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小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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直木賞受賞作、100円。

 今ごろ桐野夏生「柔らかな頬」を読んだ。いつかいつかと思いながら未読だったのは、わたしが買い物の関しては<出逢い派>で、いくら書評や話題に上った本でも、書店でハッとする邂逅がなければなかなか購入しないヒネクレモノだから。CDの「ジャケ写買い」のようなモノですね。負けっぱなしのバクチ打ち。
 で、今さら「柔らかな頬」にどこで出逢ったかというと、ブックオフ。ハードカバーがなんと100円だった。100円。たったの。
 ブックオフの料金設定基準が「ブツの保存状態」であるということは、吉祥寺店がオープンして間もなく身を持って知った。とても本好きとは思えぬひよっこアルバイトに「早さが命」とばかりバッサバッサとつけられた値は、村上龍も吉行淳之介もどこの馬のホネとも知れぬライターの実用書もミソもクソも一緒くたで、あっけにとられたものだ。

 本の価値って、昔はその内容で決まるものだと思っていたけれど、中身のテキストが簡単に「無料(タダ!)」になってしまうインターネット普及の現代においては、「本」という物体の価値でしかなくなってしまったのかもしれない。ひどい世の中になっちまったもんだぜ。
 いや待てよ。
 この本、確かに最初に世に出た時は「1,800円」だったんだ。その値段で買った人が確実にいるんだ。でもって、その人にとって必要でなくなったから、書棚から引っこ抜かれてゴミとして十字に縛られ、玄関の隅に置かれたわけだ。

 てことは、その時点でこの本の価値ってもう「0円」じゃないか。

 それでもただ捨てるのじゃ勿体ないというコスイ根性のおかげで荷馬車に積まれ、こうして場末の女郎屋書店「ブックオフ」まで揺られ揺られて売られてきたのがこの本というわけか......ドナドナド〜ナ......。
 これが別の、プライドを持った古書店であれば、もっと高値をつけてもらえたかもしれないが、ブックオフの遣り手婆は「薄利多売商売繁盛薄利多売商売繁盛」とお題目を唱えながら「100円」シールを貼りつけた。
 そこに、職を失い友を失い男も失った哀れな女が一人、ふらりと立ち寄る。
「いらっしゃいませ〜こんにちはぁ〜」
 この、数秒おきに投げかけられるロボットのような<声かけ>が憎いほど嫌いで、滅多に来ることのない店だったが、日に日に頼りなくなる財布の中身に気弱になり、つい引き込まれてしまったのだ。
 そしてまさかの出逢い。直木賞受賞作、100円。

「柔らかな頬」の感想文はまた後日、その気になったら。とにかく面白い小説でした。
 この作品と、三浦綾子「氷点」(傑作!)を並べて論評した人っているのだろうか? もしいたら読んでみたい。いそうだ。調べてみよっと。
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by etsu_okabe | 2004-05-29 15:41 | 日々のこと/エッセー
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 丸尾末広原作のアニメーション『地下幻灯劇画・少女椿』を見た。その筋の人からすれば「今さら」かも知れない。様々ないわくつきの作品である。

 薄暗い路地裏で、椿の花売りをする少女みどり。ある晩、山高帽の男が現れ花を全部買ってくれる。「お母さん。これで遠足に行けるかもしれない」喜びに胸を弾ませて帰った家で、病の母は鼠に食われて死んでいた。
 行くあてのないみどりが頼った山高帽の男は、実は見せ物小屋の親方だった。汚れきったフリークスたちに身も心も穢されながら、みどりは絶望の中で生きていく。裸に剥かれて折檻を受けながら、呟く言葉は「遠足、行きたい......」。
 そんなある日、親方が新しく雇った侏儒(こびと)の西洋奇術師が、見せ物小屋にやってくる。自分に好意を寄せ優しく接してくれる奇術師に、みどりは身も心も許す。不幸のどん底を舐めるように生きてきたみどりにも、果たしてやっと幸福の時が来たのか......。続きはご自身の目で。

 わたしがこの作品に共感を覚えるのは、ごく平凡だったはずの幼少時の記憶が、みどりの心のブラックホールとリンクするからだ。
 春休みには動物園、夏休みには海、冬休みにはスキー。仲のいい家族に囲まれ、愛され、何の苦労もなく育ったはずのわたしだが、当時の記憶を再生すると、その映像はどれも薄暗い。笑いの絶えない明るい家だったはずなのに、思い出すリビングはいつもうすら寒い。
 おそらく、常に漠然とした不安感に包まれていたからだろう。それは、親に捨てられやしないかという不安や、自分がここから引き剥がされるのではないかという不安、そして家族の強固さを疑う不安など、いずれも、自分と家族との繋がりに対するものだったように思う。
 この不安は特別なモノではなく、子供時分に誰もが持つ、心のブラックホールではないだろうか。そこに吸い込まれてしまわぬよう、親に必死にすがって子供は生き延びる。たとえ、虐待されようとも。
『少女椿』のみどりは、物語の最初から父親に出奔され、母親には死なれてしまう。そして、本能的に頼った相手、見せ物小屋の親方が仮の親となる。仮ではあっても親だから、そこでどんな仕打ちを受けようと、みどりは決して逃げない。
 そこに現れたのが、侏儒の奇術師だ。こいつだって十分うさん臭い。しかし、子供はいつか外からの迎えを得て、家から飛び立つ。その時初めて、あの心のブラックホールから逃れることができるのだ。
 そう考えると、この少女椿・みどりの物語のテーマは、ある意味とても普遍的だ。わたしはそこに深く共感し、感動している。それはわたしが普通の、凡庸な人間だからだ。
 それなのに、なぜこの作品はあらゆる方面から規制を受けたりキワモノ扱いされたりするのか。
 それは、舞台が見せ物小屋であり、キャラクターがフリークスであり、表現がエロ・グロ・暴力だから。------いや待て、同じフリークスや暴力でも、ハリウッドのスポットライトが当たっていれば許されるのよね、ね!?

 なぜ、多くの人は「汚いモノ」「ネガティブなもの」を<悪>とするのだろう。
 汚い心は、生き抜くために必要不可欠なモノだし、ネガティブは悪ではなく、死なないための武器。誰もが持っているはずだ。それなのに、なぜみんな「あたしは四方八方からライトを浴びて影なんて持ってません」という顔をして、闇を忌み嫌うのだろう。

『地下幻灯劇画・少女椿』は、闇を愛せる人にはたまらないカタルシスとなる作品だ。しかし、今のところ簡単に手に入れて見ることのできる作品ではないらしい。どこかのサイトでCD-Rに焼いたものを販売しているようなのも見たが、正規のルートかどうか分からないので、リンクは貼らないでおく。
 ちなみにわたしは、闇を愛する友人から流してもらった。感謝。

  *     *     *
 北朝鮮から日本にやって来た(“帰国”とは言わないと思う。彼らにとって日本はまだ“故郷”じゃないんだから)拉致被害者の子供たちの様子を知ろうとするマスコミが、やたらと「夜中でもネオン輝く東京を見て、何と言ってました?」「日本は首相と同じジュースを飲んでもいいし首相を批判してもいい国だと聞いて、どういう反応でしたか?」などと質問するのに、ゲンナリしている。明らかに決まった答えを期待しているのが見えるから。
「日本の豊かさに驚いた! そんな自由が許されるなんてスゲエ!」
 日本が北朝鮮より豊かなのはただのラッキーで、その陰で搾取され泣いている国があるんだし、日本の自由なんて『少女椿』も自由に見れやしない程度のもんじゃないか。そんなモノに優越感なんて......うぇ〜っ。
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a0013420_10193260.jpg◆『枯骨の恋』岡部えつ著 2009年6月発売
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情念とエロスの絡み合う果てにある、恐怖を描きました。一度でも、殺してやりたいほど恋人を愛したことのある大人なら、きっと楽しんでいただけると思います。(常習女|岡部えつ)
>> 岡部えつ twitter
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by etsu_okabe | 2004-05-25 04:29 | 映画/芝居のこと

2ページで満腹

a0013420_0126.jpg 昨晩、新宿三丁目のとある妖しいバーにて、マスターと性癖の話で盛り上り、何を気に入られたかゲイ雑誌をプレゼントされてしまった。
 ゲイに興味はあったし、マッチョな男が嫌いでないわたしとしてはルネサンス彫刻のような美青年がたくさん出てくる本なので「嬉しい!」なんつって嬉々として頂いてしまったが、ページをめくればやはりそこはエロ雑誌、公衆には決して晒せないアンナことやコンナことのテンコ盛り。吉祥寺のアパートに帰るまでの間、死んでも交通事故に遭ってはならぬと、酔いも醒めるような心持ちだった。

 そして、何十人という裸の男達がおしくらまんじゅうをする夢にうなされて飛び起きた今朝、ベッドの下には件の雑誌。もし、万が一、わたしがここで倒れるようなことがあったら......と考え出したら、家族の顔がチラつき、いても立ってもおれなくなった。

母よ妹よ義弟よそして天国の父よ、これはモライモノです! わたしがいいトシして結婚しない理由を、この雑誌に求めないように!

 さて、弁解も済んでほっとしたところでゆっくり読んでみるか.....う〜む。グラビア、漫画、小説、まるで天丼とグラタンとロコモコを同時に食すようなボリュームで、とても一気には読めそうにない。ちびちび食べて、完食したらまたあの店に行こう。
 わたしのブログのコンセプトは<日記>ではないので、ここでゲイや人の性癖について思うことを何か書くべきかとも思うが、こればかりは雑誌を読んだくらいの浅知恵では書きたくない。もうちょっと深いところまで覗いてからでないと。......覗けるのかしら? とりあえずカテゴリーを追加。
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by etsu_okabe | 2004-05-23 00:02 | 日々のこと/エッセー
 テレビを見ていて驚いた。「イライラに効く薬」のCMが流れたのだ。すごい。イライラって、薬で治せるのか!
 製薬会社のサイトを見てみると、
<近年、日本社会のストレス度はますます高まりつつあるようで、---中略---弊社消費者調査でも、約7割の方が「イライラ」「気持ちの高ぶり」を週に1回以上感じていることが確認出来ました。---中略---そこで今回「気持ちをおだやかにする内服薬」、『イララック』を発売いたします。イライラを楽にする『イララック』は、4種類の植物由来の生薬エキスを有効成分とし、高ぶった気持ちを落ち着かせる鎮静剤です。>
 とある。いいところに目をつけたものだ。これこそ、現代人が待ち望んでいた最高のドラッグではないか!

 今の世の中、イライラ人間は溢れかえり、根治することはない。なぜなら、イライラは伝染病だからだ。
 たった一人がイライラすれば、その場のほとんどの人が感染する。いやそれだけじゃない。直接会ったり触れたりしないネット上での交流でも、イライラは簡単に感染する。掲示板やチャットなどはイライラの温床だ(先日ついうっかり「○ちゃんねる」にアクセスしちゃって、2分後には発症しました。くわばら、くわばら)。

 イライラが発症する原因は、つきつめると「自分の思いが相手に伝わらない、または報われない」ことだと思う。
 職場では血ヘド吐きながらやった仕事を全く認めてもらえない、家庭では身を削って育てている乳呑み子にぎゃあぎゃあ泣きわめかれる、ネット上では記事を誤読された上に身元の分からぬモノから非難・中傷される......。
 想像しただけで、ああいやだいやだ。
 そこで『イララック』の登場なのだろうが、わたしは薬が嫌いだ。風邪も引きはじめに自家製ニンニクショウガスープと睡眠で撃退する。ここはひとつ、イライラも自力で感染・発症の予防をしたい。

■近くにイライラ人間がいたら。→即刻その場から立ち去る。関われば即、感染しちゃう。
■こちらをイライラさせようとする、悪意ある誹謗中傷を受けたら。→勝手に一人相撲をとってもらう。
■自分の思いが相手に伝わらない状況に陥ったら。→黙る。ムキになって説明などしたって、WindowsマシンにMacOSをインストールするようなものさ。
 それでももしイラッときてしまったら、その足でゴールデン街にでも行って解毒だ! イラッとこなくても行っちゃうけどね!

 ところでこの『イララック』、名前も似ているあの国の上空から、まき散らしたどうだろう。あそこにいる人たちのイライラに比べたら、わたしのイライラなんて“ヘ”でもないわ。
 ああ、鎮めて差し上げたい。
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by etsu_okabe | 2004-05-17 03:39 | 日々のこと/エッセー

ワイセツについて

 ロリコン漫画でしか「抜け」ない男性vsそうでない人たち、の熱いトークバトルが繰り広げられる深夜番組を、ちょっと前に見た。
 ロリコン側の何人かが、現実の女性とセックス経験がないことを、清水の舞台からダイブするような顔でカミング・アウトしていたのが面白かったが、あとは訳の分からぬ言い合い、けなし合い。
「我々はロリコン漫画で<抜ける>から、現実の少女に手を出さずに済んでいるのだ!」
「おめーらはただの変態だ!」
 とまあ、こんなやりとりが続くばかり。
 論点をはっきりさせーい! と画面に向かって言いながらも、しかし空回りする主張の内容がものすごく面白くて、ずるずると最後まで見てしまった。

 ひとつひとつの主張は面白いのに何故「話し合い」がつまらなかったのか。これは、ロリコンではない側の人たちに「正常・健全」という立場をとらせたのが問題だったと思う。そのせいで、必然的にロリコン側が「異常・不健全」となってしまい、案の定それが犯罪に結びつく可能性についての話しになってしまって、議論がむちゃくちゃになった。

 セックスはただの「行為」だが、容認しない相手と無理矢理セックスするのは「犯罪行為」だ。それと同じように、ワイセツはただの行為であって、別に犯罪ではない。不健全な性行動をワイセツと言うのなら、人間みんなワイセツ。あんたもわたしもワイセツ。ただ、そのワイセツの度合いが個々でちょっと違うだけ。
 たとえば、健全な性行動ってどこまで? アレをアソコに入れて射精するだけ? まさか。キスしながら○○を××することだって、愛情表現の一つとして「健全」にカウントしていいよね。あと、△△を◇◇してあげることだって、健全の範疇に入るでしょう。だって、みんなしてるもんね。わたし的には□□や○○もOKよ。あなた的には不健全?
 ところが、何十年か前には、女性が男性の△△をお口で◇◇するなんて、ありえないことだった。そういうことは「玄人さん」がやることで、貞淑な妻がそんなことを強要されたら舌噛んで死んでしまうくらい「恥ずかしい」ことだったのだ。
「新宿情話」という本の中では、中国から来た風俗嬢が「日本人の男は口を使うからいやだ。中国人の男は絶対に口は使わない」と言っていた(しかし10年後はどうだろうか)。

 とまあこんな風に、性欲・性行動の不健全性(異常性)なんて、時代と土地柄にリンクした流動的なもの。それをテレビ番組で論じ合おうというのであれば、もう「今現在、一般的にどこまでのワイセツ行為が性道徳的にOKか」という点しかない気がするんですが、どうでしょうか?
「アニメのキャラに欲情するにしても、峰不二子ならいいけど、ハイジはヤバイんじゃない?」
「いやいや、ハイジだっていいでしょう。でもユキちゃん(やぎ)はまずいよね」
 結論は絶対に出ないだろうけど、こんなトークバトルの方が、きっと面白かったはず。だめ?

 不義密通で死刑になった時代も、妻以外の女性を囲うことが「甲斐性」として尊敬された時代も、それほど遠い昔ではない。年端のいかない子供に性愛を感じることも、二次元のキャラクターにしか欲情しないことも、いつか何かの拍子に市民権を得るかもしれない。いやそれとも、宗教が生まれるより遥か昔、すでに当たり前なこととして「あった」か。性道徳なんて、その程度のものだという気がする。
 収集がつかないので、最後に、今回ワイセツに関して書こうと思ったきっかけ、たまたま読み返した大好きな谷川俊太郎さんの詩を抜粋して締めよう。
     *
<ワイセツについて>  谷川俊太郎
どんなエロ映画でも
愛しあう夫婦ほどワイセツにはなりえない
愛が人間のものならば
ワイセツもまた人間のものだ
〜〜〜中略〜〜〜
そしてこんなにみにくく 恥ずかしく
私たちはワイセツだ
夜毎日毎ワイセツだ
何はなくともワイセツだ
     *
 あ、そうそう、アメリカ人が占領先で陽気に捕虜を裸に剥いたアレ、拷問だとか虐待だとか言われているけれど、あれは完全に「ワイセツ犯罪行為」、つまり強姦だと思いますけどね、わたしは。
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by etsu_okabe | 2004-05-14 16:36 | 日々のこと/エッセー

曖昧な記憶・20世紀少年

a0013420_241.jpg「実際に起こらなかったことも歴史のひとつである」と言ったのは寺山修司だ。マンガ『20世紀少年』を読んでいて、この大好きな言葉を思い出した。

『20世紀少年』は、70年代の悪たれ小学生たちが夢想した物語を、数十年後、誰かが現実に行っていくという話し。その夢想の中身とは、細菌兵器を使った世界征服だった。
「誰が俺たちの<よげんのしょ>を実行しているのか」
かつての子供たちは集結し、自分たちの描いた悪夢の実現を阻止すべく見えない敵と戦い、犯人を突き止めるため数十年前の記憶を辿りはじめる。しかしそれは、あまりにも曖昧な断片でしかなかった。ガキ大将にいたぶられたことは覚えているくせに、誰かを傷つけたことはなかなか思い出せない。
そんなよくある<子供の無邪気な残酷さ>をファクターにしたことが、このマンガの凄いところだ。何度どんでん返しが繰り返されようとも、多くの人がこのストーリーに飽きたり萎えたりすることがないのは、読み進む間中、主人公たちとともに己の過去を振り返り、恐怖しているからではないだろうか。

小学校3年で転校した時、いわゆる「転校生いじめ」に遭った。前の学校ではクラスの中心的存在で人気者だったわたしにとって(今と正反対!ヤなガキでした)、それは生まれて初めて味わう屈辱感だった。傷つき方も尋常ではなかったと思うが、親も先生もあまり親身に対応してくれなかった。
わたしは逞しく自力でいじめに抵抗し、やがてそれまでクラスを牛耳っていたイジメっ子の「女王様」を撃退した。クラス中から感謝され、その一件は語り種になった。当然、わたしの中でも「自慢の逸品」の記憶として心にしまってあったのだ。
ところが、いい大人になったある日、偶然合った小学時代の同級生から「あたし、小学校の時えっちゃんにいじめられた」と告白されて面喰らった。
「うそ、まさか!」
「え、覚えてないの、えっちゃん?」
相手もとまどっている。よくよく聞くと、女王と戦っていたはずの頃、一時なにかの拍子でわたしと女王が仲良くなり、二人で彼女を仲間外れにしていじめたというのだ。
全く信じられないが、彼女の話を聞くうちに、だんだん記憶が蘇ってきた。校庭の鉄棒に女王と二人ぶら下がりながら、一緒に遊ぼうと寄って来た彼女を邪険に扱うさま。
ショックだった。この時まですっかり忘れていたのだ。彼女には、その場で深く謝罪した。
しかしその後一人になると、もやもやとした感情に襲われた。あれは本当に<蘇った記憶>だったのだろうか。彼女の話に影響されてうっかり<作ってしまった記憶>ではなかったろうか。やっぱりわたしは彼女をいじめたことなんてないんじゃないか......考えれば考えるほど、彼女をいじめた記憶が事実なのか作りモノなのか分からなくなった。今でも分からないままだ。

これほど、人の記憶は頼りない。<実際に起こった記憶>ではなく、<自分に都合のいい記憶>を心に綴りながら生きている。『20世紀少年』は、そうした人間のエゴが引き起こす悲劇を、21世紀という絶望的な未来に向けて撃ちこんだ作品だ。
わたしは単行本で読んでいるので(それも友人からの借り物)現在16巻。一体どんな結末が待っているのか、恐いもの見たさで心待ちにしている。
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by etsu_okabe | 2004-05-11 02:05 | 日々のこと/エッセー

ネット贋作作家

WEB日記やブログに、他人の文章をそっくり盗んだり、真似たりしたものがあるらしい。<参照記事>
フリーのサービス(ここのエキサイトブログのような)を利用する場合、本名も住所も登録する必要がないし、メールもフリーWEBメールを登録してしまえば身元は分からない。匿名である気安さと、ワンタッチでできるコピー&ペーストに大した罪悪感を感じることもなく、盗用に手を染めていくケース、結構あるのかもしれない。
それにしても、他人のテキストをそのまま発信することに、どんな目的があるのだろうか。

美術の世界に贋作というのがある。現存する作品を模写したものもあるし、そうでない、オリジナルのニセ作品(非常に矛盾した表現ですが)というのもある。巨匠の作風を真似た、贋作作家のオリジナル作品だ。それを<巨匠のオリジナル作品>として世に出し、大金をせしめる。
贋作作家は一生日の目を見ない。彼らの身分が表に出る時、それは自分の作品が抹殺される時だ。そんな矛盾の中に生きる彼らの満足感は、大金を得ることか、もしくは自分の技術でアホな大金持ちを騙すことか、いずれかにあるのだろう。わたしなどは、そういうところに魅力を感じてしまったりもする。

一方、ネットの贋作作家には、そういうまっとうな満足感を全く想像できない。

ネットの魅力は、無名の個人でも無数の人々に向かって自由に発信できるところにある。ある意味「垂れ流し」だから、どちらかというと受け手側にしっかりした意志を求められる世界だ。メディアリテラシーという言葉が言われるようになったのも、ネットの影響が大きいと思う。
自分のホームページを持つには特別な知識や技術がいるので、ちょっと前までは、個人がネット世界で発信者となるのは面倒なことだった。でも今は、無料で自分の日記や意見を簡単に公開できる。それも覆面をかぶったまま。
道具を持たされれば、使いたくなるのが人情。とにかく何か書いて、発信したくなる。そこでもし書きたいテーマがなくても、与えられたツールで誰かとコミュニケーションを取りたいのなら、下手くそでもつまらなくても、そこに自分の言葉を乗せるのが正解だ。実際、そんなサイトが山ほどある(あ、ここもか⋯⋯)。
しかし、ネット贋作作家はそうではなく、そこに、ウケそうなお上手な他人の言葉を乗せる。となると、目的は<アクセス数を稼ぐこと>なのだろうか。そこに満足感があるの?
それとも。
今回知った贋作作家は、ある著名人(失礼ながらわたしは存じ上げなかったが)の出版物やWEB日記から、文章をそっくりパクったブログを発信していたという。本人になりすましたわけではなく、別の名を名乗ってはいたらしいが、何しろパクったのが「日記」。本家の生活や思考そのものを失敬していたわけだ。
その魅力的な文章や華やかな生活に魅かれ、コメントやトラックバックをした読者も大勢いて、それにはご丁寧にレスも返していたとか。
レスはさすがにパクれないから、本家になりきって書いていたことになる。案外そこに楽しみを見いだしていたのかな。いっとき他人のバックグラウンドを生きることに酔い痴れる、それが喜び?

どちらにしても、みみっちい了見である。
この虚しい感じは、一体何なのだろう。

先日テレビで夕方のニュースを見ていたら、夜行バスで地方から上京してくる若者を追ったドキュメンタリーをやっていた。
九州から来た青年は「歌手になりたいんっす」と夢を熱く語る。ところが。
「どういうジャンルの歌手を目指してるの?」
という記者の質問に、
「アールアンドビー(R&B)、なんか好きっすね」
「へえ、リズムアンドブルースのこと?」
「あ、それの略なんすか?」
「⋯⋯(絶句)」
今回ネット贋作の記事を読んだ時、最初に思い出したのがこの青年のことだった。
ネット贋作作家と共通しているのは、目の前にぶら下がった楽しげなモノを、とりあえず目的としてしまう浅はかさ。

ものがたくさんある。道具もよりどりみどり。選択肢も山ほどある。情報も溢れ返っている。
わたしたちは、そんなモノたちの整理に手いっぱいで、本当の自分の目的などに構っていられない、とても不幸な社会に生きている。こんなぎゅうぎゅう詰めの世の中を自分らしく生き抜くことは、とても難しい。
流され易いわたしなどには、容易なことではない。わたしの本当の目的は何? 時々自分に尋ねてみようっと。
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by etsu_okabe | 2004-05-06 02:59 | 日々のこと/エッセー
吉祥寺北口ロータリーの特設野外ステージ。心許ない足取りで現われた高田渡氏、いきなり客席にお尻を向け深々とお辞儀をした。この瞬間にわたしは彼の虜となった。老いてなお反骨。本物のパンクだわ!
「他人ごととは思えない歌を歌います」
「月がキレイですね。あんなキレイな月を見てると、自殺したくなります」
居酒屋の困った常連客のようにシュールなクダを巻きながら飄々と歌われるのは、辛辣な歌詞を乗せた軽快なブルース。何百人という政治家や評論家が小難しい言葉を並べてもっともらしいことを言ってみても、この歌たちの「真実」には太刀打ちできまい。

この夜語られた言葉と歌われた詩の中で、最もわたしの心に残ったのは、歌の合間にポソリと吐き出された、
「死にたくなるような毎日を暮らしていることが、素晴らしいんだよ」
という呟き。
ままならぬ、苦しい、しんどい毎日だけど、表に出るときゃ笑顔で自分を支えてる。そんな人間を、これ以上励ましてくれる言葉があるだろうか。
またひとつ、歌の力を知った「吉祥寺音楽祭」黄金週間の夜。こちらで写真が見れます。
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by etsu_okabe | 2004-05-04 16:44 | 音・詩のこと

同い年

昨日、イラクで人質になっていた2人の記者会見を見ていて、あの18歳の男の子が、全国の18歳に与えた影響のことを思った。
抱く夢を叶えるとっかかりさえまだ見つけられていない少年たちが、はっきりと目的を持ち堂々と大人と渡り合う「同い年」を知った時、受けたショックは大きいのではないかしら。自分は頭がいいと、ちょっと自惚れている子なんかは特に。

わたしにも覚えがあるけれど、同い年の友達しかいない学生時代、同級生に抱くライバル心というのは尋常じゃない。同じ成功でも相手が年上なら拍手できるのに、同い年だと嫉妬に悶え苦しまなきゃならない。
酒鬼薔薇に触発された同い年がたくさんいたのも、やったことの内容はさておき、日本中を大騒ぎさせフィーバーさせたことが「凄かった」から。そんな凄いことをやった「同い年」に、嫉妬や憧れの気持ちが沸くのも不思議じゃない気がする。
あの時の14歳にとって、酒鬼薔薇は永遠に自分たち世代の<ある部分の代表者>になった。意識しないわけにはいかないと思う。

話を戻して。
高校生の頃からNGO活動をし、フリーライターまでやっていた「同い年」が北海道にいたことを、今回の事件で知った全国の18歳たちのことを考える。
今頃、布団をかぶって「チックショー」と身悶えしている子もたくさんいるだろうな。そんな子たちが、布団から出てそのあと、どうするだろうか。
何もしない子が圧倒的に多いだろうけど(酒鬼薔薇に触発されて人殺しをした子は数人しかいなかったように)、何かする子は、それ以上の世代よりも確実に多いと思う。少なくとも、2年後の成人式でバカ丸出しの騒ぎ起こすようなアホは絶対に減ると思うんだけど、さてどうかしら。
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by etsu_okabe | 2004-05-01 15:31 | 日々のこと/エッセー