小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

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 拙著『残花繚乱』を原作とした連続ドラマ『美しき罠~残花繚乱~』が制作されることが、本日発表されました。
 TBS木曜ドラマ劇場『美しき罠~残花繚乱~』 2015年1月8日(木)スタート。毎週木曜よる9時からです。

 自分の小説が映像作品化されることは、久世塾出身のわたしにとってはひとつの夢でした。
 あくまでも「原作」ですので、ドラマはまたドラマとして面白くするための工夫がなされ、小説とは違う展開があったり、人物にも変化があったりもするでしょう。それも、久世塾でほんの少しドラマというものを勉強したおかげで、よくわかっています。
 その点、脚本家の浅野妙子さんも、演出の光野道夫さんも、これまで素晴らしい作品をたくさん世に出してきた大ベテラン。むしろ、あの物語がテレビドラマとしてどう生まれ変わるのか、今から楽しみでなりません。
 主演の田中麗奈さんはじめ、役者さんたちも、大好きな方たちばかりで、めまいがしそうです。



※「久世塾出身」と書きましたが、小説の習作時代、向田邦子のファンであるわたしに『21世紀の向田邦子をつくる!』という、この塾の惹句がびんびん響いてしまい、ついふらふらっと入塾してしまったのです。脚本の才能がゼロであることを思い知らされて、ふたたび小説修行に戻りました。

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by etsu_okabe | 2014-11-24 22:34 | 小説関連の活動など
「助けてください」
 と、手を差し出された。
 数年前に、2度か3度、会ったことのある人だった。
 子供の頃から壮絶ないじめに遭いながら、家族、教師を含め大人からの助けをまったく得られず、学校という地獄から逃れて大人になった今でも、そのときの傷に苦しんでいるという人だ。
 その苦しみは、壮絶を極める。普通人間が決して口にしないものを無理矢理食べさせられたために、今でも、ほとんどの食物を食べることができない。性的な暴力も多数受けたため、恋愛ができない。そして、慢性的な不眠。
 つまり、食欲、性欲、睡眠欲の、いずれもに大きな障害を負ったままなのだ。

 わたしが彼に会ったのは、そうした体験を語る場においてであり、個人的なつき合いは一切なかった。
 わたしは当時、社会学者の内藤朝雄さんと「パワハラネット」というサイトを立ち上げ(今は閉めている)、全国からパワーハラスメントの事例を集めていた。内藤さんはイジメ問題の研究者なので、その関係で彼の話を聞く機会を得たのだった。
 小説家としてデビューした後、彼が主催したいじめ問題イベントに出掛け、本を贈ったのが最後で、そのあと、メールのやりとりが数度あったきりだと思う。

 それだけの関係だったわたしに、たった一本繋がったSNSを通して、「助けて」と言ってきた彼に、わたしはどうすることもできない。
 彼が求めている「支援」「助け」を、わたし個人が差し出せないことは明白だ。それをわかっていて、優しい人を装って会い、話を聞くだけ聞き、最後に、すがりついてくる手を振りほどくなどということは、わたしにはできない。

『わたしは小説家です。小説家というのは、自分の知らない世界は覗いてみたいと常に思っていて、それを小説のネタにしてやろうと、いつでも企んでいる人種です。つまり、他人を傷つけながら生きているような人種なんです。
 わたしはそれを自覚しています。
 だから、とてもあなたの相談に乗るなど、軽卒なことはできないのです。』

 そう返すと、「専門家にも国にも支援を求めたが、どうにもならない。誰からも見放された私は、どうすればいいのか。岡部さんは小説家だから、興味本位でも話を聞いてくれるのではないかと期待して、助けを求めた。」と返事がきた。
 話を聞いてくれるだけでいい、と言いながら、やはり彼は助けを求めている。こちらの現状などおかまいなしに、自分を地獄から救ってくれる人を求めているのがわかる。

『話をきくだけでいいなら、メールをくだされば、読みます。
 ただ、現時点で、直接お会いすることはできません。
 明らかに窮状にある人に会って、要求に応えられず、相手を傷つけたりがっかりさせた場合、わたしはそれが自分のせいではないとわかっていても、罪悪感を抱えなければならなくなるからです。』

 正直にそう、返事をした。「負担を与えてしまい、申し訳なかった」と返信がきた。

 彼はたった今も、苦しんでいる。
 それは、わたしのせいではない。
 なのに、差し出された手を払ってしまったことで、罪悪感として、わたしは彼の苦しみの何分の一かを抱えてしまった。
 その分、彼の苦しみが軽くなったわけでもないのに。

 被害者が、助けを求めた相手に「申し訳なかった」と言わなければならない現状を、わたしは今、噛みしめている。

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by etsu_okabe | 2014-11-15 09:33 | 日々のこと/エッセー

憧れの苦手、着物。

 興味がないわけではないし、着ればそこそこ似合うだろうとも思うのだが、どうも縁遠い、着物。20代の頃に着付けを習いもしたが、続かなかった。代々引き継がれた着物が箪笥にあるような家に育った人などがする、着物ならではの優雅な所作を見るにつけ、わたしの領域ではないなと思ってしまう。
 そう、着物は所作と一体のお召し物なのだとわたしは思っていて、「そんな堅苦しく考える必要はない」「着ていれば所作もついてくる」「慣れだよ、慣れ」といくら言われても、着れば所作を「演じて」しまいそうな自分が、着る前から恥ずかしい。
 着物に負けているのだろう。気負っている時点でダメなのだ。
 しかし、着物のデザインや和柄は好きなので、そうした服はこれまでにも着てきた。下駄は普段履きとよそゆきを持っている。擦り切れるまで使って最近捨てたバッグは、和装用だ。
 そういえば、いかにも着こなしていそうな向田邦子さんは洋装の人で、亡くなる少し前のエッセイに、お祭りのため人に着物を着付けてもらう場面があって、へえと思ったことがある。

 それにしても、着付けを習うきっかけになった、バブルの熱に浮かされて買った着物一揃え30万円、結局袖を通したのは、たった一回だけである。稽古用に買ったポリエステル着物と母の古帯も、普段着に着れぬこともない。機会があれば、もう一度習ってみようか……と我ながら煮え切らない思いを残しつつ、ま、伸ばせば届くのに手が出せない、憧れているのに苦手なもの、なんてのがひとつくらいあるのもいいかなと、そのまま現在にいたっている。

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by etsu_okabe | 2014-11-08 12:28 | 日々のこと/エッセー

仕事歌(労作歌)

 20数年振りの相撲熱再燃のせいで、相撲甚句から興味が広がり、田植え唄、木挽き唄、地搗き唄、などの仕事歌(労作歌)について知りたくなっている。
 YouTubeにはコンテストや発表会などステージで歌われるものは上がっているが、わたしが見たいのは、実際労働現場で歌われている様子だ。機械化とともに消えていくそれらを、きっと誰かが映像などに残しているはず。

 去年、ちょっとした手術を受けて一週間ばかり入院をし、病院という場所で人の命を預かりながら過酷な仕事をしている人たちに触れて、以来、労働についてあらためて考えることがあった。
 この医療という仕事の他に、昔も今も、わたしが最も尊敬する仕事は、第一次産業だ。これらの仕事をしてくれる人がいなければ、わたしたちは生きていかれない。
 わたしも生意気に、小説を書いてちょっと苦しい思いをして、弱音を吐いたり体を壊したこともあったが、こうした不可欠な労働の過酷さを思ったら、恥ずかしいばかりだ。
 人間は、さまざまな労働力を持ち寄って、不足を補い合いながら生きている。その中で、自分の役割は何なのか。その価値はいかほどか。しんどくなったら考える。そうすると、さっと光が射してくる。

 そんないきさつもあっての、仕事唄。
 どこかに資料が残っていたら、ぜひ見てみたい。


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by etsu_okabe | 2014-11-07 20:51 | 日々のこと/エッセー