小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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冬の空

a0013420_2375191.jpg「ほら、オリオン座!」
 酔っ払って真夜中、下戸の友人がわたしの世話を焼きながら夜空を指差す。
 もう二十年近く前の話だけど、そのたびに「どれ、どれ?」と、酩酊しながらも確認したせいで、わたしは今でもオリオン座だけは分かるのです。
 冬の夜空。
 今夜もオリオン座を確認しながら帰ります。
「ほら、オリオン座!」
 心の中で指差してつぶやくと、何故だか元気になるのです。
 わたしが泣こうがわめこうが、気の遠くなるような彼方でひっそりと浮かぶ星がある。
 そう思っただけで、自分がちっぽけな頼りない存在に思えて、何かにどっぷり甘えているような、心地よい気分になるのです。
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by etsu_okabe | 2006-01-26 23:09 | 日々のこと/エッセー

謝り殺し

「僕が悪かったと思います。申し訳ございません。許してください」

 そう言われて絶句した。
 同僚の仕事に問題点を発見し、それを指摘したときのことだ。
 問題点とは、例えて言えば獣医師を目指しながら<犬猫が大嫌い>というような、仕事上致命的な問題だったので、そのことについて本人に問い質したのだった。

「僕が悪かったと思います。申し訳ございません。許してください」

 わたしは「お前が悪い」と言って責めているのではなかった。いい悪いの問題ではない。犬猫よりも草花をいじる方が好きだというのなら目指すべき方向が違うのではないか、それについて考えていることはあるか、問いかけをしたまでなのだ。

「僕が悪かったと思います。申し訳ございません。許してください」

 謝られれば謝られるほど、自分が極悪人になったようなイヤな気分になった。意図を懸命に説明するが、それに対しても相手はぺこぺこ謝るばかり。「そういうことじゃないんだ」といくら言っても、すり抜けてしまう。言ってみればそれは『ホメ殺し』ならぬ『謝り殺し』だった。
 途中で「僕を見捨てないでください」という不気味な言葉を聞き、そこでやっと<彼はわたしの話など全く聞いていない>ということに気がついた。わたしたちは、数十分間も言葉を交わし合いながら、会話をしていなかったのだ。

 なんとも薄ら寒い時間だった。
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by etsu_okabe | 2006-01-22 01:50 | 日々のこと/エッセー

サヨウナラと言おう

 自分の出した、または出したいと願っている<結果>に対して、共感を持ってもらえない<場>というのがある。そこに好きな異性がいれば焦れったいし、精神的ライバルがいれば悔しい。なんとかしたいと足掻けば、空回りした揚げ句に傷つくだけだ。無駄なことはせず、そんな<場>からは、さっさと去るのがいい。
 ところが、好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのだろう。

 場には中心がある。人を吸い込み(惹きつけ)、エネルギーを溜め込み、あるときは大きな旋風を、あるときは静かなそよ風を起こしながら膨らみ続ける中心。

 その中心から嫌われ、見えない場所まで吹き飛ばされても、わたしにとって価値のある<場>があった。それは刺激的な、また、わたしをある面で大きく“生かして”くれる場でもあった。吹き飛ばされようが、見なかったことにされようが、わたしはその<場>への愛着を捨てることができなかった。
 追い風がびゅうびゅう吹く中で、ほんの少し顔を出してみた。逆風は相変わらず強く、中心に向かっては一歩も歩み寄ることができないが、周りを楽しげに踊り回る花たちはわたしを誘ってくれている。
 花たちに触れたくて手を伸ばしたところで、気がついた。乗れない風の中で、わたしはもう踊れない。踊ろうとしても、ステップが分からない。
「え、知ってるはずでしょ?」
 花たちは言う。しかしいくら目をこらしても、それは見たことのないダンスだった。

 好きな男もライバルもいなくても、そこが自分にとって“価値ある場”だとしたら、どうすればいいのか。
 答えはひとつ。やはり去るしかないのだ。<場>はひとつじゃない。世界は広い。
 自分が自分らしくいられない<場>には、胸をはってサヨウナラと言おう。
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by etsu_okabe | 2006-01-09 22:48 | 日々のこと/エッセー

飴玉

 このブログでももう何度も書いたが、わたしは人と人とが100%通じ合えるなどとは思っていない。通じ合うことなんてどうでもよくて、わたしにとって大切なことは「わかりたい」と思う相手から「わかりたい」と思われることだ。その結果が否定であっても、それは構わない。
 否定はしんどいが、わかろうとした上のことあれば、悔しくはあっても寂しくはない。
 わかろうとするより前に「わかった」と言ってジャッジされること。これは本当に、本当に寂しい。そんなとき、わたしは寂しい自分には耐えられなくて「別の自分」になってしまう。はしゃいで笑う嘘の自分。

 嘘の自分を演じた翌日、近所の蕎麦屋へ行った。
 会計のとき、店員の女性がおつりと一緒に何かをわたしの手の平に乗せた。
「お咳をされてたから。お大事になさってください」
 小さな飴玉だった。
 ほっぺたを片方膨らませながらお店を出ると、北風もなんだかホクホクと感じられ、知らぬ間に心からの笑みが浮かんでいる。
 他人を「わかろう」とする気持ち、それは<やさしさ>なのだ。
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by etsu_okabe | 2006-01-08 03:03 | 日々のこと/エッセー