくわたしであった。

『白隠展』Bunkamuraザ・ミュージアム
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by etsu_okabe | 2013-01-20 14:30 | 日々のこと/エッセー

シャリアピン

 思い込みというのは恐ろしいものである。
 今宵わたしは夕餉にシャリアピンステーキをこしらえたのだが、レシピを確認しようとネット検索をしていて、ウン十年来「玉ねぎ」のフランス語だとばかり思っていた「シャリアピン」が、人の名前だということを知った。
 さらに、玉ねぎのみじん切りソースがかかってさえいればそれがシャリアピンステーキだ、と思い込んでいたわたしがこれから作ろうとしていたものは、用意した肉がビーフではなくポークであること、肉をマリネする時間などない(空腹過ぎて)ことなどから、とても「シャリアピンステーキ」とは言えない代物であることが判明したのである(とはいえ、でき上がったものは今夜わたしが食べたかったもの「そのもの」であったので、大変美味しくいただいた)。
 ああそれにしても、パリの街角の八百屋で玉ねぎを指差して「そのシャリアピンちょうだい」などと言わなくて、本当に良かったなあ。パリ行ったことないけど。
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by etsu_okabe | 2012-12-26 21:42 | 日々のこと/エッセー

男友だち

 長いつきあいになる男友だちと、差し呑み。
 会うのは数年ぶりだが、変わらずいいオトコである。しかし既婚である。わたしがぼやっとしてる間に、可愛いお嫁さんを見つけてしまった。
 店は銀座にあるあなご料理と燗酒の専門店という、彼のナイスチョイス。知り合ったばかりの人と、食べ物や酒の好みを探りながらお店を決めるドキドキワクワクもたまらないが、「えつ姉ならこれだな」と、パパッとセッティングしてもらって誘われるのも、長いつきあいならではの心地よさだ。しかもいいオトコである。しかし既婚である。わたしがぼやっとしてる間に、可愛いお嫁さんを見つけてしまった。
 3年近く会っていなかったというのに、Facebookの小さな投稿からわたしが今一番気に病んでいることを察知していて、言って欲しい言葉をさらっとかけてくれる、泣かせるいいオトコである。しかし既婚である。わたしがぼやっと(以下気の済むまでリピート)。
 とにかく美味しい夜だった。日記には『デート』と書いておく。わたしは幸せ者だ。
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by etsu_okabe | 2012-12-15 12:11 | 日々のこと/エッセー
 田口ランディさんの『サンカーラ』を読み始める。

 2011年3月11日、その日わたしは日本にいなかった。激しい揺れも、停電も、交通機関や電話回線の混乱も、なにも体験せず、海を隔てた場所から、テレビで津波や原発の映像を震えながら見ていた。
 だからわたしの震災体験は、二日後に薄暗い東京に戻ってきたあと、水の調達に苦労したり、元々持っているプチパニック症(自己診断・笑)が出て一人で電車に乗れなくなったりした、その程度のものだ。計画停電も、武蔵野市は結局一度も施行されなかった。
 その頃わたしは人に会うたび、あの日あの瞬間に何をしていたか、どんな体験をしたかを聞きまくっていた。なにかのためにリサーチをしていたわけではない。ただ、少しでもあのときのことを知りたかった。いや、あのとき人がなにを体験したのかを知りたかった。訊ねた人は皆、いやがらずに詳しく答えてくれた。
 あるとき、どこへ行っても熱っぽくそんな質問をしているのは自分だけだということに気がついた。そしてなんとなく感じていたことを、そこではっきりと自覚した。まことに愚かで滑稽なことに、わたしは”共感”への不足感を、そうして穴埋めしようとしていたのだ。
 以来、必要でないかぎり質問はやめている。そしてわたしはいまだに埋まらない穴を抱え、自分のそうした境遇になにかしらの意味を与えようとしては、その馬鹿馬鹿しさに自嘲し、でも気にせずにはおれず、いつまでも穴の周りをあてもなく歩き回っている。

 あの大地震は東北に、日本に、世界に、甚大な被害をもたらした大災害だが、同時に世界中の個々人に、それぞれの感受性に任せた荷物を残していったように思う。
 そんな思いがどっと押し寄せてきた『サンカーラ』の冒頭。お茶を淹れなおして、読み進めるところ。
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by etsu_okabe | 2012-11-15 12:39 | 日々のこと/エッセー

神社で願いごとはしない

 都心の林立するビルの谷間に、ふいに現れるこんもりとした森。緑化のために植えられた若々しい木々とは趣が違う、古めかしく湿気の濃い匂いがしてきたら、それはたいてい神社だ。東京には、こうした風景がそこここにあるのがとても好ましい。

 ところで、わたしは神社に参拝するとき、何も願いごとをしない。ポリシーでもなんでもなく、ただ社殿の前に立つと頭が真っ白になって、願いごとなどまるっきり浮かんでこないのだ。だからいつも手を合わせながら「どうもこんにちは」とか「ここはいいところですね」などと、心の中で言っている。
 それじゃあわざわざ神社に来てお賽銭まで入れる甲斐がないじゃないか、と思われるかもしれないが、これがそうでもない。
 昔、お祖父様が神主をしているという人と一緒にある神社を参ったときにこの話をしたら、
「それは正しい参拝です。神社に個人的な願いごとなど本当はするものじゃない。神社は心をキレイにしたり、エネルギーをもらったりする場所で、お参りもそのためにするんです。僕は疲れたなと思ったらこうやって通りがかりの神社に寄って、何も考えず手を合わせてリフレッシュや充電をします」
 と言われたことがあるのだ。これはちょっと嬉しかった。
 わたしは何の神様も信じていないが、それでも神社を見かけたら立ち寄って参拝せずにおれないのは、そうした「場」が持つなにかしらのパワーをどこかで信じているからだ。もしかしたらわたしには、彼の言った「エネルギー」を感じる力があるのかもしれない。そして神社の”使い方”としては、神様を信じてただすがるよりも、こちらのほうがずっと効果的なのではなかろうか。

 と書いてみたものの、「縁結びのご利益がある」などと聞くと、そのときだけは「良縁!」と心で叫んでしまうわたしである。一応独り者の乙女なもので。
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by etsu_okabe | 2012-11-13 15:51 | 日々のこと/エッセー

女たちの共闘

 なんにつけても「男/女」の範疇でものごとを考えるのが好きなわたしが、女を擁護したがるのは己が女であるからに他ならず、たとえば女二人に男一人の恋愛をしたあげくに悶着を起こしたとしても、わたしにとって泥仕合の"敵"は女ではなくあくまでも男であり、他人のそうした場面に出くわした場合も気持ちは常に「女たちの共闘」であり、それに勝とうが負けようが、闘い終えたあとに一献酌み交わしたい相手もまた女たちでなのである。
 つまりあらゆる女はわたしの戦友であり、わたしはいつでもそうした気持ちでものを書いている。
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by etsu_okabe | 2012-11-10 13:20 | 日々のこと/エッセー