小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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楽園の地獄

 たった一度行っただけだけど、強烈な印象と思い出を残してくれた“小笠原”(船で25時間半。世界一遠い都内旅行)。
 生命の力と、地球の美しさと、時間の価値と......この身体で文字通り“実感”したものは、あまりにも多い。

 でも、わたしのような通りすがりの観光客には見えない、離島の負の部分だってある。
 島でよくして頂いたTさんの奥様は身体が弱く、発作を起こすとヘリ(自衛隊のかな?)で都内の病院まで運ばれるのだと聞いて驚いた。地図で見れば(見なくたって)、九州の方がはるかに近いのに、わざわざ東京に運ぶのは、小笠原が<東京都>だからなのだろうか。
 島には産婦人科医がいないので、出産は本土へ来なければできないという。獣医もいないので、ペットの病気治療も本土だ。

 今日、こんなニュースを知って暗澹たる気持ちになった。
 一体、誰が悪いのだろうか。

『小笠原村・母島の歯科医が「過労死」』
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by etsu_okabe | 2005-06-21 23:23 | 日々のこと/エッセー
 家庭内で主に夫から妻や子供に対して行われる暴力、ドメスティック・バイオレンス(DV)。幸いにもそういう家庭環境に育ってこなかったわたしだが、最近、日常的にDV体験をしている。

 職場内DVだ。
(外部からは中身が見えないという意味で、職場も“ドメスティック”だと思う)

 DVには、殴る蹴る、またはレイプといった身体的暴力の他に、外部との遮断を強制する社会的暴力、そして、<怒鳴る罵る脅すばかにする、といった精神的暴力>がある。
 職場で行われているのは、この最後の<精神的暴力>。これが、仕事上の失敗に対して上司が部下を叱る、といったレベルではないのだ。隣の部屋にまで届く怒鳴り声や態度はチンピラヤクザそのもので、最後には「殺すぞ!」などというとんでもない言葉まで飛び出す。
 わたしはまだ一度も直接怒鳴られたことはないが、目の前で行われる上司の部下への罵りは、十分「お前も言うことをきかないとこうなるからな」という脅しになっている。
 そういうわけでわたしは今、毎日びくびくして過ごしている。誰かが怒鳴られ始めると、トイレに行くふりをして部屋を出る。いやな汗が出てきて、身体がおかしくなってしまいそうだからだ。
 この上司の下で何年か怒鳴られながら働いている男性は、まだ20代だというのに後ろから見たら50代の白髪頭だ。最も頻繁に<罵り・ばかにする>のターゲットになっている女子社員は、しゃっくりと奇声のチック症状が出ている。

 こう書くと、わたしが今とんでもない環境で働いていることに驚かれる人も多いだろう。自分でも書いていて寒気がしてきた。
 しかし、これはそんなに珍しい事例だろうか?
 街中にずらっと並んだ何十、何百というオフィスビルの窓を見ていると、あの中のいくつの部屋で、ああいった暴力が「当たり前」に行われているだろうかと、考えずにはいられない。

 わたしは今、事情があってこの劣悪環境から抜けることができない。また、根っからの好奇心でこの状況をもう少し深く探ってみたい気持ちもある。これほど理不尽な暴力に晒されながらも上司のもとを去ろうとしない、部下たちの心理にも触れてみたいのだ。
 それでももちろん、こんなバカバカしいことで命を縮めたくはないので、次のことは考えている。
 これさえなければ、仕事自体はやりがいがある、最高な職場だったのに。まったく、残念でならない。

※記事を書いたあとに、こんなサイトを発見→職場のモラル・ハラスメント対策室
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by etsu_okabe | 2005-06-19 09:06 | パワハラ

悦ちゃん

a0013420_19352640.jpg 獅子文六「悦ちゃん」の古本がアマゾンから届いた。
 昭和11年7月から翌年1月15日まで、報知新聞に連載された新聞小説である。
 小学3生の頃、学校の図書館で見つけ一度チャレンジし、難しくて一章も読みきれずに返却して以来の再読。
 冒頭、お墓参りのシーンだったことをうすらぼんやり覚えているが、果たして......うわ、お墓参りのシーンからだった!

 3年前に妻を亡くした売れない作詞家の碌(ろく)さんは、10歳になるおマセで天真爛漫な娘、悦ちゃんと暮らしている。学生時代に今で言う“できちゃった結婚”をした碌さんはまだ30代前半と若く、ここにきて“新しい奥さん”をもらいたくなっていた。
 墓参りのあと、銀座へ向かう円タクの中での会話。
「悦ちゃん、お前、もし死んだママの代わりに、ほかのママができたら、嫌かい?」
「どうしてさ」
「どうしてってこともないが、ちょっと訊いてみてるんだ」
「あら、ら、驢馬のパン屋さん!」
 悦ちゃんは、窓の外の景色の方が面白いらしい。
「悦ちゃん」
「なにさ、うるさいな、パパは」
「さっき“雨雨降れ降れ母さんが”を唄ったね。あの時、死んだママのことを考えていたのかい?」
 悦ちゃんは、面倒臭そうに、首を振った。
「雨のことを、考えてたンだよ」

 このあと碌さんは、相手から迫ってきた超美人でイイトコの令嬢で高学歴で発展家で結婚したら悦ちゃんを全寮制の学校に放り込もうというカオルさんにぞっこんになっていき、一方悦ちゃんは、長屋住まいのガンコな職人の娘で美しく優しい銀座のデパートガール、鏡子さんにぞっこんになっていく。
 こうして、カオルさんと結婚したい碌さんと、鏡子さんをママと呼びたい悦ちゃんの、すったもんだが展開していくのだが、これが実に面白い。
 頼りない父親を時に「碌さん!」と呼びつけながら、理想的な「家庭」を夢見るしっかり者の悦ちゃんと、恋に翻弄されてますます「ダメ男」に落ちていく碌さん。碌さんに恋するより先に、悦ちゃんへの愛情を育てていってしまう鏡子さん。それぞれのキャラクターが生き生きとして、飽きずに一気に読んでしまった。

 実は、死んだわたしの父はこの小説の主人公が大好きで、わたしにその名前をつけてくれたのです。
「みんなから“えっちゃん”って呼ばれるんだ。いいだろ?」
 赤ん坊を覗き込んだ自分の妹に、父は自慢げに言ったとか。
 幸せな子供だったんだな〜。
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by etsu_okabe | 2005-06-08 19:36 | 日々のこと/エッセー