シャリアピン
2012年 12月 26日
思い込みというのは恐ろしいものである。
今宵わたしは夕餉にシャリアピンステーキをこしらえたのだが、レシピを確認しようとネット検索をしていて、ウン十年来「玉ねぎ」のフランス語だとばかり思っていた「シャリアピン」が、人の名前だということを知った。
さらに、玉ねぎのみじん切りソースがかかってさえいればそれがシャリアピンステーキだ、と思い込んでいたわたしがこれから作ろうとしていたものは、用意した肉がビーフではなくポークであること、肉をマリネする時間などない(空腹過ぎて)ことなどから、とても「シャリアピンステーキ」とは言えない代物であることが判明したのである(とはいえ、でき上がったものは今夜わたしが食べたかったもの「そのもの」であったので、大変美味しくいただいた)。
ああそれにしても、パリの街角の八百屋で玉ねぎを指差して「そのシャリアピンちょうだい」などと言わなくて、本当に良かったなあ。パリ行ったことないけど。
今宵わたしは夕餉にシャリアピンステーキをこしらえたのだが、レシピを確認しようとネット検索をしていて、ウン十年来「玉ねぎ」のフランス語だとばかり思っていた「シャリアピン」が、人の名前だということを知った。
さらに、玉ねぎのみじん切りソースがかかってさえいればそれがシャリアピンステーキだ、と思い込んでいたわたしがこれから作ろうとしていたものは、用意した肉がビーフではなくポークであること、肉をマリネする時間などない(空腹過ぎて)ことなどから、とても「シャリアピンステーキ」とは言えない代物であることが判明したのである(とはいえ、でき上がったものは今夜わたしが食べたかったもの「そのもの」であったので、大変美味しくいただいた)。
ああそれにしても、パリの街角の八百屋で玉ねぎを指差して「そのシャリアピンちょうだい」などと言わなくて、本当に良かったなあ。パリ行ったことないけど。
by etsu_okabe
| 2012-12-26 21:42
| 日々のこと/エッセー