「ほっ」と。キャンペーン

小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

<   2006年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

新調

 沖縄八重山諸島を9日間旅することになった。ところがわくわくする暇もなく、今はそのしわ寄せで仕事がてんてこ舞いだ。
 それでも、来週に迫った出発に向けて、秋晴れの今日、旅の準備にかかることにした。

 とはいっても、やったことは、バッグとデジカメの新調だけである。

 5年前に3週間のインド旅に持って行ったキャスターつきのリュックがあるのだが、今思い出してもどうしてあの長旅にあんなバッグひとつでこと足りたのか思い出せないほど、それは小さい。
「生まれて初めてのバックパック旅」の雰囲気に酔って買ってしまった一品だったが、暑い国にいく気安さと、インドという行き先への思い込みが、普段旅行に持っていく化粧品を半分以下にし、洋服を四分の一にした結果だったと思う。そのあとに行ったイタリアは、たった一週間にもかかわらず、どでかいスーツケースだったのだ。
 そして、その次に行った小笠原の旅で、再びこのキャスター・リュックが活躍した。東京都内とはいえ、26時間の船旅。移動のときに背負えるのはありがたかった。
 これはそのあとも、一泊の帰省とか、フジロックフェスとかで大活躍したのだ。わたしを置いてけぼりにして、友人とともに再び小笠原に行ったこともある。

 そんな思い入れのあるリュックだが、やはりこの小ささは心許ない。小笠原のときは、帰りに増えたお土産が当然入りきらず、島でキャスターつきの簡易バッグを購入したのだ。
 それで、今回は思い切ってバッグを新調した。あのリュックよりもふた周りくらい大きい、背負えはしないが頼もしい大きさだ。これなら土産も入るだろう。

 そして、デジカメ。
 手持ちのデジカメは、やはり5年か6年前に買ったものだ。
インド旅のときはまだ新しく、それまでバックパックの女一人貧乏旅だと同情してくれていた金持ち風インド人が、カメラを見た途端に「何だこれは!?」と目の色を変え、それまで飯も観光もおごってくれていたのが、突然詐欺師に変貌したというイワクつきである。デジカメの液晶ディスプレイを生まれて初めて見たようで、一緒にいたアメリカ人に小声で「これはいくらくらいするものか」と訊ねていたのをわたしはちゃんと聞いていた。
 しかし、当時最新だったものも、今ではすっかり老境だ。WEBに使うくらいなら問題ないが、紙焼きには耐えられないクオリティ。それほど画素数が低い。おまけに、バッテリーの持ちがあやしくなってきた。
 正直、旅費の捻出だけでも苦しい生活だが、せっかく行く初めての土地で、下手くそながら好きな写真を、きっと撮りたくなるだろう。日頃どっぷりデジタル世界に浸っているわたしだが、撮った写真は紙焼きしたくなるのが人情というものだ。自身のアルバム整理などは絶対にしないくせに、同行の友人には配りたくなるのだ。
 まあそれだけでなく、旅行前にひとつ、撮影つきの取材仕事が入っていることもあり、清水舞台でデジカメも新調した。

 最終的には女四人が竹富島に集合するという旅だが、前半は単独旅行だ。
 国内とは言え、全く知らぬ土地、知らぬ文化の中に飛び込むというのは、なんとも刺激的で甘美な魅力に溢れている。
 旅にドラマはつきものである。さて、どんなドラマがわたしを待っているのだろうか。
[PR]
by etsu_okabe | 2006-10-16 02:27 | 旅のこと

負けず嫌い

 何がなんでも自分の落ち度を認めないという人がいる。

 以前いた会社でのこと。
 業務上深刻な問題が発生し、お客様に迷惑をかけてしまったため、遠方までお詫びに行かなければならないという事態になった。
 憤慨している客は、部署のリーダーのみならず、電話で対応した女性社員にも謝罪に来るよう言っている。そう聞いた途端、
「あたしは絶対に謝らない! 行ってやってもいいけど、あたしは悪くないから、一言も謝る気はないし、頭も絶対に下げない! 謝るべきは配送業者だ。伝票の筆跡を鑑定しろ。最初の手配をした××君の方が疑わしい。電話に出たのは本当にあたしか声紋を調べろ。云々かんぬん……」
 指摘された女性社員が、顔を真っ赤にして怒鳴った。
 ひとつの行程を、何人かの社員で手分けして行う仕事の中で、彼女はたまたま相手からの電話を受けだけのことだ。たとえ自分に何の落ち度がなかったとしても、会社を代表する者の一人として、謝罪するのは当然のことだろう。こちらの手違いで被害を被ったのは、客なのだ。
 ところが、彼女はとにかく「あたしは悪くない!」の一点張りで、このまま連れて行っては、丸く収まるはずのものが却ってこじれてしまうことは明白だった。
「相手は電話の声しか聞いてないのだから、女だったら誰でも大丈夫でしょう。代わりにわたしが行きますよ」
 そう申し出てみたが、今度は上司が許さない。彼女の言い草が気に入らず、引っ込みがつかなくなったのだ。
「お前が電話でいい加減な対応をしたから、問題が大きくなってしまったのだ。だから必ずお前が行って謝ってこい!」
 負けじと胴間声を張り上げる。
 確かにそうそうだった。
 客が不審を感じて確認のためにかけてきた電話に対し、彼女は例の「あたしじゃない!」精神で、最初から威圧的に「あたしは決して間違っていない。そっちが勘違いしているのだ」という態度で対応をしてしまった。そのせいで、いつもなら
「すいません、こちらの手違いでした。すぐに手配し直します」
 と、電話一本で済むくらいのよく起こる問題が、こじれにこじれて泥沼化し、とうとう新幹線で行かねばならぬほど遠いところまで、菓子折り抱えて行くハメになったのだった。

 確かに、モトを質せば彼女が悪いわけではない。もう細かいことは忘れてしまったが、配送業者のミスだったか、誰かの伝票の書き間違いだったか、とにかく彼女が引き起こした問題ではなかった。

 しかし、ここで問題なのは、「誰が犯人か」ということではないのだ。

 レストランで虫の入ったスープを出されて、呼びつけたウエイターに「いやあ、わたしが作ったんじゃないですから」などと言われたら、どうだろうか。そこへシェフがやってきて「俺がスープをよそったときには虫なんて絶対に入っていなかった。運んだウエイトレスが悪いのだ」。ウエイトレスは「わたしはそんなの知りません。テーブルに置いた後に入ったんでしょ。お客さんの不注意じゃないですか」。と、こんな対応だったらどうだろうか。
 3人とも嘘をついているわけではなく、本当に身に覚えがないとしても、そこがレストランであり、客が不快な思いをしたのなら、3人が3人とも客に謝罪するのが本来のあり方だ。客が望んでいるのは、犯人探しではないのだから。

「○○さん、あなたが問題の原因ではないってことは、誰もが分かっているよ。今問題なのはそういうことではなくて、たった今、この会社の手落ちのせいで被害を被った人がいて、不愉快な思いをしているってことなんだよ。犯人が誰かなんてことはさておいて、この会社が一番大事にしなきゃいけないお客様に対して、会社の一員として素直に謝罪するべきではないのかな」
 わたしが彼女にそう言うと、返ってきたのはこんな言葉だった。

「あたし、究極の負けず嫌いですから」

 負けず嫌いというのは、死んでも謝らないということなのか。どんな言い訳を使ってでも己を正当化することなのか。他人を責めることで勝ったつもりになることなのか。
 答えはいずれも、ノン、ノン、ノンだ!
 負けず嫌いとは、どんな勝負でも敗者にならぬよう、あらゆることに死ぬほど努力することを言うのだ。
 あなたのはただの、えばりんぼうの幼稚なお山の大将だよ。一生言い訳しながら生きていきな。心の中でそう吐き捨てて数ヶ月後、わたしはその職場を捨てました。
[PR]
by etsu_okabe | 2006-10-12 00:21 | 日々のこと/エッセー

返事を書く

 久し振りに手紙を書いた。
 枯らしたまま一年ほどほったらかしていた万年筆に青色のインクをちゅちゅうっと吸わせ、座卓に正座する。パソコン用の椅子&机もあるが、手紙だと思ったらきちんと座りたくなった。

 かつて文通していた友人たちに、わたしの文字は評判が良かった。決して達筆ではなく、どちらかと言えば下手くそな方だが、漢字と平仮名の大きさのバランスに面白い癖があり、それに味があるというのだ。
 二十代でワープロを手に入れるまで、当然のことだが、書き物は手でしていた。その頃始めた小説の執筆も、もちろん原稿用紙と鉛筆だった。今でも少し名残はあるが、あの頃右手の中指には大きなペンだこができていた。
 生まれて初めて100枚の作品を書いたときも、手書きだった。それは、高校の現国の卒業課題。「何でもいいから原稿用紙100枚書く」というものだった。
 一応受験生だったが、わたしは受験勉強などまったくせずに、この100枚に夢中になった。書いたのは、小説ではなくエッセイだ。ほとんどRCサクセションのことだったと思う。彼らの歌がいかにいいか、清志郎の何が素晴らしいか、チャボのどこがかっこいいか、そんなことばかりをだだ~っと、100枚書いてしまったのだ。
 パソコンを使って書いている今でも、100枚書くとなると難儀する。書くという行為は大変な体力と気力を使うものだ。18歳の若さが凄かったのか、そこまで書かせた清志郎が凄かったのか分からないが、とにかくわたしは100枚書いた。そしてそれは、結局提出しなかった。書いてしまったら、そのことだけに満足して先生に出すことなどどうでも良くなってしまったのだ。
 あれはもったいなかったなあと思う。我ながら、なかなか良く書けた「熱い青春ラブレター100枚」だった。RCなんて知らない先生でも、読めばその熱気を楽しめてもらえただろう。

○○さん、お手紙ありがとうございました。
 一行書いて仰天する。あまりにも下手くそなのだ。ひどすぎる。書いていないと漢字を忘れるというのは常日頃実感していたが、これほど下手くそになるとは思っていなかった。
 書き直しても上手になっている自信がみじんもないので、そのまま書き続ける。せめて宛名書きだけでも、と思えば思うほど、変なところに力が入って妙な文字が躍る。

 字がとても綺麗だった、というだけで、好きになった男の子がいたことを思い出した。あれも高校の頃だ。
 最近、人の文字を見なくなった。
[PR]
by etsu_okabe | 2006-10-09 00:22 | 日々のこと/エッセー