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小説家です|岡部えつ


by etsu_okabe

怒りの矛先---福島被爆者差別のニュースに触れて

 ここでもツイッターでも何度も言ってきたが、わたしはいじめ問題で「いじめられた方にも非はある」という意見には、100%「NO!」だ。レイプ事件における「夜道をミニスカートで歩いていた女性にも非がある」も同様。
 悪いのは「いじめ」であり「強姦」であり、その罪を犯した加害者だ。もし、ミニスカートの女にも非があるというのなら、男は誰でもミニスカ女性を強姦してもいい、ということになってしまうではないか。

 その上で、書く。

 数日前、ツイッターのTLに「船橋に避難してきた福島の被災児童が『放射能が伝染る』と言っていじめられた」というニュース記事(「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見)がリンクされたRTが、何件がポストされているのを見た。いずれにも「船橋市民は恥を知れ」や「最低な親」といった、批難コメントが添えられている。
 確かにひどい事件だと、わたしも思う。命からがら逃げてきた罪のまったくない子供に対し、向けられたのが温かい支援の手ではなく、被爆者差別だなんて、やりきれない。
 でも、とわたしは思うのだ。「伝染る」と言った子も、千葉という、同じく放射能の影響を心配しなければならない場所に住む、同じ被害者だ。あの大きな地震も経験し、毎日余震にだって怯えているだろう。大人たちが放射能の噂をし、右往左往したりぴりぴりしたりしているところも、じっと黙って観察しているはずだ。
 これはわたしの想像に過ぎないが、船橋の子供はただ、怖かったのではないだろうか。だから、自分より原発の近くにいた子を見て「自分はあの子よりましだ」と思うことで、小さな安心感を得ようとしたのではないだろうか。わたしには、どちらの子供も深く傷ついた被害者に見えてしかたない。
 もちろん、それでも被爆者差別が許されるわけではない。船橋の子供がとった言動については、酷い言葉を受けた福島の子も、その親も、いや福島の人たち全員が、怒って抗議して当然だ。
 しかし、その現場にいたわけでもなく、詳細な事情も経緯も知らない第三者たちが、よってたかって船橋の子供やその親に対して吊るし上げのような行動を起こすことには、わたしは断固反対したい。

 わたしは何年かパワハラ被害の事例を集めていたので、その構図に思い当たることがある。
 ブラック会社の横暴な経営体制の被害者である人間が、その怒りや鬱憤の矛先を、会社ではなく部下たちに、暴力として向けてしまうという事例だ。無理な納期や不可能な数字を押しつけてくるのは会社なのに、そこに対して反発はせず、部下を恫喝して無理を強い、酷い場合は過労死にまで追い込んでしまう。
 学校で起こるいじめにも、似たようなことがある。いじめを受けた子供が、いじめっこに仕返しするのではなく、さらに弱い子供をいじめてしまうという例は、少なくない。その皺寄せの最末端でいじめられた子は、逃げ道がなくて自殺にまで追い込まれてしまう。
 なぜこういうことが起きるのか。
 わたしは自分が弱い人間なので、容易に想像がつく。抱えてしまった憎しみや怒りや鬱憤を晴らすのには、その原因となった強いものに刃向かって闘うより、近くにいる弱いものを痛めつけてスッキリする方が、簡単で自分が受ける傷も少ないからだ。

 被爆者差別という最悪の事態を生み出した元凶であるヤツらを糾弾することを忘れ、差別的言動をうっかりとってしまった同じ被害者である市民を陰湿に執拗に責め立てることは、不安と恐怖からつい福島の子供をいじめてしまった船橋の子供がしたことと、大して変りない愚かな行動だとわたしは思う。

 わたしたちは、貧しい小国同士を争わせ闘わせ果ては戦争を起こさせ、その影で強国が肥え太っていく、という構図を知っている。
 原発事故による放射能汚染の被害者であるわたしたちが、今、低いところで互いにいがみ合ったり責め合ったりすることは、とても馬鹿馬鹿しく危険なことだ。
 反原発デモに対して「意味なし」だとか「無駄」だとか「そんなことしても何も変わらない」といちゃもんをつけることも同じ。これを原発推進派が言うなら理解できるが、同じ反原発派が言ってどうするのだろう。
 怒りは正しい方向に向けなければ、自滅に向かってしまう。
 
 被害者同士が対立してワーギャーやればやるほど、高いところからそれを見下ろしてほくそ笑むやつがいる。わたしはそれが許せない。
by etsu_okabe | 2011-04-16 14:51 | 日々のこと/エッセー