いじめは終わっても、いじめ被害による苦しみは続く。それを救えない、わたしの無力。
2014年 11月 15日
「助けてください」
と、手を差し出された。
数年前に、2度か3度、会ったことのある人だった。
子供の頃から壮絶ないじめに遭いながら、家族、教師を含め大人からの助けをまったく得られず、学校という地獄から逃れて大人になった今でも、そのときの傷に苦しんでいるという人だ。
その苦しみは、壮絶を極める。普通人間が決して口にしないものを無理矢理食べさせられたために、今でも、ほとんどの食物を食べることができない。性的な暴力も多数受けたため、恋愛ができない。そして、慢性的な不眠。
つまり、食欲、性欲、睡眠欲の、いずれもに大きな障害を負ったままなのだ。
わたしが彼に会ったのは、そうした体験を語る場においてであり、個人的なつき合いは一切なかった。
わたしは当時、社会学者の内藤朝雄さんと「パワハラネット」というサイトを立ち上げ(今は閉めている)、全国からパワーハラスメントの事例を集めていた。内藤さんはイジメ問題の研究者なので、その関係で彼の話を聞く機会を得たのだった。
小説家としてデビューした後、彼が主催したいじめ問題イベントに出掛け、本を贈ったのが最後で、そのあと、メールのやりとりが数度あったきりだと思う。
それだけの関係だったわたしに、たった一本繋がったSNSを通して、「助けて」と言ってきた彼に、わたしはどうすることもできない。
彼が求めている「支援」「助け」を、わたし個人が差し出せないことは明白だ。それをわかっていて、優しい人を装って会い、話を聞くだけ聞き、最後に、すがりついてくる手を振りほどくなどということは、わたしにはできない。
『わたしは小説家です。小説家というのは、自分の知らない世界は覗いてみたいと常に思っていて、それを小説のネタにしてやろうと、いつでも企んでいる人種です。つまり、他人を傷つけながら生きているような人種なんです。
わたしはそれを自覚しています。
だから、とてもあなたの相談に乗るなど、軽卒なことはできないのです。』
そう返すと、「専門家にも国にも支援を求めたが、どうにもならない。誰からも見放された私は、どうすればいいのか。岡部さんは小説家だから、興味本位でも話を聞いてくれるのではないかと期待して、助けを求めた。」と返事がきた。
話を聞いてくれるだけでいい、と言いながら、やはり彼は助けを求めている。こちらの現状などおかまいなしに、自分を地獄から救ってくれる人を求めているのがわかる。
『話をきくだけでいいなら、メールをくだされば、読みます。
ただ、現時点で、直接お会いすることはできません。
明らかに窮状にある人に会って、要求に応えられず、相手を傷つけたりがっかりさせた場合、わたしはそれが自分のせいではないとわかっていても、罪悪感を抱えなければならなくなるからです。』
正直にそう、返事をした。「負担を与えてしまい、申し訳なかった」と返信がきた。
彼はたった今も、苦しんでいる。
それは、わたしのせいではない。
なのに、差し出された手を払ってしまったことで、罪悪感として、わたしは彼の苦しみの何分の一かを抱えてしまった。
その分、彼の苦しみが軽くなったわけでもないのに。
被害者が、助けを求めた相手に「申し訳なかった」と言わなければならない現状を、わたしは今、噛みしめている。
by etsu_okabe
| 2014-11-15 09:33
| 日々のこと/エッセー















