小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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嫉妬心

 前記事に続いて、二十歳頃の苦い思い出話から。

 女友達がわたしのバンド仲間の一人と仲良くなったことに、妬きもちをやいたことがある。別にその男の子を好きだったわけではない。ただ、友達がわたしを“差し置いて”メンバーと仲良くすることが、腹立たしくて仕方なかった。知らず知らず『バンド仲間はわたしのもの』と思っていたのだろう。若かったとは言え、まったく傲慢な話だ。
 その後、彼女が彼を追いかけて家出をする際、親に「えっちゃんと一緒に出かける」と嘘をついたことでわたしたちは決裂してしまったのだが(青春ぽいな〜)、本当の決裂の理由はわたしの嫉妬心だったと、今では思う。

 下らない自分の嫉妬心がたくさんの大事なものをぶっ壊したことに、わたしはすぐに気がついた。そのバカバカしさに呆れ返った。恥ずかしさに身悶えし、自分が大嫌いになった。
 それ以来、この手の嫉妬は一切しなくなった。我慢しているわけではなく、本当に嫉妬心が湧いてこない。いや、正直に言うと嫉妬心自体はあるのだが、それをメラメラと燃やすことがなくなった。ちくんと感じて、はいおしまい。そのあとは、なぜかとても気分がいい。
 恋人に対しても同じだ。彼がわたし以外の女の子と仲良くしたり、わたし以外の女性に興味を示したりしても、ちくん、はいおしまい(はっ。もしやそれがいけなかったのか......)。

 前にも書いたことだが、わたしは嫉妬を悪いことだとは思わない。いかにも人間らしい感情だと思うからだ。
 問題は、嫉妬心にかられて起こしてしまう、人の行動だ。スネてヒネてねちっこく報復を企てたり、悲劇の主人公になって同情を求めたり、刃傷沙汰に及んだり、といった破壊的な行動は、何も生み出さない。

 他の人が嫉妬心とどうつき合っているのか、知りたくなった。

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<追記>
 決裂した友達から、数年後、年賀状が届いた。わたしの知らない土地でわたしの知らない人と結婚し、母親になっていた。「会いたい」という、懐かしい彼女の丸文字を、何度も何度も読み返したのを覚えている。今もいい友達です。
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by etsu_okabe | 2005-05-28 21:41 | 日々のこと/エッセー
 他人に軽んじられているときというのは、相手がいくら誤魔化そうとしても、分かる。

 二十代の前半、まだ田舎にいたころ、仲間の結婚披露宴に招待されて上京した友人二人が、怒髪天を突く勢いで帰ってきた。招待者である新郎のAが、二人の二次会出席を断ってきたというのだ。
「あんのヤロー、何て言ってきたと思う? 二次会は会社関係の友達がくるから、遠慮してくれだとよ!!!」
「ナニサマだ! そんなに俺たちが恥ずかしいなら、最初から呼ばなきゃいいだろうが!!!」
 もっともな怒りだ。
 二人とAとわたしは、高校時代からのバンド仲間だった。Aは大学進学で東京に行ってしまい、早々にバンドを抜けてはいたが、帰郷すればいつも集まって飲んで騒ぐ関係が続いていた。中でも、披露宴に呼ばれた二人とAは小学時代からの幼馴染みなので、関係も深い。
 Aは、商業高校からは珍しく都内のおぼっちゃま大学へ進学し、父親のコネもあって誰もが知る大企業に就職を果たした。一方、田舎に残った二人のうち一人は地元の大学を出たあと家業をつぎ、もう一人は今で言うフリーター生活をしていた。
 Aが有名大学に進学したことも、一流企業に就職したことも、わたしたちにとっては大したことではなかった。AはA。別に人間が変わるわけじゃない。同じ酒を飲み、同じ話題で笑い合える仲間だ。
 ところが、Aの意識は変わっていたのだ。
 彼が、東京の一流企業人たちが集まるパーティで田舎者の二人が浮きまくることを案じた、というのはあまりにも優しすぎる解釈だろう。Aは単純に、会社の仲間たちを重要視し、幼馴染みたちを軽んじたのだ。
 二人にはそれが分かるから、ショックを怒りに転じてわたしにぶつけてくる。決して本人のAにはぶつけない。つまるところ自分たちがAにとって価値の低い人間になってしまったのだと、分かっているからだ。自分を見下している相手に「下りてこい!」などとは、ミジメ過ぎて言えない。

 今日、これと似たような思いを味わった。
 対等であると思っていた人から軽んじられるというのは、なんというか、やり場のない悔しさがある。いやな自分を見るハメにもなる。そしてだんだん、モーレツな怒りが溢れ出してくる。相手の持つ、実に下らない価値感をバカにしてしまえばいいのだが、怒りや悔しさはそんなものを乗り越えて襲いかかってくる。

 というわけで、今宵は祝い酒のはずが、ヤケ酒になりそう(大好きな友人たち、リトルキヨシトミニマム!gnk!のサイトリニューアルが、今日完了したんですよ!→http://sound.jp/littlekiyoshi/)。
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by etsu_okabe | 2005-05-22 18:01 | 日々のこと/エッセー

サディストの王子様

 人さし指を額にあてた及川ミッチーばりのナルシスト・ポーズで顔を半分隠し、連行されていく少女監禁男。タイプではないのに、映像が出るとつい見てしまう。これがむくつけき男だったら、化粧の手を止めてまで見ることはないだろう。

 このサディスト、ハンサムなのだ。

 ハンサムだというだけで、女に不自由しないということにはならない。黙って置いときゃ美しいのに喋るとおバカさんだとか、センスがダサいとか、生活が破綻しているとか、なまじハンサムだと他の部分の点数が辛くなるので、逆にモテないことも多い。
 この犯人もそのテなのかなーと思っていたが、いやいや、そうでもないらしい。
 ある2つのニュース番組に、それぞれ別の「犯人の元同級生」という女性が出てきて、こんなコメントをしていた。

Aさん「“王子”なんて呼ばれて、変な人だなあ、気持ち悪いなあって、みんなで言ってました」
Bさん「顔はカッコイイしお金持ちだし、みんな“王子”なんて呼んで、きゃーきゃー言ってました」

 中学時代、この男はきっと本当にモテていたのだろう。本物の「気色悪い変人」であったら、“きゃーきゃー”はあり得ない。キムタクを「キモい」と毛嫌いしたり(わたしじゃないよ)、ヨン様を「不気味スマイル〜」と斬り捨てたり(これはわたし)する女子は山ほどいる。Aさんのコメントはそういう種類のものだ。

 そっちの道には全く詳しくないのだが、サディズムは「普通の恋愛は交歓できないけど、ちゃんとコミュニケーションをとれた相手でないと肉欲を昇華できない」人が、愛撫の代償として手に入れた道具の一つなのだと思っている。
 つまり、レイプなどの極悪犯罪とは別ということ。

 人間丸ごとサディストだった男は、モテまくっているうちは気持ちよくても、いざつきあってみると、わがまま勝手で思うようにならない女に、崇められていたはずの自分がどんどん貶められていくようで堪えられなかったのではないだろうか。
 本来、そういうものに反発しながらも恋人への執着を捨てられず悶々と苦しむのが恋愛の醍醐味というものなのだが、サディストにはその肝心の<恋愛感情>が無い。支配者という立場でしか男女の関係を築けない。発情もできない。わたしたちが「押したり引いたり見せたり隠したり」し合いながら育てていく愛情関係の代わりに、サディストは一方的な<調教>で主従関係を育てていく。

 この調教というものには、される側がする側に依存しているという前提が必要だ、というのもわたしの個人的な考えだ。
 拒否する相手を無視して無理矢理縛り上げて犯すレイプと違い、調教には前提に「合意」がある。手錠を持つ相手に、自ら腕を差し出すことから始まるのが、調教だと思うのだ。

 さて。今回発覚した監禁事件は、レイプだったのだろうか。
 男は「合意があった」と言っているらしいが、そんなことはどうでもいい。知りたいのは、監禁されていた女性たちの本音だ。もしくは、同居してからの心情の変化だ。
 ストックホルム症候群が働いて逃げられなかったとしても、そこに小さな満足感があったかなかったか。悲惨な現状に絶望する日々の隙間に、自分の全てを剥ぎ落とし他人に100%委ねる開放感のようなものがなかったか。しかもその他人が、野獣ではなく美しき王子様であったならば。

 とここまで書いてニュースサイトで記事を読み(うちにはテレビがない)、男の家から大量の調教ゲームが押収されたと知ってガ〜ッカリした。脳内プレイがその道の極みではないか!
 結局この男、ハンサムなだけのおバカさんだったのかもしれない。期待し過ぎちゃった。

・Exciteニュース< 少女監禁>小林容疑者「刑務所に入るくらいなら死ぬ」
・東京無重力アワー「少女監禁事件」とにっかつロマンポルノ2連発。「青春」の鬱屈と哀れむべき犯罪……!!
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by etsu_okabe | 2005-05-14 12:16 | 日々のこと/エッセー
「あたしなんかもうダメ。トシだから」
 という台詞の中には、
(まだまだ若いよと言われたい)
 という期待が見える。
「俺って昔から変わり者って言われててさ」
 という台詞の中には、
(個性的な人と見られたい)
 という期待が見える。
「あたしなんか生きる価値がないから、死ぬわ」
 という台詞の中には、
(君が必要だと言われたい)
 という期待が見える。

 こうした、期待が前提にあるコミュニケーションをとろうとする人は、期待外れの応えを前にすると、傷ついたり逆ギレしたりするので、始末が悪い。
「もうダメ。トシだから」
 に、
「そうだよね、そろそろツブシがきかないよね」
 などと言い返したら泣かれるし、
「変わり者って言われてててさ」
 に、
「やっぱり。非常識なのは子供の頃からなんだー」
 などと言い返したら、絶交される。
「死ぬわ」
 に、
「練炭が確実らしいよ」
 などと言い返したら、殺されるかもしれない。
 相手の言葉に同調しただけなのに、極悪人にされてしまうのだ。
 だから人は、相手の期待が見えると、それにきちんと応えたレスポンスをして、会話は滞りなく終了する。

 なんとつまらないコミュニケーションだろうか。

 同じく“期待つきコミュニケーション”に「あなたのためを思って」という前置きがある。
 そこには、『感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない』という期待が見える。「ありがとう」以外受け付けない、威圧感がある。
 しかし不思議なもので、言われた方は本物の「あなたのため」と、言い訳の「あなたのため」は、はっきりと嗅ぎ分けられる。誰にでも覚えがあるだろう、「あなたのために」と前置きしたあと言われたりされたりしたことに対して、素直に感謝の気持ちが湧いてこないこと。
 わたしの友人には、あらゆることに「あなたのためを思って」と前置きして自分を育てた母親の「あなたのため」が、実はその母親自身のためでしかなかったことに気づいて、母親を捨てた人がいる。

 コミュニケーションは、よくキャッチボールに例えられる。
 相手に「こう投げ返せ」と言われながら放られたボールは、キャッチする気になれない。
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by etsu_okabe | 2005-05-04 22:23 | 日々のこと/エッセー

優しき街、吉祥寺

 仕事で大失敗をしたとか、友達と大喧嘩をしたとか、いわれなき誹謗中傷を受けたとか、そういうことがなくたって、なんとなく落ち込む日というのがある。原因が些細であればあるほど、大きな声で「くそー! こんちくしょー!」と言えない分、むしゃくしゃ鬱々と気分は重い。
 そんなとき、行きつけの飲み屋なんかで、しがらみの一切ない常連客同士騒いだり、優しいママさんに愚痴を聞いてもらったりして憂さを晴らせればいいのだが、わたしはそういうことが苦手だ。仕方ないので鬱憤を抱えたままアパートに戻り、一人手酌酒を呷ってウワ〜ッと泣いてすっきりする、ことになる(文章にすると演歌臭いな〜)。
 そんなわたしに最近、駆け込み寺ができた。それは、駅から家に帰る途中にある「二町目惣菜」というお店。その名の通り、お惣菜屋さんだ。
 ここのオヤジさんは、お客が店にいる間中、ず〜っとインチキ関西弁まじり(本当はこの街で育ったチャキチャキの地元っ子)の口調で話し掛けてきてくれる。それが、決して媚びておらず、押しつけがましくもない、慈愛に満ちた語りかけなのだ。
 店に入ると、
「ほいないらっしゃい。何になさるか。さあ後ろもみとくれ、お弁当のメニューがあるぞよ。どれもおいしいからな。お迷いあれ、お迷いあれ。たくさん迷っていいんだぞ」
 てな調子。
 本当に何分でも嫌な顔せず待ってくれて、何を注文しても必ず<よくぞそれを選んだ!>という感じで人さし指をピンとこちらに向けて立て、
「まっかしといて!」
 と頼もしい笑顔を向けてくれる。
「さあ、待ってる間に良ければ味噌汁をとっとくんだぞ。サービスだからな。お湯があればすぐできる。お湯がなければ舐めてもいける」
 自然に顔は綻んで、入ったときとは正反対のウキウキ気分で店を出る。
 不思議なもので、人は本当にしんどいときには心が固まって感情を表せないが、ちょっとした優しさで少しでも気を緩められると、堤防が決壊するように感情が溢れ出す。暖かいお弁当をさげてニコニコの帰り道、いつの間にか笑顔が歪んでジワンと涙が滲んできたりするのだ。
 総菜屋のオヤジさんがわたしの鬱屈を知っているはずはなく、慰めているつもりももちろんないだろう。しかし、わたしは間違いなくオヤジさんに癒されている。人はそうやって、知らぬ間に他人を慰めていることがある。
 こういう思いを何度かして、わたしはこの街を離れられなくなったのかもしれない。
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by etsu_okabe | 2005-05-01 22:08 | 日々のこと/エッセー