ぶちっ。
2005年 10月 09日
「実の親が、しかも母親が、自分の子供を虐待するなんて、信じられない。人間じゃない。鬼だ。でなきゃ病気だ」
鬼の首をとったように、言う人がいる。
わたしは、鼻の穴を膨らませてそんな風に言う人が、嫌いだ。
わたしたちは、ロボットではない。自分の意志を持っている。意志を持っている限り、周りの環境との間に必ず軋轢が生じる。何もかも、自分の意志とばっちり沿う環境なんて、ありえないからだ(もし「わたしは全く軋轢なんか感じない」なんていう人がいたら、その人は回りを殺しかねないほどのワガママを発散しっぱなしの、悪魔のような人間だ)。
軋轢の中で、あるところは目をつむり、我慢し、わたしたちはどうにか折り合いをつけて生きている。
我慢にも限界がある。どんなに袋の口を堅く結んでも、どこかを針の先で突つかれれば、そこから我慢は溢れ出す。圧力で穴は広がり、一気に吹き出すことだってある。こらえた量が多ければ多いほど、その勢いは大きい。
そうなる前に、人は袋の中身を少しずつどこかに捨てる。
お酒を飲んで騒いだり、カラオケで熱唱したり、友達に愚痴ったり、何もせずただただ泣いてすっきする人もいるだろう。
でもときどき、それをしそびれてしまうことがある。
かつて、仕事でストレスを溜めていることを自覚しながら、仕事を忘れる時間を作ることができず、身体を壊してしまったことがある。袋の中身を捨てそびれた結果だ。終電で帰って家でも仕事をし、シャワーだけ浴びて始発で会社に行くなどという、今から思うとバカみたいなことをしていた頃だ。
幸い身体が壊れてくれたことでわたしは我に返り、さっさと仕事を辞めてことなきを得た。
もしそこでも意地になって休まず、袋をパンパンに膨らまし続けていたら、きっとわたしは大爆発を起こし、通勤電車に飛び込んだか上司を殺したか、何かをしでかしてしまっただろう。しでかす前に、取り返しのつかない病気になってしまったかもしれない。
自分の子供を5階のベランダから放り投げてしまった母親の、パンパンに張りつめた袋が爆発した瞬間を、わたしは容易に想像してしまう。
それは、事実とは違うものかも知れない。でも、想像してしまう。その想像は、特別なものじゃない。何年か生きて暮らしていれば誰にだって思い当たる、ありふれた経験から生まれる想像だ。
だから、ただニュース番組の上っ面だけを舐めて、
「信じられない。人間じゃない」
などと偉そうに言う人間を見ると、わたしはつい、思ってしまうのだ。
そんな簡単な想像もできない、あんたみたいな人間のせいで、爆発するまで我慢しちゃう人がいるんだよ! と。
誰もがギリギリまでこらえながら生きている。周りには、そこに手当たり次第針を突き刺して歩くようなヤツがうようよいる。そして誰もが、袋を隠し、針を隠し、ニコニコ笑っている。それが今、だと思う。
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