3年前、初めてのときもそうだった。与那国島を離れたあと、島が恋しくて恋しくて、一種のホームシックにかかってしまうのだ。こんなこと、他の土地では経験したことがない(かつて、ニューヨークから戻ったあとに同じような症状が出たが、あそこには3か月もいたので種類が違うと思う)。
都会の喧騒の隙間に幻の三線の音がポロンポロンと聞こえるとき、目を瞑るとあの真っ青な空と海が広がる。木漏れ日の落ちる庭先に吹く風、虫の声、波の音、入道雲、重たい雨、降るような星・・・・・・。
故郷でもなければ暮らしたこともないのに、わたしはそれらを思い出すとき、胸が詰まって泣き出しそうになる。
島では最近、島外の人の自殺体がよく見つかるという。わたしには自殺願望は一切ないが、人に見つからぬ場所がたくさんあるあの島で、溢れかえる命に包まれながら死ぬことを選ぶ人の気持ちが、分からないこともない。
本来「死」とは、そういうものかもしれないな。
ダーリンの宿(里家)に遊びにきていて、ほんの数十分お話をしたボブ田島さんは、島への愛情が顔から体から溢れ出ているような、心も体もでっかい人だった。短い時間の会話の中に、当たり前のように「島のことわざ」がぽんぽん出てきて、行きずりの旅人に対してそういう話を自然にできてしまう若者(30代だろうか?)がいることに、島の底力を感じた。そして、土地の心とは、こうして“語り”で受け継いでいくものなのだということを、あらためて教わった思いだった。
■ボブ田島さんのブログ『与那国人』で、紹介していただきました。
⇒記事はこちら
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21日(日)の朝日新聞に、枯骨の恋の広告が掲載されました。大きくてびっくり! 嬉しいなあ。
⇒岡部えつ『枯骨の恋』詳細はこちら
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故郷でもなければ暮らしたこともないのに、わたしはそれらを思い出すとき、胸が詰まって泣き出しそうになる。
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本来「死」とは、そういうものかもしれないな。
ダーリンの宿(里家)に遊びにきていて、ほんの数十分お話をしたボブ田島さんは、島への愛情が顔から体から溢れ出ているような、心も体もでっかい人だった。短い時間の会話の中に、当たり前のように「島のことわざ」がぽんぽん出てきて、行きずりの旅人に対してそういう話を自然にできてしまう若者(30代だろうか?)がいることに、島の底力を感じた。そして、土地の心とは、こうして“語り”で受け継いでいくものなのだということを、あらためて教わった思いだった。
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by etsu_okabe
| 2009-06-23 09:35
| 旅のこと