学校は加害者なのか
2015年 07月 11日
いじめ自殺が起きる度に、『被害者vs学校』という対決の図を、もどかしく思う。これが崩れぬ限り、学校は加害者の側に立って、犯罪隠蔽を続けるとしか思えないからだ。
学校もまた、加害者によって「子供の安全を守る」という責任の遂行を阻害された、極端に言えば "被害者" である、という立場をとることができれば、殺された被害者遺族や、現在被害に遭っている被害者とともに、積極的に犯罪追及ができるのではないか。そのためにも、いじめを曖昧な「いじめ」というひとからげにせず、傷害、恐喝、レイプ、窃盗、器物損壊、殺人など、犯罪としてはっきりさせるべきだ。
という考えがわたしにはあるのだが、これは甘い、専門家から見たら滑稽な素人考えなのだろうか。
学校は子供を、社会で円滑に生きていけるよう教育する場のはずだ。犯罪者は罰し、被害者を救う。当たり前のことを、子供達に示して欲しい。
学校もまた、加害者によって「子供の安全を守る」という責任の遂行を阻害された、極端に言えば "被害者" である、という立場をとることができれば、殺された被害者遺族や、現在被害に遭っている被害者とともに、積極的に犯罪追及ができるのではないか。そのためにも、いじめを曖昧な「いじめ」というひとからげにせず、傷害、恐喝、レイプ、窃盗、器物損壊、殺人など、犯罪としてはっきりさせるべきだ。
という考えがわたしにはあるのだが、これは甘い、専門家から見たら滑稽な素人考えなのだろうか。
学校は子供を、社会で円滑に生きていけるよう教育する場のはずだ。犯罪者は罰し、被害者を救う。当たり前のことを、子供達に示して欲しい。
by etsu_okabe
| 2015-07-11 14:01
| 日々のこと/エッセー