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小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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作文遊戯

 人とのコミュニケーションでわたしがついやってしまう失敗は、相手のあらゆる能力を自分と同等と勘違いしてしまうことだ。あるものごとに関する理解度、互いへの同情・同調力、感情の動き方、その表し方、その読み取り力、etc......
 この勘違いのせいで一方的に傷ついたり腹を立てたりするのは、本当に愚かなことなのだが、ついついやってしまう。
・・・・・・・・・・
 話は変わるが、この文章の最初に出てくる「わたしが」という一語、これはあとから書き足した。これがないと、一般論としてわたしが世間に対して説教している体になり、そのあとに出てくる「自分」も、わたしではなく「お前ら下々は」的な意味を孕んで、それはそれは偉そうな言い草になる(「わたしが」を抜いて、あるいは「人が」に入れ替えて読んでみると、ね?)。
 文章は、こんな些細なことで景色を変える。作文とは、なんと面白い遊戯だろう。
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by etsu_okabe | 2012-10-31 12:22 | 日々のこと/エッセー

女の、二種類の涙。

 女が男のために流す涙には、二種類ある。「見せつける涙」と「隠れて泣く涙」だ。
 見せつける涙のほうは、どうとでもすればいい。それが好きな女なら可愛いと愛おしがって抱きしめればいいし、嫌いな女なら「うぜえな」と突き放せばいい。どうせ手段の涙なのだ。
 しかし、隠れて泣く涙はこれとはまったく違う。
 女が隠れて好いた男のために泣くとき流すのは、それは本当に身を切るような切なさと苦しさで、誰にも慰めきれない、たとえ好きな男でも慰めきれない、いや、元凶であるその愛しい男にこそ慰めることができない、悲しく痛い涙なのだ。
 寂寞の中、諦めるか忘れるかできるまで、心身を捩じ切るように泣いて泣いて泣いたあと、女は人知れずその涙を拭い、再生する。男が猛烈に働いて呑気に遊んでいる間に。
 わたしはそんな女を見ると、それがたとえいけ好かない女だろうと、恋敵であろうと、駆け寄って抱きしめたい気持ちになる。
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by etsu_okabe | 2012-10-26 11:21 | 日々のこと/エッセー

人間の価値

 太古の昔「三高(さんこう)」という人間の価値(値付け)があって、わたしはそうしたものを馬鹿馬鹿しいと横目に見ていたが、人の価値は他人が決めるということは間違いなく、確実にわたしも他人から値付けされているわけだ。
 例えば家族にとってわたしは値のつけられない高価値だろうが(たぶん…)、仕事関係者にとってはいくらでも取り替えのきく低価値かもしれない。わたしの体のパーツに高価値をつける人もいれば、わたしの出自に低価値をつける人もあるだろう。
 そして、わたしが高価値をつけて大事にしている人が、案外わたしに赤札をつけている可能性もある。
「赤札をつけられたって、プライドさえ失わなわければいいのだ」
と言えばカッコいい。でもわたしには、他人につけられた価値とその人自身が持つ自尊心とは、相殺するとは思えない。
 主体はわたしだ。わたしがいくら自分自身を誇ろうが、友人が高価値をつけてくれようが、認められたいと思う人からペタンと赤札を貼られてしまったら、わたしにはいつでもおでこでヒラヒラしているそれが見えてしまう。そしてそれはわたしの前進を、飛翔を、鈍重にする。

 とまあこんなことを考えているとき、わたしは自分の内側を見、深い深い思索の旅に出ることができるのだから、最悪ってわけでもない。というところで気持ちを納めておこう。
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by etsu_okabe | 2012-10-17 10:31 | 日々のこと/エッセー