小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

学校は加害者なのか

 いじめ自殺が起きる度に、『被害者vs学校』という対決の図を、もどかしく思う。これが崩れぬ限り、学校は加害者の側に立って、犯罪隠蔽を続けるとしか思えないからだ。

 学校もまた、加害者によって「子供の安全を守る」という責任の遂行を阻害された、極端に言えば "被害者" である、という立場をとることができれば、殺された被害者遺族や、現在被害に遭っている被害者とともに、積極的に犯罪追及ができるのではないか。そのためにも、いじめを曖昧な「いじめ」というひとからげにせず、傷害、恐喝、レイプ、窃盗、器物損壊、殺人など、犯罪としてはっきりさせるべきだ。
 という考えがわたしにはあるのだが、これは甘い、専門家から見たら滑稽な素人考えなのだろうか。

 学校は子供を、社会で円滑に生きていけるよう教育する場のはずだ。犯罪者は罰し、被害者を救う。当たり前のことを、子供達に示して欲しい。
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# by etsu_okabe | 2015-07-11 14:01 | 日々のこと/エッセー
 6月〜7月末、いやおそらく8月初旬まで、ほぼ缶詰めで執筆仕事をしている。書き下ろしの小説2本と、連載小説1本のためである。幸せ至極。こういうさなかの隙間のような“切り”に飲む酒の旨いことといったら。

 さてそんなときにでも、いやそんなときだからこそ、補給したくなるものがある。今回も、合間を塗って映画のDVDを2本観た。『ハンナ・アーレント』と『ヴェロニカ・ゲリン』。いずれも実在の女性を描いた物語だ。
 ハンナ・アーレントは、ナチス政権下にアメリカに亡命したユダヤ人思想家。戦後、ホロコーストの中心的人物であったアイヒマンの裁判を傍聴し、そこで見た彼の様子から『凡庸な悪』という言葉で人間の本質を説いたが、それが「アイヒマン擁護」と捉えられ、同胞たちから激しい怒りをかい、世界中から激しいバッシングにあう。
 ヴェロニカ・ゲリンは、アイルランドのジャーナリスト。90年代ダブリンにはびこり、少年たちにまで魔手を伸ばしていた麻薬組織に敢然と斬り込み、繰り返される嫌がらせや脅迫にも屈せず、その核にまで迫ったところで殺されてしまう。
 どちらの作品も、観客に迫ってくるのは「信念」である。どんなことがあっても、課せられた使命を全うするために、自分を信じ続ける力。
 彼女たちのような立場に立った経験はないから、これは想像するしかないが、ああした状況下でもっとも手強い敵は、孤独だろうと思う。家族や支持者がそばにいて励ましてくれても、それは容易に倒せる相手ではない。家族や仲間たちは彼女を愛すればこそ、危険から手を引いて欲しい、今すぐ世界から賞賛される駒も持っているのだからそっちを使って欲しい、という願いを持っていて、黙っていてもそれは滲み出てきただろう。それは彼女らにとって、もう一つの孤独になったはずだ。
 戦友は自分自身のみ。そうなったとき、それでも闘う強さはどこからくるのだろう。

 わたしもこうして利用しているが、SNSなどでたくさんの人がいろんな意見を発信する中で、「承認欲求」という小恥ずかしい欲望が、それ以前よりもあからさまになった気がする。わたしにもその欲求があるから、あからさまにされると小恥ずかしいのである。
 同意、同意、同意の数が、お金の価値と同じくらいはっきりとした自分の評価に思え、もっともっとと欲しがって燃料をくべている。なんとまあ、くだらない労力だろう。
 他人からの同意をより多く得ようとすればするほど、その人にしかできぬことから遠ざかっていくことを知るべきだと、この映画2本を観て強く思いつつ、妙な力こぶが入って次の仕事に向かおうとしている。
 ということで、「闘う女」を補給完了。良い映画を観た。
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# by etsu_okabe | 2015-07-09 18:42 | 映画/芝居のこと

授賞式

 昨晩(5月14日)は、『幽』文学賞と『野性時代』のフロンティア文学賞の合同授賞式&パーティだった。
 『幽』文学賞は、昨年まで『幽』怪談文学賞という名で、わたしは2008年の第三回で短編賞大賞を受賞し、翌2009年の春、単行本デビューとともに授賞式を開いていただいた。以来、毎年この時期に授賞式の招待状が届くたび、デビューさせてくださった選考委員の先生たちやメディアファクトリー(現KADOKAWA)の編集者の方たち、そして同じ賞でデビューした作家さんたちに、今年は何が報告できるかと、戦々恐々たる気分になるのである。

 今年の会場は、目白の椿山荘。従弟の結婚式で一度来たことがあり、電車と徒歩などという庶民は坂道から転げ落ちてしまえといわんばかりの山城のごときホテルと知っていたので、奮発して飯田橋からタクシーで向かう。早めに行って庭園を堪能するつもりだったが、仕度に手間取りギリギリの到着で断念。
 入るとホール入口に歴代受賞作が並べられており、拙著『枯骨の恋』を見つけて、しばし六年前の初心を思い出す。朝から雨の降る、心細くなるような午後だった。

 『幽』の選考委員の先生たちが集まる控え室に案内してもらい、挨拶をする。「おかげさまで、なんとか書き続けています」と言うのが精一杯の体たらく。「なんとか」という言葉の中には、この一年の七転八倒がぎゅっと詰まっている。来年は、何と挨拶できるだろう。胸を張ってここに来たい。
 控え室には今年の受賞者、唐瓜直さんもいらっしゃったので、お祝いの言葉に続けて、「受賞スピーチ、楽しみにしてます」と朗らかにプレッシャーをかけておく。また一人、ライバルが増えたのだ。

 などしているうちに開会。先にフロンティア文学賞の授賞式があり、続いて『幽』文学賞が厳かにとり行われる。当然のこと、『幽』のそれは例年通り、オドロオドロしい演出付きだ。
 選考委員を代表して行われるスピーチは、今年は京極夏彦さんだった。この日華々しく飛び立つ新人作家に向け、だけでなく、すべての書き手に向けた、厳しく辛辣な、しかし先達としてこの上なく頼もしい、とても重たい言葉だった。

 パーティ散会後、移動して椿山荘の中のバーへ。格式の高いホテルのバーらしく、天井の高い重厚なインテリアに、キラキラと輝くシャンパングラス。しかし頭の中には、書きかけの小説のことがぐるぐると巡る。ならばさっさと帰ればいいのに、楽しくて結局三次会まで。

 帰りの電車。
 京極さんの言葉の中で、ある考え方を批判したあとに続けて、「そんな考え方で書いていても、作家を続けてなどいけません。もってせいぜい5年です」というのがあった。
 わたしはデビューして6年。瀬戸際なのは自覚している。だからよけいに、胸にズサズサ突き刺さった。いろんなものが刺さった胸で、来年の自分を思う。なにくそ。
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# by etsu_okabe | 2015-05-16 01:24 | 日々のこと/エッセー
 東京都現代美術館『山口小夜子  未来を着る人』を観にいってきた。

 わたしにとってその人は、神秘的という言葉では足りない、人を超えたところにいるような人。"着る、纏う、装う"という表現で、まだ小遣いではハイブランドのブラウス一枚買えなかった小娘たちを、洋服に夢中にさせた人。強(こわ)い黒髪や細い目を、美しいと知らしめてくれた人。
 展示されたたくさんの重要な仕事は、わたしが知っているものから知らなかったものまで、そしてデビューの70年代のものから晩年のものまで、すべてが、胸を衝く新鮮さで迫ってくる。
 その量とパワーは想像以上で、15時頃入ったのに閉館の18時までに回りきれなかった。

 "わたしにとっての山口小夜子" は、もうひとつある。それは「葛湯」だ。
 昔「ニュースステーション」という報道番組に、<最後の晩餐>というコーナーがあった。久米宏がゲストと対談をして、締めに「あなたの最後の晩餐は?」と、死ぬ前に食べたいものを訊ねるのが決まりだ。そこで彼女が答えたのが、「葛湯」だった。フレンチのフルコースでも満漢全席でも高級ワインでも寿司でも蕎麦でもなく、葛粉を湯で溶いただけの、温かくて、優しくて、うっすらと白濁した飲み物。
 これを聞いたとき、わたしは、この人は普段から「死」を想っている人ではないかと思った。そして、彼女の訃報を聞いたとき、まっ先に葛湯を思い浮かべた。
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# by etsu_okabe | 2015-04-11 23:28 | 日々のこと/エッセー
 昨年の秋場所に、二十数年来の相撲熱が再燃し、最近お相撲に関わる本ばかり読んでいる。
 そして今日、『一人さみしき双葉山』というノンフィクションを読んだ(工藤美代子著)。
 時代のヒーローであった一人の力士の物語だが、著者が追っていくのは、彼の孤独や悩みを支えていたであろう「名もなき女たち」。

 スポーツ選手、芸術家、役者……そういった人たちを支える人種がいる。タニマチ、スポンサー、パトロン、追っかけファンもそうだろう。しかし同じ"支える"でも「女」は別格だと思う。そこに横たわる「性」の深淵は、爪先をちょいと浸しただけでずるりと引き摺り込まれそうで、わたしはとても近づけない。
 この本の中に『勝負師は地獄を見た人間がなる』という、ある作家の言葉の引用があり、心に残った。ここで言う「地獄」とは、死に損なうような生命の危機のことだ。そんなものをかいくぐった男を支える女とは、どれほどのものを犠牲にできる人なのか。
 と考えたところで、「犠牲」と言ってしまう時点でわたしは失格だと苦笑いする。こんな人間は、合格などせぬほうがきっと良い。
 それにしても、燦然と輝く足跡を残した「勝負師」たちの、蹴散らした泥や砂を掃き清める女たちに思いを馳せるにつけ、女になるのは容易いが、女でいるのは至難であると思い、溜め息が出る。
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# by etsu_okabe | 2015-04-09 03:56 | 日々のこと/エッセー
 『ブラック企業の新卒求人拒否 青少年雇用法案を閣議決定』という記事を読む。
 >>記事はこちら

 良いこととは思うが、私は以前から、そもそもハローワークが悪質企業の求人を平然と出していることに疑問を感じている。
 労基署と連携して、ハロワが "ふるい" の機能を持てば済むことなのに、と。

 悪質企業の求人が少なくない数でハローワークに混ざり込んでいることは、求職者だけでなく、求人している優良企業にも損失を与えている。
 給料が高いわけでなく規模も小さいが、残業はほぼなくあれば手当てがつき、社内暴力もなく人間関係が良好のとてもいい企業が、いくら求人を出しても応募がない、という例が実際にある。ここで働きたい人はいるはずだが、求め合う企業と人が結びつかないのだ。実直で魅力の少ない条件より、よくわからないがきらびやかな条件に人は流れてしまう。
 人が「よりよい条件」に引かれるのは当然だが、現状ではそこに「甘言」が混じっている。それが甘言かどうかは「入社してみなければわからない」。
 こうして、貴重な人材に無駄足を踏ませてしまう。それだけでなく、命に関わる被害を被らせてしまうことさえある。
 この無駄足や被害をなくすためにも、そして優良企業に貴重な人材を入りやすくするためにも、就活と求人の接点で悪質企業を取り除く "ふるい" の機能はあるべきだと思う。
 広告費でもっている一般の求人誌や求人サイトには、その役目は期待できない。公の機関であるハローワークだからこそ、その役目を担って欲しいと切に願う。

 余談だが、わたしはかつて、日常的に暴力を振るう上司がいる企業に、ハローワークを介して入ったことがある。
 上司は男で、暴力をふるう相手は、特定の女性社員だった。
 上司は己の悪行を自覚しており、わたしが暴力についてはっきり非難すると、平身低頭で謝ってきた。しかし、当の被害者に謝罪はなく、暴力もやまなかった。
 被害者の女性には、在職中も退職後も何度も会い、組合への訴えかけ、労基署への通報などを勧めたが、被害は自覚しながらも、なにかと理由を作って腰を上げようとしなかった。暴力のたびに、過呼吸の発作を起こして休職するような日々を送っていたのに、だ。
 今にして思うと、あれを共依存というのだろう。暴力の本当の恐ろしさは、こういうところにある。
 わたしは結局、彼女を見捨てた。今、どうしているのかまったく知らない。
 その体験を元に書いた短編が『アブレバチ』だ。私の最初の本『枯骨の恋』に収録されている。
 物語は、パワハラ被害の果てに自殺した同僚の実家を、主人公が訪ねるところから始まる。山深いその村にある因習が彼女を取りこんで、やがて、同僚の自殺の真相が明らかに……という話。
 興味を持たれましたら、ぜひご一読を。
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# by etsu_okabe | 2015-03-17 15:04 | 日々のこと/エッセー
 昨晩は、『美しき罠〜残花繚乱〜』の打ち上げパーティーでした。
 わたしも原作者として『残花繚乱』を出版した双葉社の方たちとともにご招待いただき、僭越ながら壇上でスピーチもさせていただきました。

 原作者という立場は、一応スタッフのカテゴリーには入っているものの、実際のドラマ制作にはノータッチですから、完全にお客様状態です。俳優さんたち含め制作に携わった皆さんが、一丸となった「チーム」であるのを目の当たりにして、ちょっと羨ましくもありました。
 とりわけ「いいな〜」と思ったのが、ドラマ化が決まった昨年の晩夏からお世話になったTBSの編成の永山さんがスピーチで話された、<編成の二人と、栗原プロデューサーと、脚本家の浅野妙子さんという四人の女性たちが、一回一回何時間も額をつき合わせ、物語を作り上げていった>、というエピソードでした。
 もともと孤独が好きで、チームで仕事をすることのほうが苦手だからこそ小説を書いているわたしが、このエピソードを聞いて羨ましいと思ったのは、同じ目標を目指す彼女たちが、ぶつかり合うことはあっても決していなし合うことはせず、全力をふりしぼって最終的に素晴らしいものを作り上げた、という様を勝手に想像し(おそらく現実もそうだったと思います)、それに感動したからです。

 わたしがチーム仕事を苦手とするのは、ぶつかり合いのあと、いなされてしまうという失望を、何度か味わったからかもしれません。今では、自らぶつかり合うことを避けてしまっている気もします。ますますダメですね。
 真の仲間というのは、褒め合ったり甘え合ったりするものではなく、ひとつの目標に向かって、それぞれの役割に最善をつくし合う、つまり、相手の役割のためには協力し、自身の最善のためには躊躇なくぶつかってもいける、そういうものなのでしょう。

 それにしても、テレビドラマの世界は過酷です。先ほどの「毎回額をつき合わせた」というエピソードの裏には、脚本家はそのたびに書き直しを余儀なくされた、ということがあるはずです。
 パーティーの途中、脚本家の浅野妙子さんとお話する機会があったとき、そのあたりの苦労を伺い、到底わたしにはできないことだと思いました。
 浅野さんには、今回のドラマのことだけでなく、創作についてなども色々とお話を伺いたかったなと、今になって思っています。

 パーティーは、俳優さんたちのスピーチ、スタッフの方たちによる『美しき罠』のパロディードラマの上映、寸劇やゲームなど、盛りだくさんのとても豪華なものでした。
 最終回のオンエアー視聴も、このパーティーの中で行われ、わたしは泣いたり笑ったりひっくり返ったり(衝撃のラストシーン!)、大変でした。

 今朝、自分のベッドで目を開けたとき、なんだか、長い長い夢から目覚めたような気分でした。
 双葉社『カラフル』では、新しい連載が始まっています。また、書き下ろしの長編も執筆中です。
 両手で頬っぺたを叩いて、わたしは今日からまた、新しい作品を生み出すために、背中を丸めて机に向かっています。
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# by etsu_okabe | 2015-03-13 18:31 | 小説関連の活動など
 新連載『フリー!』が、双葉社『カラフル』で始まりました。

 恋人、家族、会社、仲間……さまざまな場面、立場で、さまざまなしがらみに絡めとられている人たちが、本当の自分の「自由」を探し求めていくお話になる……予定です(物語が転がるに任せて書き進めるタイプなので、はじまったばかりのこの物語の行方は、まだ霧の向こうです)。

 無料で読んでいただけますので、ぜひどうぞ!
 >> 岡部えつ『フリー!』第1回/ドロップ

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# by etsu_okabe | 2015-03-12 13:12 | 小説作品
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 現在発売中の『読楽』3月号(徳間書店)に、短編小説『海の見える窓』を寄稿しています。
 わたしには珍しく近未来を舞台に、独りで年老いた女性の死生観を綴りました。主人公の女には、自分の未来を投影していますので、思い入れもひとしおです。
 小川メイさんのイラストが、小説の内容にぴったりで素敵。

 今号では『大藪春彦賞』の発表がされています。
 受賞作のひとつ、青山文平さんの『鬼はもとより』は、ちょうど今読みかけている本。気持ちが盛り上がって、先がますます楽しみに。
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# by etsu_okabe | 2015-02-23 19:37 | 小説作品

あの日の松江

 『幽』第22号の小泉八雲特集を読んでいて、昔、一度だけ訪ねたことがある松江を思い出している。目的は、島根県立美術館で開催されていた、森山大道の展覧会だった。
 わたしは当時、彼の写真だけでなくエッセイ『犬の記憶』に魂を奪われており、恋人にも写真を習わせるくらい気を狂わせていた。その勢いで彼と二人、島根へ飛んだのが、今調べたら2003年だった。出発の日は、羽田空港で大規模なコンピューター故障があり、数時間飛行機に閉じ込められた。
 なんとか松江に着き、展覧会も無事観終え、ホテルに向かうために乗ったタクシーで、旨い地酒を飲める店はないかと尋ねると、連れていってくれたのが、運転手の馴染みらしい、ママが一人でやっている小綺麗なスナックだった。「スナック…?」と訝しんだが、ママは近所の寿司屋を予約してくれ、リーズナブルで美味しい地元の魚をたらふく食べた。
 スナックに戻ると、極上の地酒が待っていた。気づけば、さっきの運転手も客としてそこにいた。ママは東京の人で(しかもうちの近所で)、「いろいろあって」松江に流れて来たという人だった。
 明日は半日しか時間がないと言うと、ママと客達が、寄ってたかって観光場所や食べ物屋を教えてくれて、翌日わたしたちは、たいそう充実した半日を過ごして帰京したのだった。出雲大社ももちろん行った。
 12年も昔のことなのに、そしてどこにもメモも残していないのに、よほど嬉しく記憶に残っているのだろう、これを書きながら、スナックの店名が『しらさぎ』だったことを思い出した(今ググってみたが、食べログにも載っていない)。
 恋人とは、その一年後に別れた。『犬の記憶』は貸したままだ。
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# by etsu_okabe | 2015-02-22 23:59 | 日々のこと/エッセー