小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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a0013420_22103435.jpg わたしにとって2冊目となる本が、4月25日に出版されました。
 『新宿遊女奇譚』 MF文庫ダ・ヴィンチ より絶賛発売中です。
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 東京の中でもわたしが最も惹かれる街、新宿を舞台に、そこにふきだまるように棲む女たちの情念を描いた怪談短篇集です。

 江戸場末の宿場町、内藤新宿からほど近い淀橋水車小屋の大爆発事故。その後、飯盛旅籠に顔のない遊女の幽霊が現れて・・・「おかめ遊女」、
 虚しい不倫恋愛に疲れ果てた中年女が、偶然入った見世物小屋。出し物の「生き人形」にいつしか惹きつけられるが・・・「少女人形」、
 長年の恋人から突然ピリオドを打たれた女が、つい関わってしまった老婆。駅近辺で壺を抱えた姿でよく見かける浮浪者だったが、その壺には弟が入っていると言いだし・・・「壺」
 派手な着物とおかめの面をかぶった姿でそぞろ歩く、新宿の名物狂女「おかめ太夫」。そのおかめの面を譲り受けてしまった女が、小さな覗き穴から見たものは・・・「おかめ太夫」
 
 解説は、同じく新宿を舞台にした大傑作長編『ストリートチルドレン』を書かれていらっしゃる、盛田隆二さんにお願いしました。身に余る光栄。
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by etsu_okabe | 2011-04-25 23:10 | 小説作品
※注 
 これは原発事故に対して、わたしのようなアホほどビビりでチキンな、あいや、繊細な「親」のお話です。ご自身で正しいと思われる情報に基づいて、本当に心から何も心配ないと考えていらっしゃる、うちの母のような親御さんにとっては、こんな記事は馬鹿馬鹿しいだけかと思いますので、読んでいただくに及びません。ホントです。

            ※ ※ ※

 二日前に書いた被爆児童差別のニュースについて、「親(大人)がしっかりすべき」という反応がいくつかあった。
 親が心を強く持ってしっかりとした態度を子供に示していれば、子供が怯えたり、理不尽ないじめに走ったりすることにはならない、というような主旨の意見だったように思う。他にも、似たようなツイートをいくつか見かけた。その方たちの背景は分からないが、いずれも「親」の立場から発せられているような気がしてならない。
 親って、そんなにしっかりしていなくちゃいけないものなのだろうか。だとしたら、わたしは親になっていなくて正解だった。

 わたしはこの件については、
「親だって怯えたりパニクったりしてよい。むしろその恐怖心に素直に従って、子供を抱えて逃げるのが、正しい選択ではないか」
 という意見を持っている。
 これは、親になったことのない気楽な独身者の、無責任な考えだろうか。たぶんそうなのだろう。

 わたしの母はまったく動じない人で、東京で放射能の数値が上がった時でさえ、政府の発表を信じて「大人だから大丈夫」と水道水を飲んでいた。そのことをツイートすると「母は強し」「お母さん素敵」「母偉い」と、母を賞賛する意見が寄せられたが、わたしは実のところ、呆気にとられていたのだ。こんなリスク回避能力の低い親のもとで、よくまあここまで無事に大きくなれたものだと。
 わたしは誰になんと言われようと、放射能が怖い。成長期もお肌の曲がり角もだいぶ前に過ぎた中年だが、怖い。だから飲料や料理にはミネラルウォーターを使っている。とちおとめもしっかり洗って食べる。洗濯物もベランダには干していない。その一方で、雨にずぶ濡れになったあとそのまま何時間も酒盛りをしてしまう(今年の花見)のだからいい加減なものだが、とにかく普段は神経質過ぎるほど気を使っている。
 そんなわたしのことを知りながら、母は水道水で作った料理を出す。お茶も水道水でいれようとする。一度だけ「それはいやだ」と言ったが、喧嘩をしたくないので以降は黙っている。週に一、二度母のところで食事をするが、今は何も聞かずに食べている。
 数年後、数十年後にもし悪い病気にかかったとしたら、わたしはこのときのことを思い出さずにいられるだろうか。そして、母のことを恨まずにいられるだろうか。
 まったくのところ、自信がない。

 だからわたしは今回のことに関して言えば、親は怯えて恐怖してバカみたいにびびって、人に笑われようが蔑まれようが仕事を失おうが借金背負おうが、どんなしがらみも世間体も振りきって、心のままに一目散にどこかへ飛んで逃げるのが、本当に勇気ある親としての、子供に尊敬され感謝される正しい行動だと思ったりもしているのだ。
 しかし、実際の親たちはそうは思っていない。恐怖しながらそれをひた隠し、子供には「全然問題ない。安心して大丈夫」と言って安心させ、いつも通りに平然としていることが、親としての正しい態度だと言う。

 あれ、これって……今の日本政府と国民の関係みたいじゃない? うむむ!?

 正直、正解などわからない。
 こんなことを書きながら、今わたしは東京で、泣いたり笑ったり酔っ払ったりしながら、一見以前と変わらぬ生活を送っている。腰が据わっているのか抜けているのか、わからない。
 親にならないと本当の「人」にはなれないと、母がよく言っていたけれど、本当にそうなのかもしれないな。
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by etsu_okabe | 2011-04-18 02:27 | 日々のこと/エッセー
 反原発デモが賑わっている。そして、それに反発する、言ってみれば『反・反原発デモ』の声もかまびすしい。
 わたしはまだ一度だけだが、デモに参加した人間だ。だから、その視点から書く。

「デモやってる暇があるなら、被災地へ行け」
「デモなんかで世の中変わらない」
「デモはただの自己満足」
 とまあこんな言葉が、毎日ツイッター上を飛び交っている。
 色々な意見があっていいと思う。
 しかし解せないのは、そういう批難を発信している人たちが、決して原発推進派ではないということだ。彼らは『反・反原発デモ』なのであって『反・反原発』(=原発推進派)ではない。
 原発推進派と原発反対派が衝突するのならまだしも「原発には賛成しない」という意見を持っている人が、なぜ同じ意見で活動する人たちを批難するのだろう。
 いまのところわたしは、デモ参加者からの「反原発なのにデモに参加しないなんてサイテー!」というような意見は、一度も聞いたことがない。批難の声は、どうやら一方的に『反・反原発デモ』の人たちから聞こえてくる。そこに答えがありそうだ。

 そんな中でも最も多く、最も声高に叫ばれているのが「デモやってる暇があったら、被災地に行って働け。被災地に何か送れ」というものだ。
 これには毎度びっくりしてしまう。
 デモは、24時間毎日行われているわけではない。デモの参加者だって義援金を寄付しているし、被災地へ思いを馳せている。参加者の中には被災地でボランティア活動した人もいれば、これから行く人もいる。他ならぬ被災地からの参加者だっているのだ。
 なぜ、デモ参加者=被災地を忘れている人でなし、ということになるのか、わたしにはさっぱり分からない。

「被災者たちの苦しみ悲しみを忘れて呑気に行進なんかしているやつらは、クズだ。恥だ」
 と声を荒げる人の中には、たった今ボランティアで被災地に行って活動している人もいる。きっと想像を絶する状況の中で、毎日大変な労働をしているのだろう。頭が下がる。
 でも。でもでもでも。
 だからといって、被災地以外で生活をしていることや、自分のやりたい社会活動をしているだけのわたしたちが、彼らから罪人のように咎められる筋合いはなかろう。
 わたしたちだって、震災前とあとではガラリと生活が変わったのだ。毎日余震に怯え、放射能に怯え、不安で傷ついている。それでも被災地の方たちのことを思えば贅沢だと、停電にも交通機関の乱れにも悪化するばかりのニュース報道にも、じっと黙っておとなしく耐えている。
 そんなわたしたちが、唯一声を上げ、拳を振り上げたのが、反原発デモなのだ。

 わたしが言いたいことは、前回と同じ。
 被災地の復興を願い、原発推進に異議を唱え、傷ついた人たちすべての幸せを祈る、そんな優しい者同士が、今、互いにいがみ合ってどうする。せっかくお金をためて物資を送ろうと思っても、デモに参加しただけであれほど憎まれては、したい支援もできないではないか。
 自戒もこめて言うが、ちいと頭を冷そうよ。
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by etsu_okabe | 2011-04-17 01:13 | 日々のこと/エッセー
 ここでもツイッターでも何度も言ってきたが、わたしはいじめ問題で「いじめられた方にも非はある」という意見には、100%「NO!」だ。レイプ事件における「夜道をミニスカートで歩いていた女性にも非がある」も同様。
 悪いのは「いじめ」であり「強姦」であり、その罪を犯した加害者だ。もし、ミニスカートの女にも非があるというのなら、男は誰でもミニスカ女性を強姦してもいい、ということになってしまうではないか。

 その上で、書く。

 数日前、ツイッターのTLに「船橋に避難してきた福島の被災児童が『放射能が伝染る』と言っていじめられた」というニュース記事(「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見)がリンクされたRTが、何件がポストされているのを見た。いずれにも「船橋市民は恥を知れ」や「最低な親」といった、批難コメントが添えられている。
 確かにひどい事件だと、わたしも思う。命からがら逃げてきた罪のまったくない子供に対し、向けられたのが温かい支援の手ではなく、被爆者差別だなんて、やりきれない。
 でも、とわたしは思うのだ。「伝染る」と言った子も、千葉という、同じく放射能の影響を心配しなければならない場所に住む、同じ被害者だ。あの大きな地震も経験し、毎日余震にだって怯えているだろう。大人たちが放射能の噂をし、右往左往したりぴりぴりしたりしているところも、じっと黙って観察しているはずだ。
 これはわたしの想像に過ぎないが、船橋の子供はただ、怖かったのではないだろうか。だから、自分より原発の近くにいた子を見て「自分はあの子よりましだ」と思うことで、小さな安心感を得ようとしたのではないだろうか。わたしには、どちらの子供も深く傷ついた被害者に見えてしかたない。
 もちろん、それでも被爆者差別が許されるわけではない。船橋の子供がとった言動については、酷い言葉を受けた福島の子も、その親も、いや福島の人たち全員が、怒って抗議して当然だ。
 しかし、その現場にいたわけでもなく、詳細な事情も経緯も知らない第三者たちが、よってたかって船橋の子供やその親に対して吊るし上げのような行動を起こすことには、わたしは断固反対したい。

 わたしは何年かパワハラ被害の事例を集めていたので、その構図に思い当たることがある。
 ブラック会社の横暴な経営体制の被害者である人間が、その怒りや鬱憤の矛先を、会社ではなく部下たちに、暴力として向けてしまうという事例だ。無理な納期や不可能な数字を押しつけてくるのは会社なのに、そこに対して反発はせず、部下を恫喝して無理を強い、酷い場合は過労死にまで追い込んでしまう。
 学校で起こるいじめにも、似たようなことがある。いじめを受けた子供が、いじめっこに仕返しするのではなく、さらに弱い子供をいじめてしまうという例は、少なくない。その皺寄せの最末端でいじめられた子は、逃げ道がなくて自殺にまで追い込まれてしまう。
 なぜこういうことが起きるのか。
 わたしは自分が弱い人間なので、容易に想像がつく。抱えてしまった憎しみや怒りや鬱憤を晴らすのには、その原因となった強いものに刃向かって闘うより、近くにいる弱いものを痛めつけてスッキリする方が、簡単で自分が受ける傷も少ないからだ。

 被爆者差別という最悪の事態を生み出した元凶であるヤツらを糾弾することを忘れ、差別的言動をうっかりとってしまった同じ被害者である市民を陰湿に執拗に責め立てることは、不安と恐怖からつい福島の子供をいじめてしまった船橋の子供がしたことと、大して変りない愚かな行動だとわたしは思う。

 わたしたちは、貧しい小国同士を争わせ闘わせ果ては戦争を起こさせ、その影で強国が肥え太っていく、という構図を知っている。
 原発事故による放射能汚染の被害者であるわたしたちが、今、低いところで互いにいがみ合ったり責め合ったりすることは、とても馬鹿馬鹿しく危険なことだ。
 反原発デモに対して「意味なし」だとか「無駄」だとか「そんなことしても何も変わらない」といちゃもんをつけることも同じ。これを原発推進派が言うなら理解できるが、同じ反原発派が言ってどうするのだろう。
 怒りは正しい方向に向けなければ、自滅に向かってしまう。
 
 被害者同士が対立してワーギャーやればやるほど、高いところからそれを見下ろしてほくそ笑むやつがいる。わたしはそれが許せない。
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by etsu_okabe | 2011-04-16 14:51 | 日々のこと/エッセー
お世話になっている『幽』編集長東雅夫さんが、東日本大地震によって被害に遭われた仙台の出版社「荒蝦夷」さんを応援するチャリティ企画への協力を、呼びかけていらっしゃいます。
↓↓↓
以下、東さんのブログ【幻妖ブックブログ】より
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みちのく怪談(荒蝦夷)応援チャリティ企画「ふるさと怪談トークライブ」趣意書

 地域に根ざした文芸振興と、世代間/地域間コミュニケーション確立の一環として、仙台の出版社・荒蝦夷と作家・高橋克彦、民俗学者・赤坂憲雄、文芸評論家・東雅夫が中心となって2010年に開催された「みちのく怪談プロジェクト」は、東北各地で大きな反響を呼び、成功のうちに初年度を終了しました。

 ところが、関連書籍の発刊と第2回の開催へ向けて準備を進めていた矢先の3月11日――東日本大震災によって荒蝦夷の事務所は甚大な被害を被りました。
 スタッフは現在、山形に仮事務所を構えて、再起を期しております。
 大手取次店に頼らず、東北一円の書店と直取引による地域密着型の経営を旨としてきた荒蝦夷にとって、今回の震災は多くの取引先と店頭在庫を一挙に失うという深刻なダメージをもたらしました。
 にもかかわらず、被災直後から、荒蝦夷代表の土方正志氏は「鎮魂をテーマに、是が非でも第2回みちのく怪談コンテストを今年、開催したい」という力強い決意を表明されています。

 こうした現状に鑑み、本づくりや取材活動などを通じて、荒蝦夷と親しく交流してきた怪談作家・出版関係者有志により、このほどチャリティ・イベントの開催が発意されました。
 全国各地の取材先/関係先で「ふるさと怪談」をテーマに、有志によるトークライブ(講演+対談+怪談会など)を催し、入場料(2000円程度)の全額を「みちのく怪談」の活動資金として荒蝦夷に寄付するというプランです。
 関係各位の御賛同・御助力を、何卒よろしくお願い申しあげます。

発起人/運営責任者
東 雅夫

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 どういった地域で、いつ、どのように開催するかは、現在勘案中です(決まり次第、幻妖ブックブログや『幽』ツイッターで告知します)。
 現状を鑑みるに、あまり大がかりにではなく、フットワークを活かして臨機応変に展開できればよいかなと思っています。
 もしも、お近くで開催することになった際には、ふるって御来場いただけると幸甚です。

 また、可能なかぎり安価に使用できる会場(目安としては、50人以上収容可能な施設)を御紹介・御提供いただける方や組織は、ぜひとも御協力をお願いしたいと思います(幻妖ブックブログのコメント欄や『幽』ツイッターのDMに御連絡ください)。
 「みちのく怪談」の継続と、さらに広範な「ふるさと怪談」ムーヴメントの確立へ向けて、怪談を愛する読者諸賢の御理解とお力添えを賜りますよう、伏してお願い申しあげます。


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『幽』ツイッターはこちらです。
>>@kwaidan_yoo


昨年は後半から体調を崩し、旅に出る気力もなく(仕事がらみでは行きましたが)、「みちのく怪談プロジェクト」も遠くから「なにやら面白そうなことをしてらっしゃる」と、羨ましく眺めていましたが、今年はすっかり回復したので、さあ! と思っていたらこの震災。
しかし、転がり出している熱い企画というのは、こんなときにもエネルギーは衰えず、フットワーク軽くこうして新しい力を生み出すんですね。素晴らしいです。
わたしもいずこかのトークライブに、行ってみたいと思ってます。去年引きこもった分、今年は動く。
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by etsu_okabe | 2011-04-09 02:45 | 日々のこと/エッセー