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小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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 映画『THIS IS ELVIS』観賞。

 わたしが物心ついたときのエルヴィスはもう無惨に太っていて、まったく魅力がなくて、袖に縄のれんをつけた派手なおじさん、くらいに思っていたのだが(今にして思えばあれは本物のエルヴィスではなく、モノマネだった)、十八歳のときエルヴィスファンの男の子と友だちになり(のちに恋人になった)、そこから全盛期のエルヴィスを知って、度肝を抜かれた。魂を奪われた。
 特に、買い集めたVHSビデオの中の、68年のテレビショー。
 50年代に一緒にツアーやレコーディングをしていた仲間達と、スタジオ中央に設えたステージに輪になって座り、セッションをするという超カッコいいスペシャル番組で、そこにいるエルヴィスは、ハンサムなアイドルではなく、一人のクールで繊細なミュージシャンだった。
 ステージを取り囲む観客の女の子たちの蕩けた瞳を、そのままわたしもして、何度も観てはうっとりしていたものだ。

 ところで、わたしは『ジャケットの外に出した開襟シャツの襟から伸びる男の首筋』にセクシュアルな魅力を感じるタチなのだが、そのきっかけはエルヴィスの50's ロカビリーファッションだったのだということに、この映画を観て気がついた(馬鹿でかい立ち襟時代のエルヴィスは、だからもう好きじゃない)。
 わたしに往事のエルヴィスを教えてくれた彼は、高校生の頃にはこのファッションをキメて、原宿のホコ天で踊っていた。同じロカビリーでも、全身レザーのガチガチリーゼントというダサいスタイルとは違う。現在のわたしから見ても、かっこよかった。もちろん「首筋」も。
 エルヴィスの歌以外、ロカビリーという音楽そのものにはまったく心を揺さぶられなかったが、あのメンズファッションは好きだった。のちに渡瀬恒彦や根津甚八のファンになったのもその「首筋」だ。彼らがヤクザやチンピラ役で着ていたあのジャケット+開襟シャツのファッションは、50'sの流れをくんだものなのだろうか。

 話をエルヴィスに戻す。
 映画では語られていなかったが、エルヴィスは14歳で見初めたプリシラを、16歳で結婚する頃にはすっかり自分好みの容姿に変えてしまっていた。髪を真っ黒に染めさせ、平成日本キャバクラ女子もかなわぬほどに大きく盛り上げさせた、南部女のスタイルに。バレエを習わせたのは、ダンサーの体型が好きだったからだと、プリシラのエルヴィズ暴露本に書いてあった覚えがある。
 社会学者宮台真司が『恋愛学』でばっさり斬ったダメ男の中のひとつ、女を自分好みに変えさせようとする男、そのメガトン級ではないか。
 プリシラはのちに、エルヴィスがあてがったダンス講師と恋に落ち、夫から心を離したのではなかったか。さもありなん、と思う。

 ひとつの才能に恵まれた内気で繊細な男が、スターになって世界中から愛され、非難され、あらゆるものを手に入れながら、何かを間違え、それ故に最も愛するものを失っていく。間違えを修正する間も与えられず、しまいに自身さえ失いそうになっても、スポットライトの下にその腐りかけた体を晒し続ける。
 歓声にも嘲笑にも手を振って笑顔を返し続けた挙げ句、死後でさえその人生を売り物にされ、消費され続ける。求められれば求められただけ応え続けなければならない、そんなスターの宿命を、冷たく記録した映画だった。
 エルヴィスの死の報にグレイスランドに押し寄せ、うなだれ泣き叫ぶファンの群衆の映像を見て、エルヴィスは世界に愛された、とはもう言えない気分だ。
 エルヴィスは世界に楽しまれた、のだ(わたしも含めて)。

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by etsu_okabe | 2014-05-25 13:11 | 映画/芝居のこと
 『美味しんぼ』はこれまでちゃんと読んだことがないし、問題の号も読んでいないので、何も言えないなーと傍観していたのだが、ひとつ気になることがあったので、書き留めておくことにした。
 それは、フィクションの作品の中に挿入された作家の思想や正義は、"真実か誤りか" でジャッジすることだろうか、ということ。
 わたしは特段、美味しんぼ擁護をしようという気はない(何しろ読んでいないし)。ただ、ニュースでその概要に触れたとき、時に書き手、時に読み手である立場から、物語作品と作家の思想と読み手の感情について、考えないわけにはいかなかった。
 わたしが今福島に住んでいて、風評被害に苦しんでいたとしたら、その漫画を読んで「あったまくるー! こいつサイテー!!」と叫んでいたろうと思う。でも、一読者としてそう叫ぶことと、社会の一員として作品の抹消や改変や作家からの謝罪を要求するということは、まったく別問題だと思うのだ。

 それから「風評被害」について。
 嘘情報なんて、そこら中に溢れている。嘘を嘘と判断できれば、風評被害など生まれない。
 風評被害の一番の犯人は、嘘をついた一人の人物ではなく、それを受け止めて何かを載せたり曲げたりして「本当のこと」にして広めていく、たくさんの人間たちの口だろう。
 ではその口を止めるのは、難しいことだろうか。
 情報収集の手段が少なかった昔なら、それはなかなか消せる火ではなかったと思う。しかし今や、瞬時に情報を受け取れる時代だ。
 現にわたしは、その漫画に触れる機会もなく、その漫画を読んだ人から「嘘情報」を聞かされもしないうちに、「風評被害のもとになる漫画が出たよ」という情報を受け取った。
 おそらく多くの人が、そうだったろうと思う。
 なのに今もなお、世間が風評被害風評被害と騒いでいることに、素朴な疑問を感じる。
 もっと言ってしまうと、風評などよりも、そういう光景そのものが、わたしを不安にする。

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by etsu_okabe | 2014-05-15 21:01 | 日々のこと/エッセー
 『NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困』を観る。

 社会でバリバリ働きたくて奨学金を借りて(もらって、ではない)大学を出た子が、500万円以上の借金を背負って社会に出たものの、就職できぬまま時給800円のバイト生活を続けているという事例。
 その子の大学時代の友人で、運良く「正社員」雇用されたという女性の、毎日10時間働いて月給15万円ボーナスなしという、単純計算で年収180万円、時給換算で800円よりも低いという事例。
 家を借りる金がなく、ネットカフェで暮らす母と十代の娘二人という事例。
 シングルで妊娠したものの、子育てできる経済力がなく、子どもを手放す妊婦の事例。

 眉根に寄った皺が、戻らない。

 気になったのは、番組内でやたらと「自分の力で抜け出す」という言い回しがされていたことと、生活保護の話が微塵もされなかったことだ。
 わたしが大人しく今回の増税に従ったのは、彼女達のような存在を助ける福祉に、そのお金が回ると信じてのことだった。この時期に放送される番組であるなら、そのあたりをきっちり突っ込んでしかるべきではと、思わずにはおれない。

 そしてもうひとつ、出てきた女性たちが揃いも揃って「この貧困から抜け出すために」と勉強し、取得を目指しているのが、福祉関係の資格というのも気になった。つい最近、その薄給ゆえに離職する人が多いという報道を見たばかりの職種(介護職だったかな)だったからだ。
 本来頼って利用できるはずの彼女たちをとりこぼしている、今の福祉。そこにあえて身を投じようというのは、苦しみを知る彼女たちだからこそ持つ「苦しい人を助けたい」という、切実な感情からだと思う。
 これからの社会が、そうした人たちの感情や労働力を踏みにじるものであるなら、そこにはもう絶望しかない。
 わたしは、そんな社会に暮らしたくはない。

 貧困の問題は、そこに陥った人間の「怠惰」や「運命」の問題ではない。「社会がそれをどうするか」の問題だ。
 今、蟻地獄のように、そこに転落したものを見殺しにしていることが、わたしには不満で不安だ。
 どんな理由であれ、落ちた者が自力で這い上がれる「梯子」がかかっている社会であって欲しい。
 怠惰な人間は、梯子があっても上らないかもしれない。運の悪い人は、その梯子からまた落っこちてしまうかもしれない。
 しかしだからといって「梯子は無用」であるはずはない。
 たった今も、わたしの足下では、さらさらと砂が流れている。次の一歩で、蟻地獄にはまってしまうかもしれないのだ。


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by etsu_okabe | 2014-05-06 15:58 | 日々のこと/エッセー