小説を書いたり、酒を飲んだり、恋をしたり|岡部えつ


by etsu_okabe

スガダイロー五夜公演『瞬か』第二夜・vs飴屋法水を観てきた

 スガダイロー氏が池袋あうるすぽっとで繰り広げている『瞬か』第二夜、VS飴屋法水に行ってきた。

 仰天した。飴屋法水氏が演じたのは、ピアニストを前にピアノを陵辱していくというパフォーマンスだったのだ。それも、一筋縄ではない。
 彼はまず、淡々とピアノの歴史について語り出した。続いてピアノの構造、ピアノにまつわる様々なエピソードを。それは、ピアノへの思慕のように聞こえた。ところが、彼はそんな言葉の合間合間にピアノと戯れ、やがて乱暴に扱い、よじ上り、踏みつけ、次第にピアノを犯していったのだ。

 対するスガダイロー氏は、陵辱され、しまいには殺されていく数台の古ピアノを前に、唯一その魔手を寄せつけぬピアノを、ひたすら生かし、生かし、生かしまくった。それはまるで、狼に喰われる仲間を淡々と見つめる野生の鹿のように、冷淡で活力に満ちていた。
 紐にくくられ、吊るし首となったピアノの欠片たちがゆらゆらと揺れる下で、生き残りのピアノを「弾き終える」などという最後はないように思った。ならばどう「終わる」のか。息を飲んで見守る。

 なんとピアニストは、唐突に、それを終え、後ろ足で砂を蹴るようにして、舞台を去った。

 そこに誰もいなければ、わたしは叫びたかった。駆け回りたかった。そして自分で自分を殴りたくもあった。
 体の芯で、衝動がぐらぐら煮えだした。

>>『スガダイロー 五夜公演 瞬か』

●追記
 舞台上で楽器を壊すパフォーマンスは、そう珍しいことじゃない。でもそれはわたしが知る限り、プレイヤー本人が、自分の楽器を、演奏の延長としての昇華といった意味合いで、破壊したり燃やしたりするというものだった。
 しかし飴屋氏のそれは、まるで違う。「僕はピアノを弾かない」という宣言のあと、ハンマーという<武器>を握ってなされた行為なのだ。ピアノを弾かない男が、ピアノを弾く男の目の前で、ピアノを犯す。ピアニストは、ピアノを弾き続ける限り、他のピアノは助けられない。そういう対話だったのだ。

●追記2
 これはまったく余談だけれども、ピアノへの思慕ともとれる蘊蓄を語りつつピアノを陵辱していく様は、「愛している」と言いながら女を辱める「男」という生き物そのものの体現ではないか、などとも思ったことを、ここにこっそり告白しておく。
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by etsu_okabe | 2013-11-02 02:52 | 音・詩のこと