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小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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スーパーサイズ・ミー

 大人は、モノを売って稼いで生活している。
 サラリーマンのわたしでも、労働力と時間を会社に売り、その対価でおまんまを食っている。最近その価格のあまりの低さに思うところはあるが、それについてはまた改めて。
 人の持つ能力・労働力なんてそう大きく変わりはないと思うのに、同じものを売っていても、莫大な富を築く人と、そうでない人がいる。
 近所の八百屋から一房100円のバナナを買ってきて、それを元手にお金を稼ぐ方法を考えてみた。
 100円で買ったものを150円で売れば50円の儲けだが、すぐ近所に100円で売る八百屋があるのに誰が150円のものを買うだろう。お菓子か何かに加工して高値で売るという方法もあるが、他の材料費や調理設備、労働力を考えると、莫大には稼げまい。
『このバナナには美容にいい○○○が含まれています』と嘘っぱちを喧伝して一本1万円で売ったりするのが、きっと<莫大に>稼ぐ方法なのだろう。

 てなことを考えながら見たのが、ちょっと前に話題になった映画『スーパーサイズ・ミー』のDVD。
 マクドナルドが世界を席巻した背景にある、巧みな広告と刷り込みには感心と恐ろしさで唸ったが、それより何より震え上がったのは、商品そのものにある麻薬的要素だ。
 一か月マックを食べ続ける人体実験に挑戦したこの映画の監督が、吐くほど胃と肝臓をやられながら、
「食べるとまたすぐに食べたくなる」
 と言うシーンがある。中毒症状が現れたのだ。
 マック中毒。

 子供の頃から毎朝1本ほぼ欠かさずに食べるほどのバナナ好きのわたしでも、食べてすぐまた食べたくなるなんて症状は起こさない。納豆だってほとんど毎晩食べているが、1パック以上は食べたくない。
 満腹したあとまた食べたくなる<何か>が、あの加工食品には含まれているのだ。そしてそれ故に、マクドナルドは世界中で大繁盛しているのだろう。
 巨万の富を稼ぎだすというのは、つまりこういうことなんだなと、ビール片手に煙草の煙をフーと吐く。
 マックにはやられていないが、他のモノでしてやられているな。
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by etsu_okabe | 2005-07-31 20:08 | 映画/芝居のこと

ヤクをくれ!

 夏風邪を引いた。
 昨日は37度2分の熱を出しながらも、葛根湯を飲んでから近所の焼き肉屋で肉を食べ、ビールも飲んだ。その後、部屋に戻ってダウン。
 そのまま今日の午前中まで37度5分前後の熱に苦しみ、午後、とうとう38度を超えるに至って、バファリンを服用。
 ああ、とうとう手を出してしまった、薬に!
 わたしは普段薬を飲まないので、効果はてきめんだ。あっと言う間に体が楽になり、爽快な気分でこうしてMacを起動したりしている。しかし計ってみると、下がったとはいえ熱はまだ37度4分もあるのだ。午前中に苦しんでいたときと同じ発熱なのに、怖いくらいハイ。もう少しで冷蔵庫のビールに手を出しそう。あ〜いい気分〜!
 これがあと数時間もすると、薬が切れてまた熱が上がり、体がもぞもぞと落ち着かず重くなり、苦しむことになる。もうダメ、あ〜苦しい、ヤクを、ヤクをくれ〜〜〜〜っ、という具合にまた薬に手を出す。シュワーッと音がしそうなほど体が冷え、元気になる。
 この繰り返しが、なんというか、面白い。気持ちいい。
 薬物依存症というのは、このもう少し先にあるんだろうな、と思う。
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by etsu_okabe | 2005-07-18 17:42 | 日々のこと/エッセー

笹の葉さ〜らさら

a0013420_0475157.jpg ほんっとに恥ずかしい話、織女と牽牛がどうして一年に一度しか逢えないことになったのか、ちゃんと知らなかった。子供の頃に聞かせられたかも知れないが、何万光年の遥か忘却の彼方。
 この2人、愛し合うがあまりに仕事をサボってしまい、その罰として引き裂かれちゃったのね。
 う〜ん、情熱的。

 わたしも恋人ができたら、最初の3か月くらいは何もかもサボります。仕事は手につかないし、本はろくに身が入らないし、ご飯は喉を通らないし。
 当然、女友達なんてないがしろにしまくります。
 恋をするのに、そのくらい燃えないでどうする。
 だから逆に、恋人ができた友達にないがしろにされたって、へ〜ちゃら。
「あの子ったら、男ができた途端に友達づきあいが悪くなっちゃって、サイテーよねっ」
 なんてことをホザく女は、もはや友達ではない。

 友達も家族も何もかも投げ出してこそ、恋でしょ!

 あ。バカなことに熱くなってたら、星観るの忘れた。
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by etsu_okabe | 2005-07-08 00:48 | 日々のこと/エッセー

バトン・ストップ

 流行のミュージカル・バトンが当方にも舞い込んだ。
 バトンタッチするおトモダチが5人もいないので止めているが、そのくせ頭の中ではきっちりと質問事項に答えている。うずうず書きたくもなる。流行るはずだと納得、納得。
 いやはや、音楽の趣味を問われると、人はどうしてこうも雄弁になるのだろうか。

 何年か前、友人と「カンオケ盤選び大会」を催したことがある。うちにあるCDを全て床にぶちまけ、ぎゃあぎゃあ解説をしながら『棺桶に入れて欲しい5枚』を選んでいくのだが、これがもう楽しくて仕方ない。6畳(当時)の部屋はあっと言う間に興奮のるつぼと化した。
 結局、わたしは4枚がRCサクセションで1枚が仲井戸麗市じゃなかっただろうか。RCを1枚捨てて真島昌利を入れるかどうするか、熱が出るほど悩んで決めたような記憶があるが、しまいの方は泥酔していてよく覚えていない。酔うと本音が出るという。やれジャズだアルゼンチンタンゴだとなんやかや言っても、わたしの根っこはRCサクセションだということだろう。

 音楽のセンスは、人の人格を見極めるひとつの試験薬になっているように思う。服が少々ダサくても、字が汚くても、漢字が読めなくても、音楽のセンスがいいというだけで、その人の株は確実に上がる。逆にどんなに男前でも、ヘッドフォンから○○○なんかが漏れていたら、萎えに萎える。
 だからこそ、人は音楽について問われると、ついつい体温を上げて語りだしてしまうのだろう。
 音楽を語ることは、己を語ることなのだ。

 そんなわけで、バトンは渡さないけど、一番面白かった質問にだけ答えてみちゃお〜(結局お前も語りたいのか、とツッコまない!)。


■問:思い出に残る曲や「これっ」っていう曲は(5曲)?
※「これっ」の意味がいまひとつ分からないので、「思い出に残る」にしぼってチョイス。テーマは<生まれて初めて>。

1.『太陽がいっぱい』(アラン・ドロン主演映画のテーマ曲)
小学2年生。母に請われ、生まれて初めて耳コピして、ピアノで弾いた曲。家の者は、天才少女誕生と密かに思っていたとかいないとか。

2.『ある愛の詩』(映画のテーマ曲)
小学3年生。生まれて初めて泣いた曲。当時映画は未見。あの切ないメロディーから勝手にストーリーを想像し、夜な夜なベッドで号泣していた。後にTVで映画を見て拍子抜け。十分悲しい物語だったが、わたしの妄想の方が数倍悲しかった。天才少女は妄想少女に。

3.『ヤマトより愛をこめて』(映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」より)
中一。生まれて初めて結婚しようと決めた相手は、沢田研二。ヤマトの古代進にも惚れていたが、二次元とは結ばれまいと諦めた。ヤマトの映画を観に行ったら、エンディングテーマがジュリー。大、感、動。今でもつき合いカラオケでやけくそになると歌ってしまう。同世代がいると場がどよめく。

4.『夢の中へ』(井上陽水)
中三。父にねだってフォークギターを買ってもらい、生まれて初めてフルコーラス弾けた曲。ちょっと好きだった男の子に「これならコードが簡単だよ」と教えてもらった。

5.『上を向いて歩こう』
いい大人。生まれて初めて失恋したとき、泣けてくるたびにこの歌をくちずさんで自分を励ました。あんな思いは二度としたくないけど、それでも人を好きにならずにはいられない。ま、いっか。泣くような思いをしたら、またこの歌を歌おう!

以上!
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by etsu_okabe | 2005-07-05 01:35 | 音・詩のこと

必死じゃなかった

a0013420_1155962.jpg 久方振りに『朝までスラムダンク一気読み』をした。文字通り<精魂尽き果てるまで>頑張ったとき、ご褒美として行うわたしの定例行事である。
 一度読み始めるとどうにも止まらないのでこんなルールを定めたのだが、ここ数年はそこまで頑張ることがなく、しばらく読んでいなかった。
 寝不足続きで朦朧としているくせに達成感でハイ状態、そんなヘロヘロ頭を空っぽににして、テーブルに積み上げる全31巻。何度読んでも笑わされ、泣かされる名作漫画だ。

 わたしの高校生活は、バンドに明け暮れる毎日だった。と書くと熱い青春ぽいが、今聴いたら顔から血が出る(byハルコ)ほど恥ずかしい下手くそなママゴトバンドだったし、具体的に何かを目指していたわけでもなく、ただ気分に酔って遊んでいただけの中途半端な活動だった。女の子バンドだったので団結力もゼロ。卒業と同時にバラバラになった。
 卒業して間もないある日、いつものように元バンド仲間だった友人と朝まで呑んだくれて帰ると、幼馴染みから電話が入った。
「これから後輩の練習試合があるから、一緒に見にいかないか」
 彼は前年まで、サッカー部の主将だった。三年間の全てをサッカーに費やしたと言っていい。一年の頃は全く無名校だったのが、最後の年にはとうとうインターハイまで行ってしまった(その年からその高校は強豪になった)。夜中に家から抜け出して酒場をほっつき歩いていたようなわたしとは、真逆の高校生活を送っていたのだ。
 青空の広がる春のグラウンドに、友人と車で乗りつけた。2人とも昨夜の酒がまだ残ってフラフラしている。洋服はタバコ臭い。
「おーい」
 幼馴染みが、グラウンドを見下ろす土手の草むらから手を振った。
 三人並んで腰を下ろし、汗だくで走り回る高校生たちを眺めた。ハーフタイムでは、彼らをインターハイ・クラスまで育てた鬼監督の鉄拳が飛ぶ場面もあった。ぎらぎらした選手たちの目に吸い込まれる。
 あれこれ解説をしながら熱くなっている幼馴染みの隣で、わたしは何とも言えない虚しい気持ちになっていた。
「ねえ、あたしたち、三年間何やってたんだろね」
 友人がぽつりと呟いた。彼女も同じ気持ちだったのだろう。
 もちろん、わたしたちだってそれなりにやりたいことに向かっていたとは思う。しかし、ほんの一、二歳若いだけの高校生たちがぶつけてくるパワーの前では、自分たちの高校生活があまりにも刹那的な、快楽主義的な、どう説明しても言い訳になってしまうような、薄っぺらいモノに思えてきてしまうのだ。
「あそこまで必死じゃなかった」
 それは、取り返しのつかないことのように思えた。

 今回の『朝までスラムダンク』でぐっと来たのは、陵南高校のキャプテン魚住が、引退とともにバスケを辞め、家業の板前修業の道に進むと告白する場面だった。
 血を吐くような努力をして県下でトップと言われるほどの選手になったとしても、その上のレベルに行ける者とそうでない者がいる。当たり前のことだが、大切な三年間の全てをわずか18歳ですっぱり切り捨てる決心をしなければならない者の方が、そうでない者より多いのだ。
 わたしがぐっときたのは、その「切り捨て」を、魚住がさらりと爽やかにしてしまうところだ。迷う場面がない。作者はきっと、迷わせたくなどなかったのだろう。これだけのことをやった者は、迷ったりしない。
 そんなことを考えていたら、くらくらしてきてしまった。

 中途半端にやってきたことほど、あきらめがつかない。
 わたしは、それほど必死にやってこなかったんじゃないか。

 小鳥のさえずりと共に最終巻をパタンと閉じ、18の頃からちっとも成長していない己にボーゼンとなりながら、眠りについた(そのまま16時間ぶっ通しで寝た。つくづく情けない)。
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by etsu_okabe | 2005-07-04 01:16 | 日々のこと/エッセー