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小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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吐きそう。

 日頃読んでいるblog『署名で書く記者の「ニュース日記」』が荒れまくっている。
 このblogの執筆者の一人である共同通信社編集長小池氏が、6月26日と27日に書いた記事、『「社長日記」に異議アリ!』と『「会社の戦略」!?』が、大バッシングを受けているのだ。この2つの記事、livedoor社長の日記blogについて否定的意見を述べたものだった。
 いやはや、“livedoor社長信者”と言って構わないだろう人たちからの怒濤のコメントの凄まじいバカさぶりには、読んでいて吐き気をもよおす(お時間があったら読んでみてください)。
 ブログのコメントは殆どがブロガーからだから、大抵自分のブログにリンクを貼る形で行われる。しかし狂信者たちのコメントはほぼ全員リンクなしの<2chの名無しさん>状態。そして、昨日と今日の全く別の記事にまでバカコメントを続け、挙げ句「謝れ!」「返事しろ!」ときたもんだ。ふぇ〜。

(と、そうこう書いている間に共同通信社側、コメントをざくざく削除しちゃいましたよ。とっておけばいいのに。ああっほら言わんこっちゃない、12くらいだったコメントが80に急増〜〜〜〜!! 削除なんかするからー)

 昨日自殺された作家の野沢尚さんが生前、自分の作品についてネット上でひどいバッシングをされたのをまともに受け止めてひどく傷ついていた、というのを何かで読んだ。「砦なき者」はそうした苦しみから生まれたとか何とか......。
 それにしても、インターネットの世界では、身元を明かして発信する側の精神的なリスクが、あまりにも大きいなぁ。

  *   *   *

 今日は、失業中の身ゆえ自粛していた書店巡りを久々に敢行。「幽」「東京生活(吉祥寺特集)」「文芸ポスト」を買ってきた。
「文芸ポスト」の特集は「時代を超えたフォーク・シンガー」。高田渡、仲井戸麗市、遠藤賢司、友部正人、岡林信康、加川良と、こう名前が並んじゃ、買わないわけにはいかんというわけで......きゃー、冒頭から高田渡さんが「いせや」で飲んでるぅ〜〜〜!
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by etsu_okabe | 2004-06-29 21:09 | 日々のこと/エッセー
 先日、O-eastで友人のライブがあるので渋谷に赴いた。
 駅から坂道を上る道すがら、いつもの、敵陣内をほふく前進しているような寒々しい感覚に襲われる。同じ猥雑さでも、新宿に感じるような人間臭い湿気というか<何かの気配>というものがここにはない。それが、渋谷を好きになれない理由のひとつだ。
 しかし、そんなわたしに最近、好きな場所ができた。円山町。この日の数日前、気のおけない女友達に案内され、初めて入った円山町の店の趣が、どんぴしゃり、わたし好みだったのがきっかけだ。
 格子戸(だったかな、アレ......)を引いて入ると、玉砂利の中庭には蚊取り線香の香り。ゆったりと立ち上る煙りはどこか艶っぽい。顔が映るほど磨きあげられた床板に素足で上がり店内を見渡すと、黒塗りの鴨居の縁に艶やかな朱塗り。今にも細おもてのお女郎さんが真っ赤な襦袢の裾を引き摺りながら出て来そうな色気のある雰囲気に、四方をあの毒々しいラブホテル群が囲んでいるなんて、信じ難い気持ちだった。
 もしやと思い後で調べると、その店、かつてここが花街だった頃、芸者の置き屋だったそうな。

 この日も、ライブ前にその店で一杯引っ掛けるつもりだった。
 ライブハウスやクラブが並ぶ通りに辿り着く。歩道には若者が溢れ返り、携帯電話に向かってとりとめのないガナリ声を上げたり、コンビニの前に座り込んで何かをむしゃむしゃ咀嚼したり、奇声を上げて抱き合ったりしている。目を背けてしまうのは、十数年(20年か!?)前の自分を見るようで気恥ずかしいからだ。
 同行の友人(昨年まで恋人だった男)の腕を引き、逃げるように円山町ホテル街に入り込む。入り組んだ路地を迷わずに辿り着いたが、件の店は定休日だった。
 仕方なく他の店を物色しなかがらぶらぶら歩いていると、一軒の店の前に出た。佇まいは普通の居酒屋っぽい。道路脇に剥き出しで置かれた日本酒瓶の数々に惹かれ迷わずのれんをくぐると、小太りの、髪を引っつめた女将さんが「いらしゃい。暑かったでしょ?」と陽気な笑顔で迎えてくれた。
 まだ客の誰もいないカウンターの隅を二人で陣取る。わたしが日本酒好きだと言うと、いくつかお酒をピックアップしてくれた。
「実は今まで渋谷は苦手だったんですが、最近初めて円山町で飲んで、この町だけすっかり気に入ってしまったんです。ここが花街だった頃の名残りに、興味があって」
 そう切り出すと、女将さんは当時の話をしてくれた。その口調は明るく楽し気で、こちらの口もついポンポンと軽くなる。そうしてわたしは、この町を思う度に思い出さずにはおれない人について尋ねた。
「東電OL殺人事件というのがありましたよね。わたしがこの町のことを知ったきっかけは、あの事件だったんです」
「ああ、あれね」
 事件後、様々な人に飽きるほど話してきたのだろう、女将さんの表情がすっと沈む。
「あの人、この辺をいつも歩いていたのよ。恐ろしく痩せていて、あれは拒食症ね。可哀想に、恋人ができてもみんなお母さんに潰されちゃって、あんな風になってしまったのよ」
 彼女の亡霊にとり憑かれたように、事件後ここを詣でる女性たちが絶えないと聞いたことがある。わたしはそこまではしないが、それでもこの事件はずっと心の中にあった。彼女が昼間の東電エリートから立ちんぼの売春婦へと変身し彷徨った場所がこの近くだとは知っていたが、ここの女将が毎晩顔を合わせていたとは。
 聞きたいことは山のようにあるが、どうにも整理がつかない。ガッつくのもはしたないような気がしてできなかった。
「やはり、有名だったんですか」
「そうね。でも、すれ違ったって気にもとめられないような、魅力のない人だったわよ」
 化け物じみた化粧をし、長髪のカツラを被っていたというから、よほど目立っていたのかと思ったが、実際毎晩会っていた人が持つ印象は、そんなものなのかと驚いた。そしてさらに、驚く話を聞かされる。
「つい去年だったか、あの事件のことを書きたいっていう女性を連れて出版者の人が来てね、その女性というのがあの東電OLにそっくりなの。あたしびっくりしちゃって。あれは東電OLの妹さんなんじゃないかって、そう思ったのよ。それで『あの事件はもういいんじゃないですか。ご家族も苦しむでしょ』って言って、追い返しちゃったわ」
 女将さんは、心底あの東電OLを哀れんでいる様子だった。

 街には気配というものがあるが、それが渋谷には感じられなくて好きになれないと冒頭に書いた。しかし円山町にだけは、何とも禍々しい気配を感じる。それはどこか切ないような、うすら寒いような、落ち着かない気配だ。
 わたしはその気配に今、急激に惹かれている。渋谷という街が何かの熱に浮かされて重心を失っている中で、唯一ひっそりと、これまで堆積してきた怨念をゴロン、ゴロンと底に転がせている。円山町はそんな街だと思う。
「酒飲んでるだけじゃん」と言われればまあ、その通りなのだが。
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by etsu_okabe | 2004-06-28 01:16 | 日々のこと/エッセー

『電車男』の実験結果。

 先日ブログ漂流をしていたら、電車男の話題にでくわした。2chで空前の話題になったという「電車男」......デンシャオトコ......2chアレルギーのわたしだが、その名称に安部公房的不条理世界の匂いを感じ取り、引っ掛かってしまった。
 早速ググって、まとめサイトに行き当たる。
 で、もちろん電車男は期待したような不条理世界のカリスマなどではなく、ある意味<健全で正しい>2chの住人だった。しかし読み進むうち、これはただの「いい話」じゃないぞ、と感じはじめた。

 わたしが2chを毛嫌いするのは、その書き込み内容の殆どを占める『顔の見えない者同士の見下し合い合戦』に、読むだけでも自分の大切な部分が捩じれてきそうになるからだ。
 ところがこの電車男のスレッドは、それとは真逆の「助け合い」の愛情溢れる場だった。そしてそのことで話題になり、サーバーがパンクするほど注目され、最後には多くの人が涙したという。
 その内容を簡単に説明すると-------。

 彼女いない暦=自分の年齢、という冴えないアキバ男が、電車の中で出会った女性に恋心を抱いたことを2ch内で話す。その語り口が素直で、いうなれば「ネット好青年」な彼に住人たちの反応は優しく、ちょい先輩面の親切な恋のアドバイスが始まる。思わぬことに彼女から電車男に連絡が来たことでスレ内はにわかに活気づく。自分に自信を持てない電車男をなだめたりすかしたりハッパをかけたりしながら、何とかこの恋を進展させようと白熱する住人たち。電車男はそれに素直に応え、オタク長髪を切り、高価な服を買い、彼女のためだけに未知なる世界へ足を踏み入れていく。
 つまりこれは、友人に励まされて見事逞しく変貌した青年が恋人をゲットするまでのサクセス・ストーリーであり、また、2chを舞台にした感動友情物語でもあるのだ。

 このまとめサイトの膨大なテキストを、二日かけて全部読んだ。涙は出なかったが、夢中で読んでしまったことは認める。
 これはヤラセだ、という見解もあるようだ。確かに、ネット上でのコミュニケーションがネガティブな受け止められ方をされている昨今「掲示板もこんな風に素直な心で参加すれば、素晴らしい人間交流の場となりうるんですよ」というアピールのために仕組まれたものと、考えられなくもない。
 しかしわたしが感じたのは、これは「実験」じゃないかな、ということだった。
 全く好戦的なところのない、無害で素直でかつ2ch住人の共感を呼びやすいバックグラウンドを持つキャラクターを投入し、そいつに最も人が反応し易い話題=恋愛の悩みを語らせたら、そのスレッドはどうなるか。もしかしたら、全く毒気のない「いい掲示板」ができ上がるのではないか。そう考えた人が、面白半分に、いやもしかしたら真剣に実験したんじゃないか、と。

 人は、自分よりも立場が弱い、才能が無い、地位が低い、容姿が劣る、貧しい、というような人に対してはとことん優しくなれる。電車男が少しでも増長した態度をとっていたら、あっという間にそこはいつもの非難・批判・誹謗・中傷の嵐の場となったことだろう。ところが、電車男は一切そういう言動をとらなかった。そこに不自然ささえ感じながら読んでいたわたしは、よほどのヒネクレ者か。
 しかし実際、恐ろしいほど人のいい電車男に対して、彼を攻撃の対象とする住人は一人も現れなかった。
 そこでわたしは想像するのだ。
 他のスレでは毒を吐きまくっている人も、ここではつい良きアドバイザーになってしまったのではないか。そしてそれは相手を言い負かして得る「スカッ」よりもずっと気持ちのいいことだったから、あっと言う間に伝播したのではないか。電車男がヤラセなのか実験なのか実在者なのかは分からないが、そのことだけは事実のような気がする。
 途中、電車男が相手の女性を「中谷美紀似」と発言しても、その頃にはもうすっかり「イイ人」が伝染しきっている住人たちは誰一人ツッコまない。最終章で彼女をゲットする頃には住人の誰よりも立派に成長した彼を、妬んで蹴り落とそうとする人も一人としていない。それどころか、ありがとうと拍手と感涙の応酬だ。
 やっぱりこれは「邪念の一切ない<イイヤツ>の前には、誰もが<イイ人>になる」という、人の良心を試した実験だよ、きっと。そのうち、掲示板荒らしバスター「電車男」なんていうソフトが出たりして!

 それにしても、住人諸君の恋のアドバイスには、見事に何一つ、感心することも新発見もなかった。もっと独創的に恋愛しないと、いかんよ。君たち!
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by etsu_okabe | 2004-06-27 01:31 | 日々のこと/エッセー
 ここ数日の間に、人にわざわざ報告するほどでもないつまらぬ「痛いこと」が続いた。

 眠気と闘い一仕事終えた明け方、さあベッドへダイブ! という瞬間、テーブルのグラスを床に落として粉々に......。
 大きな買い物をした翌日、同じ店でバーゲンセール開始のチラシが......。
 アマゾンマーケットプレイスに出品中の古本が売れたので配送準備をしていたら、キャンセルのメール......。
 ニューボトルに嬉し気にポスカ(ガラスにも書けるマジックペン)で名前を入れたあと、ふと余計なことを書き足したくなり、思いきり振ったポスカの蓋がとれてお気に入りのワンピースにインクのシミが......。
 などなど。

 お、ついてた、ラッキー! というようなこともあったに違いないのだが、全く思い出せない。誰もがそういうものなのか、わたしが珍しくネガティブなのか。
 少し前に、高田渡さんの「死にたくなるような毎日を暮らしていることが素晴らしいんだ」という言葉に心動かされたエピソードを書いた。今、この言葉が身に染みている。
 人は、重大なことで思い悩んでいるときよりも、こういうささいな「ついてない」が続いたときに、ふっと自分を断ち切ってしまいたくなるものなのかもしれない。はっきりとした理由のある絶望感には意外に次の手があるものだが、誰も責めたり恨んだりできないショボイ敗北感には、打つ手がない。
 高田渡という人は、それを「素晴らしい」と言う。
「死にたくなるような毎日を暮らしていることが素晴らしい」
 文字で読むとまるで若者を励ます言葉のようだが、実際は全く違う。独り言のように吐き出されたこの言葉、むしろ自嘲と言っていい。ちっともポジティブではない。それなのに、わたしがこの言葉に救われるのはどうしてなのだろう。
 キレイゴトではない、垢にまみれもみくちゃにされ引きちぎられ捻りあげられてきた、生身の言葉だからこそ、か。
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by etsu_okabe | 2004-06-19 03:57 | 日々のこと/エッセー
 また子供が、イジメに苦しんで自殺した。「あんな冗談で死ぬなんて」「いつものおふざけなのに」「自分だって逆の立場に立ったことがあるくせに」「死ぬほど苦しめる気がないことぐらい、分かっていたろうに」
<殺そうと思ってイジメた>のでない限り、イジメた方には様々言い分があるだろう。そこには「こっちには悪意はなかった」という主張がある。

 悪意がなければ、悪事ではないのだろうか?

 わたしが嫌う人間の中に、よく、
「私は悪いことでも何でも正直に言うが、お腹の中は真っ白で悪意のかけらもない」
 というフレーズを連発する人がいる。この前置きの後、遠慮なくぶつけられる<悪意なき正直な言葉>に、今までどれだけ傷つけられてきたことか。思い出すだけで本当に胸くそが悪い。

 人は、悪意によって傷つくのではない。つきつけられた言葉や行為、そのものによって傷つくのだ。
 いったん傷ついたそのあとで、そこに悪意があったのかなかったのか、相手の意図を推し量る。悶々と悩み抜き、たとえ相手に悪意がなかったと判断したとしても、どうしても許せない場合だってある。
 いやむしろ、悪意がなかったからこそ許せない、ということも少なくないのではないか。逆に「悪意は感じるけど許せる」こともあるように。

「キツイこと言ったけど、私、お腹は真っ白だから」
 は、
「丸腰の市民に一斉射撃したけど、敵と見誤っただけで故意じゃないから」
 というどこぞの国の戦地での言い訳と同じだ。

 悪意があろうがなかろうが、人を傷つけたらそれは罪なのだ。罪から憎しみを生み出さないためにどうしたらいいのか、一度でも傷ついたことのある人なら、想像できると思う。


 えー正直に言ってしまうと、「お腹は真っ白」と言う人の中にこそ、真っ黒な悪意が潜んでいると睨んでいるわたしです。以上。
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by etsu_okabe | 2004-06-16 22:20 | 日々のこと/エッセー

悲しくて楽しくて

 小6少女の事件のことが、まだ心に引っ掛かっている。前回この事件に関する記事を書いたせいか、1日のアクセス数が突然150件を超えてきた。今まで平均70〜80件だったのだから、倍に増えたことになる。それだけ関心が高いのだろう。
 わたしはテレビ報道を見る。誰かの意図のある取材によって集められた材料に、誰かの意図のある編集によって体裁を整えられた情報を見ている。それで一瞬、分かったような気になる。
 しかし当然、本当は何も分かっていない。それでも、その与えられた情報から何かを想起させられ、刺激され、発言したくなり、もっと知りたくなり......と、煩雑な日々の合間に勝手にやっている。
 それは、不快なことではない。むしろ、楽しい。つまりわたしは、こうした事件を悲しみながら、楽しんでいることになる。

 今日、全く別方面の友人である二人の男性から、それぞれ電話とメールという手段でほぼ同時に「結婚する」という報告を受けた。
 ものすごく嬉しいが、どうも楽しくない。人の気持ちとは、きっとそういうモノなのだ。むむむ。
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by etsu_okabe | 2004-06-10 02:43 | 日々のこと/エッセー

制御不能な「怒り」

 小学6年生の女の子が同級生をカッターで殺した事件のことを、一日中考えていた。
「命の大切さを教えなければいけない」
「インターネットの危険性について教えなければいけない」
「悩みを打ち明けられるような家庭環境が必要だ」
 どれもこれも、トンチンカンに思えて仕方ない。

 問題は、「怒り」のコントロールではないだろうか。
 わたし自身が、怒り感情をどうにもコントロールできなかった時期があるので、そんな風に考えてしまう。

 小さい頃は口が達者で、誰でも言い負かす自信があったイヤなガキだったわたしが、思春期の頃、突然そうできなくなった。相手を倒すためだけに次から次へと繰り出す理屈ヘリクツの数々が、実はものすごい矛盾を孕んだ浅はかなモノだということに気づいたからだ。それまでの自分を、心底恥ずかしいと思った。
 そうして言葉のパンチで自分を正当化することをやめて以降、「言いたいことをちゃんと言えない」というしんどい状況に何度も陥った。それは、相手がかつての自分と同じ、にわか作りの薄っぺらいヘリクツを撃ちこんできたときだ。こちらが何を言い返しても、そういう人の心には何も入っていかないことを、わたしはよーく知っている。だから、黙ってしまうのだ。
 ところが、相手はわたしが黙ったことで調子づいてしまうのか、自分の言葉に酔い、自身の正当化を通り越してこちらを傷つけにかかる。これは本当に辛い、ストレスフルなことだった。
 それがしばらく続いたあと、突然「怒り」が制御不能になった。
 そのときわたしがどうなったのかは、書きたくない。人は殺していないが、殺してもおかしくなかったと思う。漫画のように、全身の毛が逆立つ怒りだった。しかもそれは一瞬ではおさまらず、胸の底で石となり悶々と転がり続けた。

 そんな真っ黒な石はいつの間にか消えてしまったが、今でもわたしは言葉の攻撃の前には沈黙してしまうことが多い。そして、自分の様々な感情の中で「怒り」が最も恐ろしい。

 11歳の女の子が、交換日記やネットの掲示板で誹謗されたことに対して、それが「悪事」と知っているからこそ同じ誹謗をやり返すことができず、他に怒りを鎮める術を持てなかったこと、よく、分かる。少なくとも、同じ状況に置かれたとき、自殺をしてしまう子の気持ちよりも、カッターを握ってしまった子の気持ちの方が、分かる。
 だからわたしは、彼女に「殺人はいけない」「命は大切に」なんて言葉、とても吐けない。
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by etsu_okabe | 2004-06-04 03:10 | 日々のこと/エッセー