小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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思い出は、みんな夏。

 ドロッドロに暑い夏が好きだ。忘れがたい思い出は、みんな夏の中にある。本当は別の季節に起こったのかもしれないことも、わたしの脳みそが「夏のできごと」にしてしまっているのかも知しれない。

 ここ数日、渡辺貞夫のアルバム「Rendezvous(ランデブー)」がず〜っと頭の中で鳴っていて、矢も楯もたまらず、今夜は部屋に戻ってからずっと聴いている。

 1984年、ちょうど20年前の夏、わたしは19歳で、バンド仲間とその取り巻きの男の子たちたちに囲まれて紅一点、ちやほやされてイイ気になっていた......と、きっと思われていた。しかし実状は、魅力的な女友達はみな恋人を作ってしまい、気がつけば周りはムサ苦しい男どもばかりだった、というだけのことだ。
「お前はいつも俺たちと一緒にいるから、彼氏もできなくて可哀想になあ」
 などと言いながら、わたしが他の男の子と遊ぶと機嫌が悪くなる。そんな子供っぽい彼らに、わたしは心の中で舌を出していた。実はこっそり、恋をしていたのだ。
 彼はドラマーで、7歳年上だった。今ではどうということのない年齢差だが、同学年の男たちばかりに囲まれて何年も過ごしてきた19歳の小娘にとって、26歳は大した大人だった。おまけに彼には2度の結婚経験があり、当時の奥さんとの間には2人の子供もいるという、人生の経験値からしても実際「大人」だったのだ。ものの見方や対処のしかた、いちいち何もかもがかなわない。それまでの恋愛経験がままごとにしか思えなくなってしまうほどの、階段を二段抜かしで上っていくような恋だった。
 つきあい始めた頃、彼がよくカーステレオでかけていたのが、ナベサダの新譜「ランデブー」だった。
「音楽? 好き好き! やっぱRCだよね、キヨシローだよね! 武道館行った!?」
 そんな毎日だったわたしを、それは簡単に別世界へ連れて行ってくれた。
 彼はとにかくドラムが好きで好きでどうしようもなく好きで、ドラムが全てという人だった。わたしのつまらない愚痴やとりとめのないお喋りをニコニコ聴いてくれたあと、彼がしてくれるのは、アメリカでの演奏旅行の話や、スティーブ・ガッドのワークショップに参加したときの話なのだ。ライブ会場で引っ掛けた女子高生をどうにかした自慢話なんかばかり聞かされていたわたしにとって、それはただただうっとりと、甘美に浸るばかりの時間だった。
 父親から誉め倒されて育ち、すっかり生意気が熟成した16歳のときその父親に死なれ、モノサシを失って立派な「孤独なファザコン」となっていたわたしに、彼は父親的な役割も果たしてくれていた。どんなに甘えてもわがままを言ってもすねても泣いても怒っても、全て受け入れてくれる。
 3年後、これといった理由もなくサヨウナラを言い出したわがままにも、彼は笑って「寂しいけど、そう決めたならしかたないね」と手を離してくれた。
 わたしは23歳になろうとしていた。メンバーの何人かは大学を卒業して就職をし、バンドは崩壊しつつあった。その翌年に空前のバンドブームが来ることなど予想もしていなかった、昭和が終わろうとしていた頃のことだ。

 20年も前の恋愛話、我ながら多少美化していることは否めない(まあね、うふふ)。それでもこの恋が、わたしにとってとても大切な時期に、大切なことを教えてくれたことは本当だ。
 彼に妻子がいたことで、不愉快に感じる人もいるだろう。
「君は自分の正しいと思うことは何の躊躇もなく表現してしまう。それはとてもいいことなんだけど、世の中には違う価値観を持っている人もいることを忘れてはいけない。次に恋をしたとき、妻子のある男とつきあっていたことを、相手に言うべきじゃない。君が正しいと思うことが、相手を傷つけることもあるんだよ」
 いつだったか、彼にそう諌められたことがある。当時のわたしは本当に開けっぴろげで、バカバカしいほど無邪気な子供だった。彼にはそれが、危なっかしく思えたのだろう。相手を傷つけることで、わたしが傷つくことも心配してくれていたのだと思う。
 それでもわたしは、あの恋を悪いことだったとは思わない。恥ずかしいとも思わない。夢に向かって真直ぐ進んで行く人に憧れて、尊敬して、好きになって、そしてその人から愛された。とても誇らしい思い出だ。
 恋をする素晴らしさは、我を見失うほど相手から影響を受けることだと思う。背伸びしたり偽ったり無理をしたりして、ときには自分を崩壊までさせてしまう。そんなこと、恋愛以外にできるだろうか。崩壊した瓦礫の中には、自分の「芯」だけが残る。それを認め合える人を探す旅が、きっと恋愛なのだ。

 彼との最後の夜、家まで送ってくれた車の中でかかっていたのが、あの「ランデブー」だった。というのは、わたしがあとから勝手に作りだした妄想だろうか。
 深夜の国道を、窓を全開にして走る車。蒸し暑かった空気がふいに冷気を帯び、車は間もなくわたしの家に着く。二人のランデブーは、これでおしまい。サヨウナラ......。

 夏は、ビールの酔いとともに、たくさんの思い出を連れてくる。思い出の中のわたしは、けなげで愛おしくて、あ、頬が弛んじゃうわ。

※『渡辺貞夫/Rendezvous/1984年』
Sadao Watanabe:Alto Saxophone,
Steve Gadd:Drums,
Marcus Miller:Bass,Synthesizer,
Ralph MacDonald:Percussion,
Eric Gale:Guiter.
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by etsu_okabe | 2004-07-27 01:02 | 音・詩のこと
『サマータイム』。
 昔から、この唄が大好きだった。

 子供の頃は歌詞の意味を分からないまま聴いていたが、その美しくけだるい曲調がなんとも艶かしく「わたしの知らない大人の事情のある夏」を思わせて、ああもう早く大人になって身を焦がすような恋をしたい! と、「夏休みの友」を広げながら子供らしからぬ妄想を繰り広げたものだった。
 それからあっと言う間に大人になり、燃えるような恋もゴミのような恋もして、『サマータイム』がガーシュインの黒人ミュージカルの挿入歌で、子守唄であることを知った。しかしそのストーリーに興味を持つより前に、ピザハウスのジュークボックスから流れる絞るようなジャニスの『サマータイム』を聴いてしまった。その衝撃で十分だった。

 そろそろ大人でいることに飽きた頃、NYのHMVで偶然見つけたアル・ジャロウのアルバムに『サマータイム』が入っていた。ミュージシャンが、珠玉の曲を自分の才能で解釈し再生することの意味を知った。つまりとにかく、素晴らしかった。
 同じ頃、気まぐれに買ったニーナ・シモンのベストBOXに『I Loves you Pogy』という身悶えするような曲が入っていた。ミュージカル『ポーギー&ベス』の挿入歌とある。調べると、そのミュージカルの代表曲が『サマータイム』だった。

 そしてこの夏(もう何度目の気だるい夏か)、友人が、『サマータイム』ばかりを14曲集めたCDを作ってくれた。お決まりのジャニス、サム・クック、そしてアル・ジャロウ。エラ・フィッツジェラルドもサッチモも、わたしの心の恋人マーカス・ミラーもいる。
 そして彼女はそれとは別に、ドイツのレーベルからリリースされているという『サマータイム』17曲入りのCDも焼いてくれた。こちらにはハービー・ハンコック、JB、ビリー・ホリデイ、わお、わたしの心の恋人(何人いるんだ)マイルスもいるわ!
 つまり今、わたしの部屋には31曲の『サマータイム』がノン・ストップで流れ、カールスバーグは2本目に突入し、さっきまで殺人的だった西日が急に優しくなった休日の午後6時、至福のときが流れているのである。

 極楽気分でネットサーフィンしていたら、どういうシンクロニシティか、今年9月、ニューヨーク・ハーレム・シアターの『ポーギー&ベス』の日本公演があるという記事にぶつかった。
 わーおっ!! 今からチケット買いに行ってきます!

※ニーナ・シモンの『I loves you Pogy』を聴いたとき、もちろん、どうして“I”に続く動詞が“Loves”と複数形なのか疑問でした。誤植でもないらしい。このミュージカルには他に『You is my woman』というタイトルの歌もある。Youのあとに“is”? 米国人の義弟に訊いても「分からん」とのこと。当時の黒人スラングなのかしら〜。
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by etsu_okabe | 2004-07-19 18:38 | 音・詩のこと
 20数年前、スターリンのライブでステージから小麦粉をぶっかけられて以来の、生・ミチロウ。
 7月15日、吉祥寺スターパインズカフェ。今もわたしの中の何かが、爆発しそうだ。

 60年代に生まれ、80年代に青春を過ごしたわたしが、十代の頃ロックから教わったのは、反体制魂。
 政治的なむづかしいことは分からない。ただ、搾取される弱い立場の側に常に立ち続けること、そして、そんな人たちの上前をハネているズル賢いヤツらに中指を突き立て続けること、それがロックで、最高にカッコイイことだと信じて大人になった。
 例えば先日のイラク人質事件で、「税金返せ」だの「自己責任」だのと、政府側の意見に同調して被害者を批難した人々に対し「NO!」と叫ぶのも、そういう単純な考え方からだ。税金の使われ方がどうとかNGO活動についてどうとか、理屈なんてどうでもいい。わたしの立つ位置は「どっちがロックか?」で決まる。
 普段の生活でも、わたしは無意識にそうやって自分の立ち位置を決めてきた。学校でも、職場でも、友人とのつきあいの中でも。角の立つ生き方ではある。衝突も少なくなかった。損ばかりしてきた気もする。
 それでもいい。だって、絶対にカッコ悪いことはしたくないんだもん。

 と、そうは言っても、ときどき心が揺らぐ。そろそろヤツらと「手打ち」しないと、わたしの人生ダメになるんじゃないか。そんな囁きも聞こえてくる。そういう年齢になった。
 それでも自分の価値観を、何十年と頼りにしてきたモノサシを、簡単にたたき折ることなどできない。しかしこのままじゃ、踏み潰されて腐ってしまいそうだ。どうしたらいいの。しんどいよぉ......。

 まさに今、そういう時期だった。知人が出るし会場が近所だから。そんな理由で行ったライブだった。そこに、回答があった。
 遠藤ミチロウ、「天国の扉」(原曲はボブ・ディラン)。
 今まで、テレビで2、3度聴いたことがあった。そのたび、ミチロウの詩に激しく心が揺さぶられた。まさかこの日、それが聴けるとは思っていなかったので、心の準備ができていなかった。イントロがつま弾かれた途端、胸の奥でガチガチに固まって張りついていたモノが、ドロリと溶けてこみ上げてきた。うっとなった瞬間に涙が出て、出て、出て、止まらない。
 わたしは、なんてバカなことを考えていたんだろう。自分の一番大切なモノを捨てて、最悪にカッコ悪く生きて、一体何をしたかったというんだ。このドアホ!

 不惑を目前にして、いまだに大事なことはロックから教わっている。
 こんな自分が大好きだわ。


↓↓さらにスゴイ、「ヒロシマ・ファック!」ヴァージョン↓↓

※動画は2010年3月13日に追加
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by etsu_okabe | 2004-07-17 20:45 | 音・詩のこと

時節柄、怪談を一席

 中学時代、学校帰りのできごとです。

 部活で遅くなったわたしは、暗い夜道を一人、家路に向かっていました。田舎のことで、県道とはいえ街灯はまばら、車の交通量も少なく、とても心細い思いでした。道の両脇に広がる畑は底なし沼のように真っ黒で、今にもそこからぬっと何かが現れそうなのです。
 そのとき、背後から軽快な足音が聞こえてきました。振り返ると、暗くて顔は見えませんが、学生服の金ボタンと斜にかけられた白い布製の鞄が暗闇に浮かんで見えます。
「同じ学校の男の子だ」
 わたしはこの寂しい道中を一人でないことにほっとし、勇気づけられました。畑の方はなるべく見ないようにして、後ろから来る彼の足音を聞きながら歩きました。
 間もなく、一台の車がすうっとわたしの前で停まりました。心配した父親が迎えにきてくれたのです。わたしは小走りで駆け寄り、助手席に乗り込みました。ヘッドライトは今来た道を煌々と照らしています。
「あの男の子、誰だったんだろう」
 同じ通学路を通る何人かの男子生徒の顔を思い浮かべながら県道を見ると、不思議なことに誰もいません。
「あれ、もうこの車を通り過ぎたのかな」
 後ろを見ても、やはり誰もいないのです。
「パパ、今わたしの後ろを男の子が歩いていたでしょう?」
「え、そうだったかな?」
 たった今のことなのに、父の記憶も曖昧です。
「ついさっきまで、あたしの後ろを男の子が歩いていたんだよ」
「そうかい? パパは気づかなかったけど、どこか道を曲がったんだろう」
 わたしはもう一度、よく道路を見渡しました。畑の中を通る県道からの脇道は遥か遠くで、この数分の間に男の子が曲がれる道はありません。県道の両脇は大人の胸ほどの高さの土手で、たとえそれが近道だとしても、この暗闇の中、飛び下りて行くとも考えられませんでした。

 翌日、学校でこのことを話すと、
「昔この学校で、ズボンのチャックに雷が落ちて死んだ男子生徒がいるんだって。その子の幽霊は、学生鞄で股間を隠してるって、聞いたことあるよ! 絶対その幽霊だよ!」
 と、いかにも中学生が考えそうな下ネタ混じりの「学校の怪談」で少しだけ騒がれましたが、数日もするとみんな忘れてしまいました。

 真実は今でも分かりませんが、わたしがあの夜あの道で彼に励まされたことは本当で、そのせいか、このできごとを「怖い」とは思っていません。
 あの男の子、人かモノノケか分かりませんが、案外うっかり土手から落っこちてたのかもしれませんね。想像すると、笑える(もちろんそんなこと、ありえませんが)。
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by etsu_okabe | 2004-07-12 22:04 | 日々のこと/エッセー
 夏になると、押し入れから引っ張り出すビデオがある。それは「君がいた夏」というアメリカの映画。

 夢だったプロ野球選手になるも、今は落ちぶれ、自堕落な生活を送っている冴えない中年男、ビリー。ある日故郷の母親から、従姉のケイティが自殺したことを知らされる。彼女は、自分の遺灰をビリーに託すと遺言していた。しかしビリーには彼女の真意が分からず、その遺灰をどうすべきなのか見当もつかない。
 故郷へ帰る電車に揺られながら、ビリーはケイティとの切ない思い出を振り返る。
 いつも自分を励ましてくれた6歳年上のこの従姉は、子供の頃から、堅苦しく退屈な田舎暮らしの中で発揮しきれぬ自分に苛立ち、そしてそれをどこかで諦めているような、大人びてはいるが危うい雰囲気の女性だった。そんなケイティに、ビリーは幼い頃からほのかな恋心を抱いていた。
 高校最後の年の夏休み前、プロ野球からスカウトを受け幸福の絶頂のとき、ビリーは親友のようだった父親を事故で突然亡くしてしまう。心にぽっかり穴の空いたビリーは、叶いかけた夢をも捨てようとしていた。
 父の葬儀で久し振りに会ったケイティは、相変わらず色々な男と恋をし、危なっかしい生活を送っていた。そんな彼女に反発しながらも、ビリーは再びケイティに惹かれていく。そして二人はその夏を、海辺の家で二人きりで過ごすことになった。
 例えようのない親密な感情で、結ばれる二人。ケイティとの日々を終えたビリーは自分を取り戻し、再び夢に向かっていく。
 そんな昔の思い出を辿りつつ、故郷に着いてからも、ビリーはケイティの遺灰をどうして良いか分からない。すっかり落ち着いてしまった高校時代の悪友と一晩中遊びながら、彼は何かを思い出そうとする。
 そして、とうとうビリーは思い出した。まだ自分が小学生で、ケイティが16歳だったときのこと。彼女が彼に語って聞かせた、彼女の思い、彼女の夢。
 そしてあのとき二人がそうしたように、ビリーはケイティの遺灰の入った壷を抱え、桟橋を全力で駆け抜け、その突端で海に向かい、思いきり灰を、ケイティを解き放った......。

 この映画の主人公はビリーで、原題も「STEALING HOME」=本盗塁、つまりビリーの野球への夢をテーマにしたようなフリをしている。
 しかし、わたしにとってこの物語の主人公はケイティだ。彼女に感情移入して見ずにはいられない。ケイティの「自由」への渇望、自力でどうすることもできない苛立ち、そして諦め、期待、悲観、絶望。そしてそんな思いを、無邪気に夢に向かえる 年下の従弟を励ますことで癒す、彼女の切なさ。そのどれもこれもに、共感せずにはおれない。ジョディ・フォスターの演技の素晴らしさも、大きく影響していると思う。
 こうして書きながら、思い出して泣けてきちゃった。
 この映画を、「いい」という男性に今まで巡り会ったことがない。女にしか分からない機微なのかしら。
 今年も、「君がいた夏」を見たくなる季節になった。
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by etsu_okabe | 2004-07-07 23:05 | 映画/芝居のこと
 その場の雰囲気に合わせて適当に振る舞ったり、相手に合わせて調子のいい言動をとる人が、嫌いだ。

 ある場所で元エロゲー制作者という男性に会い、エロ談義に花が咲いた。
 わたしは男女の性欲や性癖、性的倒錯にとても興味を持っている。実はこっそり小説を書いたりしているので、男性側のエロはこういう機会に存分にヒアリングしたくなるのだ。大変デリケートな個人的な話にまで発展することが多いから、なかなか核心に迫ることができない内容だが、その人はわたしの意図をすぐに嗅ぎとってくれ、全く臆せず一般論から自身の個人的な性癖にまで及ぶ「男の性」の話をしてくれた。ほぼ初対面だったことを思えば、うっかり感動してしまうほど充実したインタビューだった(周りは唖然としていたケド......)。
 しかし。その時その場に居合わせたのが「周りに合わせるお調子オトコ」。
 翌日から、そのお調子オトコのわたしに対する「シモネタ」振りが始まった。今日は「これから合コンなんですけど、やっぱコンドームは2個持ってった方がいいと思いますか〜?」ときた。わたしをただの「シモネタ好き」と勘違いして、サービストークをしているつもりらしい。鼻の穴を膨らませて、得意満面にこちらの応えを待っている。は〜っ。
 わたしが嫌うのは、こうしたお調子人間の<上っ面をペロリと舐めただけで全て分かったような気になっている>薄っぺらいところだ。昨日と今日で違うことを言っていても、自分でそれに気づかない。その場に自分が「馴染んでる」ことが最重要項目。
 ああ、いやだいやだ。

 とかなんとか偉そうに言っているが、実を言えばわたしもかつてはそんな「お調子人間」だった。と、思う。自分を殺してでも、その場で楽しい存在でいたくて仕方なかった時期がある。
 そんなわたしに「君は違うだろ」と諭してくれたのが、当時の恋人だった。<本当のわたし>を見抜いてくれた、貴重な存在。彼のおかげで、わたしは自分が何者かをちょっとだけ知ることができたし、自分が本当に何が好きで何が嫌いなのか、はっきり意識することができた。
 やっぱ、恋愛しないとだめかな〜(現在恋愛自粛中)。

 周りに合わせるためだけの、薄っぺらな、その場しのぎの言動は、誰の心も動かさないし何も生み出さない。行動も言葉も、自分のために使わなくてどうする!(自戒もこめて)
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by etsu_okabe | 2004-07-04 05:02 | 日々のこと/エッセー